世界はいつの間にか閉ざされて
薄暗い。
それは己の視界がいつまでも塞がれたままのせいなのか、場所が暗いのか。
後ろ手に縛られた手は指先だけが動かせるが、ここから身動きは出来そうになった。
そもそも動きたくても、そうする気力も体力もない。
それは少し前に誰かがここ訪れて、自分の腕に妙な薬を打っていったせいだ。
散漫する思考の中で、それはきっと筋肉弛緩剤かそういった麻酔薬の類のものだろう。だから見張りもおかない静かな部屋に一人、手だけを拘束した姿でいる。
ここに連れてこられてからどれぐらい経ってしまっているのか、感覚がない。
迂闊だった。
黒の騎士団がトウキョウ租界へと進軍し、ブリタニア軍もそれに応戦。もちろん、スザクもその混戦へと自らの意思で参戦していた。
ユーフェミアを殺したゼロが憎い。
その一心で、憎しみしか宿らない穢れに穢れた魂でゼロを求めた。
そこに付け入られた、と言ってもいいかもしれない。
ゼロを追い求めるであろ自分の行動を察し、ゼロが彼の前へと姿を現した。それがランスロットの動きを封じる罠だとしらずに。
しかしこれはこれで好都合だったかもしれない。
拘束さたと言えど、彼らの懐に入ることが出来たのだ。
生身のゼロに報復できるかもしれないのだ。この手で、殺すことが。

力の入らない身体はただ重いだけだった。
息するも苦しくなってきて、身体の中が弛緩していることに唇を噛む。
持続する薬だとは思っていなかった。
あと数分。数時間我慢すれば、じきに身体の調子は戻る。それまでそう装えば、必ず機会は巡ってくる。


しかしそのスザクの思惑は外れる。
数時間、いや数日か経っているようにも思える時間。
ずっと白い部屋に監禁され続け、何度間おきにやってくる者が腕に注射を打っていく。最初は椅子に縛られたままだったが次第にその拘束は解けた。
だが逃げ出すことは出来なかった。
もう何回目になるかわからないほど腕に打たれる薬。それが体力を奪っていく。出される食事も口にすることもなくスザクは自分でもわかるほどに衰弱していた。
「いい加減食べろ」と誰かに言われたが、無視する。殺したいのなら、もう殺せばいい。こうした扱いを受け続けるのなら、いっそのことー。
それでもなおスザクは暗い視界の中で憎悪だけを膨らませていれば、前方にあるドアが開くことがした。
他人の気配を感じて、顔を上げる。
しかしそれは大勢ではなかった。ベッドに横たわっているスザクを二人の男が腕を持ち、椅子のところまで引き摺って行けば最初の時のように腕を縛られて目隠しをされる。
男たちはスザクをそのままにすると、また部屋を出て行ってしまう。しばらくすると、またドアが開く音がした。
コリツコリツと鳴る冷たい足音。それは一つだけの気配。

「誰だ、」

深く息を吸って、声を低く押し出す。
その足音は自分の横で止まると、袖を捲り上げられて何をするか聞く前に皮膚に小さな痛みが走った。
知っている。何度も同じ痛みを感じて、また得体の知れないものを身体の中に入れられたのだと、理解する。

「お前に暴れてもらっては困るからな」

スザクはその声を聞いて、はっとして全身の血が沸騰するのが分かった。
求めたもの。憎いもの。一番会いたかったもの。
喉から渇いた熱を感じさせながら、スザクは叫ぶその名前を。

「ゼロッ!!!」

渇欲する憎悪からの叫び。
その命が欲しくて、殺したくて拳に力をこめようとしてもその力は緩い。
今の自分では立つことすらもままならないだろう。
何が機会を伺うだ。これではゼロの思惑通り。
いきり立つスザクに、ゼロは冷ややかな視線を降ろし彼の目隠しを外してやる。
ゆっくりと開けていく視界を確かめながら、スザクはその深い碧をゼロへと向けた。
純粋な憎しみだけで、こちらを捉えている。
それがゼロ、いや、ルルーシュには苦しくもあり当然だとも思えた。

「枢木スザク。この戦いの勝敗は我々黒の騎士団が勝利して終わる。ブリタニアはここから撤退させるえなくなるだろう」

「うそだ!」

声だけで、ゼロへと感情をぶつける。
ふつふつとぐつぐつと腹の底で煮えるものが、唇を通して。
あんなに弱っているということが自覚できていたというのに、ゼロを前にするとどこからか力が湧いてくる。

