2年巡って、また夏が来た。
この夏は酷く静かなもので、もう僕の隣にあの二人はいなかった。



エリア11設立記念日。
日本が新しい国へと生まれ変わった日。
そう呼ばれる日は、別名として元日本人であるイレブンたちは皮肉に敗戦日と呼び、唾を吐く。
未だに癒えぬ国の傷。
それでもブリタニアは自分達の国へと作り変えていく。
もうこの国は独立国家ではないのだ。
ブリタニアの、植民地なのだ。
そうとなった日が、またぐるりとやってきてその人は訪れた。
そしてスザクも初めて、その青年を見上げた。









トウキョウ租界から離れた場所に、枢木家の別荘があった。本家よりも小さくて田舎の方面ではあるが今のスザクには十分すぎる住居だった。
今では数人の使用人がスザクの面倒を見ている。

今年でスザクも12歳となる。
戦前よりも背も伸びて、顔つきも少しは引き締まったものとなっていた。それでもまだ少年、という面影は抜けきれていない。
大きな碧の濃い瞳はいつでも純粋で真っ直ぐだ。
日本がブリタニアに敗戦して以来、ずっとここにいる。本家の者もあまり出入りはしない。
不自由はないが隔離でもされているような気分であった。
終戦後まもなくして大きく日本は変わる。まず名前、それから統治する者も。トウキョウも変わってしまった。
あの頃では珍しかったブリタニア人も当たり前かのようにこの国に足を据えて生活をしている。
法律も政策もすべてが塗り替えられていく。
それには理由があるのだから、しょうがないと受け止めている。
まるで自分の存在などなかったように、時は進んでいく。
広い屋敷の陽の当たる場所。そこがスザクの部屋だった。午後過ぎまで家庭教師による勉強を済まし、縁側へ出る。
庭先に咲く木々たちを目にしながら、草履を履いて小さな池まで歩む。水面の中には悠々と泳ぐ鯉。
涼しそうだな、と思わず。
空を見上げれば、絵の具を一面に零してしまったほどに青い世界。
雲ひとつない夏空。
近くでは蝉が鳴いている。
思い返せばいつもこんなに暑くて気持ちのよい日はルルーシュとナナリーと一緒に西瓜を食べていた。
不思議な食べ物だ、とルルーシュは興味津々に食べていて、ナナリーは笑って美味しいですね、と言いながら。
ちらりと部屋のテーブルへと目を移せば、お世話役の女性が持ってきた三角形に切り揃えられた西瓜。

(一人で食べても、な)

するとスザクは急に深呼吸をしてきゅっ、と唇を結んでそこから駆け出した。
脱兎の如く玄関から飛び出して雑木林へと踏み込んだ。
それは本当に早かった。学校でも誰もスザクを追い越せないほどに早く、早く。
無我夢中になって走る。
先が見えない先を見ながら、ひた走る。石階段を駆け下りると突風にでもあったかのように草木が揺れる。
一定の呼吸が唇から零れ 額からは汗が浮かび疾駆する風に飛ばされた。

そうして見えたのは、広い世界に小さな自分。

大きく息を吸うと、体の中が澄み切っていく気がした。
林を抜けたところで見渡せるのは広い緑の草原とひまわり畑。一年前までいた場所も同じぐらいに緑と青に囲まれた。
何故だか寂しくなって、虚しくなる。
世界にたった一人取り残されてしまったようなー。
どうして自分はこんなところにいて、許す限りの自由を過ごしているのだろう。
俯いてはだめだと思っていても、涙が零れそうになった。
大きく咲いたひまわりは笑っているようなのに、夏空は晴れやかにどこまでも繋がっているのに。


「こんなところで一人、何をしているのかな?」


ふいに、後ろから声を掛けられた。
スザクははっ、と顔をあげて振り返る。いつもなら人の気配には敏感なはずなのに気がつかなかった。
そこに佇んでいたのは若い青年。
それがすぐにイレブンではなく、ブリタニア人だと分かるほどに高貴な顔立ちをしていた。
服装も貴族以上が着るような白をベースとした豪華なもの。金の装飾に絹で織り、艶やかに輝く色。
そんな青年はスザクに向かって優しく微笑む。
それもまた、卑しさや蔑みなんて含まれず「いい人」のものだった。

「君が、枢木スザクくんかい?」

口調に棘はなく、温厚だ。
一瞬警戒心を向けたがすぐにそれを解く。
自分を知っているということは本家から来た者なんだろうか。
しかしこの人はブリタニア人だ。一体何の用があってくるというのだろう。

「そうですけど」

丸々とした翡翠の目が瞬きをして、彼を見上げる。
いつの間にか白い雲が太陽を遮り、影を作り風が男の金髪を撫でた。
この少年が枢木スザクだとわかると、もっと嬉しそうに彼は笑う。

「ああ、君がそうか。うん、思ったとおりだね」

「?」

彼の後ろちらりと見れば数人の黒いスーツを着た男たちが待っているのが見えた。
護衛を付けているようなブリタニア人がイレブン、しかも枢木ゲンブの嫡子である自分をわざわざ訪ねてくるようなことなど今まで一度もなかったというのに。
スザクの疑問などまったく気にすることなく、青年は軽くお辞儀をしてみせて自己紹介をする。

「私はシュナイゼル・エル・ブリタニア」

その名前を聞いてスザクは巡らせていた思考を一度止まる。
ブリタリア人であり貴族であるだろうということは予想したけれど、まさか皇族であるとまでは思わなかった。
どうしてそんな人がこんな片田舎にいるのか不釣合いすぎる。
ブリタニア皇帝の息子で、第二皇子。つまりルルーシュの義兄にあたるその人の能力は次の皇帝ではないと噂されるほどに、長けているとさすがのスザクも知っているほどの人物。
こんな人にはひまりわりとか、太陽がぎらぎらと輝く大地の上ではなく、薔薇や百合が咲いている宮殿の中とか、そういった空気がいつでもひんやりとしているような場所が似合いそうだ。
驚いたスザクを見てシュナイゼルは声を立てて笑った。

