コン、と外から音がすることに気がついてルルーシュは本から目を離した。
もう一度、コン、とやはり外から鳴っている。
ベッドではナナリーが気持ち良さそうに寝ているというのに、小さな音でも何度か響いていれば耳障りになるだろう。
一体こんな時間に誰が、と仕方なくルルーシュは雨戸の方へと向かう。
外装は石で出来ているが、中は木造で出来ている二階建ての土蔵。
ルルーシュとナナリーにはそこに住んでいた。もちろん、人が住むようなところじゃないことぐらい承知だ。だがそうするしか選択肢はなかった。
それにまったく住めない、というわけでもない。
ベッドもあるし、食事をするテーブルもある。何より面白かったのが、蔵に仕舞われている書物を暇つぶしに読むのが一つの楽しみでもあった。
外国人ある自分にしては難しい言語ばかりが並んでいるが辞書片手に読むのも、そんなに苦ではない。
締め切った格子窓になっているところからルルーシがを覗けば音を立てていた正体が判明する。
薄闇の中に自分と同じくらい幼い男子が手を振っていた。

「スザク」

その手は「おいでよ」と、手招きに変わりルルーシュはちらり、と後ろのナナリーを見るがどうやら目が覚めた気配はない。
妹を起こさないように階段を下りて、蔵の戸を開ける。

「よかった、ルルーシュ」

にっこりと笑って迎える少年にルルーシュは唇を曲げた。

「今何時だと思ってるんだ?」

もう夜中だ、と溜息を吐く。こんな遅い時間にいくら家の敷地内だからと言って出歩くのはよくないだろう。なのに彼は平気な顔をしてルルーシュの腕を掴んだ。

「来いよ」

「来い、てどこへ行くんだ?」

「君に見せたいものがあるんだ」

ぐいっと強く引っ張られて、渋々に外に出て戸に鍵をする。ナナリーのことは心配だったが、別に遠くに行くわけでもないしスザクと一緒だしナナリーは外にいるよりも中にいた方が安全だろう。
なるべく早く帰ろう、と心中で唱えてスザクの後に付いて歩き出した。

「今日は満月なんだな」

群青色の夜空を見上げれば月が丸いことに気が付く。
ここから見る星も、母国で見た星も変わらないということが今では憎いというよりも、寂しかった。それにまだ春先とあって風は冷たい。
もう一枚上着を羽織ってこればよかっただろうかと後悔する。
そういうスザクも袴姿で寒そうだった。

「こっちだよ、ルルーシュ」

駆け足になったスザクの後を追えば、開けた場所へと案内されてルルーシュは口をぽっかりと大きく開けて周りを見上げた。
大地に力強く根を張った大木たちが立派な花を咲かせている。小さな花火はピンク色で、折り重なるようにして咲いていて、一面がピンク色に染まっていた。
確かこれは桜、ていう花だ。
ここだけではなくて敷地内ならどこでも咲いている。
しかしこんなにも咲き誇っているのを見たことはなかった。自分がただ気に留めていなかっただけだろうか。
それに、昼間見る桜とは少し違う。
満月の光に照らされて、白くも輝いて自ら発光しているかのよう。

「すごいだろう?」

「これが見せたかったのか?」

しばらく言葉をなくしていたルルーシュに、スザクが誇りを持って問う。「うちの自慢の桜だ」と。

「昼とは違って夜だと、また違った花に見えるんだ」

上手く言葉が見つからないが、幻想的、という言葉が似合う景色だ。

「すごくきれいだよ、スザク」

「そう言ってもらえると嬉しい」

風が吹けば、花びらが無数に舞い踊りルルーシュたちの視界を楽しませる。
スザクとルルーシュは樹木の根元に肩を寄せて座った。

「本当はナナリーにも見せてあげたったんだけど、」

と、そこまでで切るとスザクは苦笑する。
それはスザクなりの気遣いだった。桜色に染まる空は目の見えないナナリーには楽しめないものだろう。だから内緒でルルーシュだけに見せればナナリーは悲しまない、と。

「ナナリーには今度、すてきな場所へと連れてってあげるよ」

ルルーシュとの内緒事を作ってしまったお詫び、というつもりも込めて。

「きっと喜ぶ」

ふふっ、と笑みを零してもう一度桜の波を見上げた。
同時に夜空も目に映る。
スザクはそんなルルーシュの横顔をちらりと見てから、自分も空へと仰ぐ。

「ルルーシュ、」

「ん?」

「日本は、好き?」

まだこの地に来てスザクとも知り合って、長くはない。
日本も自分たちも望まれて望んでここに来たわけじゃなく、本当は嫌で嫌で仕方なかった。
嫌いだった、日本もそこに住む人も。
だけど今はそうじゃない、とちゃんと言える。
枢木本家には疎まれていることは分かっているけど、そこの息子であるスザクは悪い奴じゃない。最初の印象は最悪だったけれど。
付き合ってみれば日本人だろうがブリタニア人だろうが、関係ないのだ。特に子供は仲良くなってしまえばそんな垣根は皆無。