「お前だけは許さない。殺した、罪もない人を。穢した、世界を!」

「誰の世界だ?綺麗事ばかりのお前の世界か?俺を殺してどうする。単なる復讐か?その後はどうする、俺を殺して黒の騎士団を潰して、お前はその後、どうする?」

「うるさい!お前が、お前がいなければーッ!」

加速する高ぶりはもう止まらない。どれだけ罵倒してもされたとしても、引くことはなかった。
血走り、震える眼はじっ、とゼロだけを睨み続ける。
彼がなんと言おうが、スザクの心へとは届かない言葉。
もう、何もかもが遅いことぐらいわかっていた。
悲しいのは何もお前だけじゃない。悲哀は、お前だけの感情じゃない。
けれど、もう、迷わないと心を殺してしまうと決めた。
身体が動けないとしてもスザクの目だけは、真っ直ぐに自分だけに全ての気持ちを曝け出す。

「お前には生きる理由が必要だった」

大義に生きて死ぬことが彼の願望だとしても、死ぬためにはそれなりの生きる理由が必要だった。
それがスザクの贖罪。
ゼロは表情の見えないその仮面のままで、スザクへと問う。
それが卑怯だといわれても、結果は答えてくれるだろう。

「父親に縋り付いていたように、今はユーフェミアか?人の死に縋って、それを背負い成すべきことが正義だと、お前は言うのか。父親を殺した上に、その亡霊に縋るお前が」

淡々と羅列された言葉を耳にして、石を飲み込んでしまっかのようにずしりと胃が重くなった。
悪寒がして、冷たいものが額から流れ、スザクの顔から血の気んが引いていく。
ゼロから吐かれた事実に、唇が、身体が戦慄いた。
あんなに滾らせていた炎があっという間に鎮火していくよう。
隠し通すことの出来ない動揺。
彼がどんな反応をするのか、それはもう手に取るようにわかっていたこと。
抉ってはならない禁忌だとしても、それで得ることが出来るのなら。
優しさなんて捨てた。情なんて捨てたんだ。
ただ、ただナナリーとスザクが居てくれるのならー。

「何故、それ、を……」

誰も知らない真実。
ゼロが知るはずもない。
そう、知るはずがないのにどうして。
ゼロを見上げる視線が覚束なくなる。

「父殺しの罪に罰を追い求めた成れの果てがこれか?本当に、お前は傲慢なんだな」

自分の正義と死のために、閉じた世界だけを守ろうとして。
悲しみを自分の大義にすり替えてそれだけが正しいと、暗示をかけて本当に守る価値など、この世界はないというのに。

「スザク、」

項垂れるスザクを、彼は初めて優しく名前を呼ぶ。
ああ知っている。
そうやって柔らかく僕を呼ぶ声。
なぜ、彼の声が彼と重なってしまったのだろう?
彼はルルーシュであり、ゼロではない。
俯いた視線の先に、転がったものがあった。
ごろごろと硬質な音を立てるそれは、仮面。
ゼロが決して外すことのない仮面だった。

「スザク」

もう一度、頭上から降る声。
ああ、どうして。どうして重なってしまうのだろう。
信じさせないでくれ。

ゆっくりと、視線を上げる。
見てしまえばきっと後悔する。けれど、彼はそれを望んでいるように思えた。
見開いた双眸がそこに映したものに、スザクは嘆き苦しんだ。
ああ、どうして。
なぜどうして、こんなはずじゃない。
あってはならない真実なのに!
静かな怒りと大きな悲しみ。
身体の内から軋み溢れる激情を制御できなくて、涙が零れ落ちた。
どうして彼が目の前にいるのか、信じたくなかった。
身の纏うマントも、彼のものじゃないと。

「ルルーシュ、」

渇いた声が絶望と共に洩らす名前。
何も言えなかった。ただただ、見上げる。冷ややかな表情のままのルルーシュを。
知っている瞳。髪、唇、鼻、全てが記憶の中にいる友人と重なる。
何も違えることのない、ルルーシュがいる。
おかしいと思いながらも、どこかで納得していた。
何故ルルーシュがこんなところにいるのか。それはゼロだったからだ。
それ以外、もうスザクの中での答えはなかった。
うそだと思いながらも、事実を認めたくなくても突き付けられた真実に逆らう術を、もっていない。
ルルーシュは何一つ、顔色を変えるとこなく続きをしゃべり出す。