「驚かせて悪かったね。今日が何の日か、君は知っているだろ?」

シュナイゼルは暑そうに太陽の光に手を翳す。
ほら、やはり似合わないこの人には。
そして彼の問いにスザクは従順に答える。

「今日は、エリア11設立日です……」

日本人である者達が苦々しく思う日。
いつかこの日をもう一度、日本再復興の日として掲げたいと思っている者たちは多い。

「そう。君は利口そうだ」

にやりと口端を上げて頷く。
おっとりしたしゃべり方で柔らかい表情をする人なのに、眼光だけは鋭くスザクを見つめていた。

「その記念日の式典に私も参加していてね。2年目にしてやってここを訪れることが出来たことを光栄に思っているよ」

話が読めない人だと、スザクは困惑する。
確かに朝のニュースでトウキョウ租界は記念日として式典を催すと、言っていたことを思い出す。そこに皇族が招かれているのは当然だろう。
エリア11が設立してからまもなくして、総督としてクロヴィス・ラ・ブリタニアが就任している。
どうしてこの人はそんな話を自分にしているのだろう。

「あの、どうして僕を?」

渇く喉を鳴らして聞いてみる。
日本最後の首相の息子などに会っても、今は何の価値もないだろう。
そう、あの兄妹のようにー。

「君に一度会っておきたかったんだよ、スザクくん」

裏表もない声色で、本当にそれだけの理由かのように告げる。
けれどスザクには信じられなかった。
それだけでの理由でここまで来ることなど、この人にはないはずだ。

「それとも理由がなければ君に会ってはだめだろうか?」

その言葉を聞いて、スザクはふいに思い出す。
自分が何か行動するときに理由なんてなかった。自分がそうしたいからそうするんだ、とルルーシュにも言っていた。
この人も同じなんだろうか?
ただ会ってみたいという衝動だけで、ここまで来てしまったのだろうか。
それもおかしな話だと、スザクは笑う。

「ああようやく笑ったね。笑っていた方がずっと可愛い」

すっ、と手を伸ばされて頬を擦る白い手袋。
覗き込まれる深い紫の瞳に吸い込まれそうになる。

「君はここでずっと燻っているつもりなのかい?」

ひんやりと、背中に冷たいものが流れた気がした。
微笑む先の表情が、読めない。
どういう意味だ、ということを汲んだかのようにシュナイゼルは独白のように続ける。

「私は勿体無いと思うよ。君がこんなところで留まっていることが、惜しい」

それでも意味は分からなかった。
何が勿体無いのか、何を惜しむものか。
自分は世界から隔離されてここで静かに生きていくのだ。
もう、力は振るわないと決めた。
この日本は一時だけだとしても安息を手にしたのだどんな形であれ、父の死で。

「僕は、」

言葉が選べない、出ない。
何を言えばいいのか、分からない。
ただ喉はカラカラだった。

「君は正しいと思うことをすればいいんだよ。今までもそう生きてきたのなら、今さら逆らうことはない。自分に真っ直ぐに生きればいい」

スザクは呆然と、彼の言葉に耳を傾けた。
ブリタニア皇族の者がどうしてなぜ自分のような者に言葉を綴るのか。
父が死に、そうすることで敗退した日本は名を失った。人知れず、その息子であるスザクに降り掛かる不幸を慰めにでも来たのだろうか?
枢木ゲンブに息子がいたということは、世間でもあまり公表はされていない。
歴史に埋もれる哀れな子供。

「確かに君がどう生きるかなど、私には関係ないことだ。憐れみにも聞こえるだろう」

「……、」

黙り込んでしまった少年に、シュナイゼルは最後の言葉を投げかける。

「私は君に期待しているのかもしないね」

「期待?」

彼の口から出た言葉を鸚鵡返しに聞く。
また似合わぬ言葉だ。

「期待、というべきか興味があると言った方が正しいのかもしれないな」

そう言って、スザクへ背中を向けた。
白いマントの裾がふわり、と揺れる。
やはりこの場には不似合いな姿だ。

「この国の四季は美しいと聞く」

空を仰いで空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
ブリタニアにも四季は存在しているが、この国ほどはっきりと濃いものではない。
故郷とはまた違う神秘的な美しさが似合う神の国。

「今度はまた別の季節に訪れてみたいものだ」

色素の薄い茶色いスザクの髪が涼風に吹かれて舞う。
揺れる瞳の中に映る白い背中をただじっ、と見つめて。
そしてスザクは少し声を張り上げるようにして、告げた。

「夏も、春も秋も冬も、この国はとても美しいです。それはこの国の誇りであると、思います」

守りたいと思った。
この国を。
だから、だから僕はー。

ぎゅっ、と小さな手のひらを握り締める。
守りたいと、思ったんだ。

「殿下が次お越しになる時は、僕が案内いたします」

名を変えられイレブンとなってしまった国でも、内に生まれ消えていく美しいものは何も変わらない。
それは自然だけではなく人間も同様に。
変わらなければならないのは何なのか。

「それはありがたい。その時を楽しみにしていよう」


遠くなっていく彼の姿が消えるまで眺めてから、ひまわりたちが空を見上げているように、スザクも仰いだ。

残ったのは、夏色の景色と少年一人。


なぜだか分からないけれど、泣きたいと思っていた気持ちはもう、なくなってしまっていた。

きっとそれは単純で簡単なことなんだと、思う。














                           
本当は単で簡単なんだと