「スザクがいる日本は好きだ。ブリタニアにはないきれいなものが、ここにはたくさんある」

街並みも風景も違う国。
日本にはブリタニアにはない美しさがある。
特に空気が澄んでいて心地が良い。四季というものもあって、それぞれが違う景色をするという。この姿も春だけの姿。一年通して見れるものではない。

「俺も日本が好きだ。だから、もっとルルーシュやナナリーに見て知って好きになって欲しい、て思うんだ」

照れくさそうに頬を赤色に染める。
しかしそれはすぐに曇ってしまった。

「けど、父さんはちがう」

「スザク?」

膝を抱え、そこに顔を埋めて俯く。

「争いなんて、人の生死だけじゃなくてその国のきれいな部分も奪っていくものだ。父さんは、国のためだと言って戦争することしか考えてない。もしも日本が戦争なんかになったら、きっとここだってなくなっちゃうんだ」

それはいやだ、ときつく目を瞑った。
国家を守るためには戦争は致し方ない部分もあるんだろう。
スザクの父親であるゲンブは、国の代表だ。そして自分の父も、ブリタニア皇帝だ。
己の父も、武力を行使して国の繁栄を望んでいる。

「父さんや藤堂さんは、俺に強くなれ、て言う。けど、まだ俺には分からない。そんなこと言われたって、どうしたらいいかわからない」

まだ幼い彼らにとってその一言は言葉の欠片、でしかなかった。具体的なものなどない。求められても、今は返すことの出来ない。それがもどかしくなるときだって、ある。
父の力になりたくとも、必ずしもそれが正しいは限らないとスザクは言う。
戦いに戦いを重ねてもそれはきっと悲しいだけで、何も生まない。
父さんにはそれが分からないんだと、スザクは唇を噛んだ。

「お前、わがままでめっぽう強いくせに変なところで優しいんだな」

口より先に手が出るし喧嘩だって強い。なのに、戦いたくない、という綺麗事がアンバランスだった。
ルルーシュ自身は戦いたくとも力がない自分に憤慨しているというのに。
力を手に入れたい。
そうは思わないのだろうか、スザクは。

「ひどいな、ルルーシュ。それ、喜んでいいのかわからない」

「俺は俺なりにほめてるつもりだけどな」

肩を竦めて笑うと、スザクが頬を膨らませて「ほんとか?」と訝しげな視線を送る。
また冷たい風が吹いて、花たちが頭上を舞う。

「ルルーシュは、強くなりたい?」

ふいにスザクが話しを戻す。
ルルーシュはワインレッド色の瞳を伏せて、小さく頷いた。

「強くなる」

「なんのため?」

「ナナリーのためだ」

この世でたった二人の兄妹。自分が守ってやらなくてはならない存在。
ナナリーと幸せに暮らす世界を創りたい。いや、創るのだ。
そのためだったら、何でもすると心に誓った、母の死から。

「なら、俺はルルーシュ。君を守れる強さが欲しいな」

「俺とナナリー?」

スザクの言葉にルルーシュが目を丸めた。
他人であるスザクがそこまで気にかけることはないのに、と思う反面嬉しかった。

「うん。ルルーシュがナナリーを守って、俺が君を守るんだ。けど、できるなら二人とも守れる強さが欲しいな」

「欲張りだな、スザクは」

自分と同じ年のスザクに「守ってやる」、と言われてくすぐったくならないわけがない。

「なら俺も、スザクと一緒だ」

二人で顔を合わせにっこりと陽だまりのように笑った。
今だけしかない時間。
先の見えない将来の自分。
またこうして何年先でも肩を並べて笑っていらけたらいいな、と純粋に思う。

「また、見たいなこの景色」

「見れるさ。また来年」

そう呟いて先に立ち上がったルルーシュに続いてスザクも立ち上がると、自然と手に手を取って歩き出す。
小さな互いの手のひらは柔らかくて温かくて、なんだかとても気持ちよかった。
見上げれば覆われるコーラルピンクの空。
いつもでも色褪せずに覚えておこうスザクと見たこの夜を。
いつまでも。
夜の帳がおりた頃にワルツを