「お前にも生きる理由が必要だ。それを俺が与えた、何故だと思う?」

虚ろになる思考の中での彼の言葉。
ルルーシュに与えてもらった理由。
それはきっと、憎しみ。

「お前に、何もないからだ。スザク、本当に俺を殺した後どうするつもりなんだ……」

慈しむように、心配するような声色だった。
ぐるりと巡らせて視線をもう一度、伏せる。

「……わからないさ、俺にも」

声は勝手に震えていた。
わからない。
ゼロを殺したいほど憎んで、そして得られるものとはー。
そこには何もない。
悲憤だけだということは、自分も知っている。そしてルルーシュにだって、言えることだ。

「今のお前を見ていると、」

きゅっ、とルルーシュが唇を一度閉じる。次の台詞を恐れるように。
それが今初めてスザクが見る、彼の感情の揺れだった。

「自殺でも、するんじゃないかと思うよ」

何もなくなった後、彼はその世界で生きていけるだろうか。
憎しむという情を殺してきた彼に、また与えてしまった感情に自己嫌悪して自ら命を絶ちはしないだろうか。

だから俺は生きなければならない。
スザクのためにも。
今まで与えた理由が憎しみなら、それを今度は別の絆で塗り替えてみせる。
だから、全てを知った上でならもう何も怖くない。
ゼロがルルーシュならば、不可能なことではないのではないか。
だからー。

スザクの前に差し伸べられた彼の細い手。

「選べ。俺と共に来るか」

ルルーシュの指先を見つめながら、スザクは走馬灯のように頭の中を駆けていく記憶の欠片を集めていく。自分が何故、父を殺したのか、名誉ブリタニア人になったのか、ユーフェミアの騎士になったのか。
たった一人の、ともだち。
ずっとともだちごっこに付き合ってくれた人。
これはその延長線だろうか。
ルルーシュの手を取ることが、一番楽になれること。
だってルルーシュは僕の一番のともだち。
どうして彼が今、自分がゼロだと曝け出してくれたのか。
ユーフェミアの死も、僕の罪も受け止めてくれるという意味。
曇った瞳に、新しい光りが灯り、スザクは何故か唇を緩めた。

「答えは、いつだって決まってる。君の手は、取らない。これは変わらないことだよ、ゼロ」

ゼロ、と呼ばれた瞬間、ルルーシュの中で何かが消失した。
崩れる音がする。自らの中で。
スザクは決して、YESとは言ってくれない。
スザクは名誉ブリタニア人で、ユーフェミアの騎士なのだ。それはきっと、変わらない。
だから彼は、YESとは言わない。彼の狭い世界が、頑なにそれを言わせない。
たとえゼロがルルーシュであっても許されないこと。
何故どうして、といまさら問うても遅い。
もう何もかも遅いのだと知っていたことなのに。
返された答えに、ルルーシュは奥歯を噛み締めて瞳を閉じた。
これ以上、何も彼には求めない。
甘さを捨て、感情を殺して、孤独になることを望む。

「ならば、」

もう終わりだスザク。
終わりにしよう、スザク。

ルルーシュはさきほどまで差し伸べていた手で拳銃を取り、冷たい銃口をスザクのこめかみへと突きつけた。
しかしスザクは驚くこともなく、平然としたエバーグリーン色の眼。
まるでルルーシュの全てを受けて入れる覚悟のような、真摯な色。
なのにどうしてスザクは自分の手をとらないのかと、憤怒して悲哀する。

お前の罪も愛してやれるのは、そばにいてやれるのは俺だけなのに。

「俺のものにならないスザクは、いらない」

いらないんだ、もう。

心も声も、全てが酷く冷たくて落ち着いていた。
瞳だけは赤く、輝いている。
互いの視線が出会って、初めて見る気がした。
ルルーシュ、とスザクの唇が空で名前を紡ぐのを見た。
命乞いなどではない、彼の最後の優しさと業。背負っていけと、言っている。
ぐっ、と引き金を引こうとする指に力を込める。


スザクには生きて欲しかった。
けれど温かくて優しいお前にとって、この世界は残酷だろう?
だから。


「ゲームオーバーだ、スザク」


愛しいスザク。

ああ、これできっと誰のものでもないスザク。

俺だけの、永遠のー、











「お前に安らぎの場所をあげるよ、」