僕はそれでも、引き金を引いただろうか。
あの時あの瞬間、引くことは出来なかった友へと。
僕は今、この指を引くことは出来るのだろうか。
それはひどくゆったりとしていた。あんなにも熱く滾っていたものが、冷却されているようで考えている暇などなかったはずなのに。
震えた照準を合わせて、友だったものを捉えあとはこの指に力をこめるだけ。
躊躇う必要なんてもうないはずだった。
彼はもう、友達ではないのだから。
裏切り裏切った彼を、僕は失わなくてはならないのだ自分の手で。もう一度、失うのだ。大切だったものを。
悲しいとか怖いとか、そんな感情はなくて撃たなければならないという使命感だけに支配されて、俺は心決める。
もう彼はルルーシュではないのだから。
彼は、ゼロだろう?
ならば躊躇う必要などどこにもない。
息が詰まった。まるでここの空間だけが止まったしまったかのように、酸素さえも喉を通らなくなる。
本当にそれは一瞬の出来事のようで長い時間のようで。
引くべきなのかそれとも下ろすべきなのか、その迷いの末に乾いた音が響くのを聞く。
僕はその時、この引き金を引かなければならなかったのに。
なのに僕はそれを引いてなどなかった。
ならばどこから放たれた音なのか。
考えよりの先に身体が感じ、その衝撃に膝が崩れた。
高く壁に囲まれた洞窟の中に木霊していくたった一発の銃声。
細かい吐息が零れる。何が起こったかを確かめるように、視線を下へと向けた。
それが貫通したのは、己の腹部。
じわりと、白いデヴァイザースーツを穢すのは真っ赤な色をした血。腹へと手を当てれば、染まる赤。
破れた臓器から血が皮膚からも中部からも溢れてくる。
何故と思う前に、自分のは撃たれたのだと理解する。
そう、撃たれたのはスザクだった。
けれどもそれはルルーシュの銃ではなかった。
後ろで震えるカレンを、崩れたスザクの先でルルーシュが見つめている。
わなわなと震えていたのはカレンだけではなく、ルルーシュもまた。
何故スザクが倒れたのかわからないまま目で追い、地面へと滴る鮮血を見る。
撃ったのは俺じゃない。
撃つつもりだった。いや、本当は分からない。
「だって、お前がいけない、おまえが、ゼロを殺そうとするから!」
カレンはヒステリックな声を上げてルルーシュに縋る目を向ける。
ゼロはルルーシュだったルルーシュはゼロだった。その事実を今全て受け入れるほどの器はなかったが、それでも今彼が死んでしまったら何もかもが失われてしまうことだけははっきりしていた。
事実がどうであれ、今の自分たちには「ゼロ」という存在が誰であろうと必要なのだと。
それを妨げるものがあるのなら、スザクだろうが容赦はしない。
だから撃った、スザクを。自分がゼロを守らなければならなかったから。
「スザク!」
ようやくルルーシュははっと、と我に返り苦しそうに跪いているスザクに悲鳴を交えた名前を呼んだ。
ガラン、と地面に銃を放り投げて駆け寄る。
そこにいるのは、ただのルルーシュだった。苦しむ友達を心配するだけの。
あれだけ体力には自信があったのに、血と共に気力も体力も全てが抜け出していくようで膝を付いていることさえも限界で、スザクは眩暈とともに前のめりに倒れる。
けれど握りしめた銃は、手放さなかった。
しかし堅い地面の衝撃はなく、ふわりと温かい腕に抱きとめられる。
「スザク!」
目の前が霞む。流れ出す血が止まらない。痛い。
呼吸がしたくても、喉から逆流してくる熱が邪魔をしてうまく出来なくて苦しかった。
撃たれた箇所がじゅくじゅくと熟れてくるような感覚。
その温かい腕に身体を仰向けにさせると、映ったものはルルーシュだった。
ひどい形相じゃないか、とスザクは傍らで思う。
そんなに切羽詰った顔をして、何を見ているんだろう。
ああそうか。彼が僕を抱いてくれているのか。
そこに居心地の悪さは、残念ながら感じなかった。憎んでいるのに、だ。殺してやる、と銃を向けた相手なのに裏切られたのに。
否定して否定されたのに、その腕は確かに優しいのだ。
それにルルーシュが、今にも泣き出しそうな顔している。昔、そんなような顔を見た気がする。泣くのを我慢して、なんでもない、て言って。
さっきまで蔑んで憎しみを込めた瞳をしていたのに。
なのにどうしてそんな顔をして僕を見つめるんだ。
胸がこれ以上にないほどに苦しくつまる。傷の痛さではなくて、深く内部で自らを抉るような痛み。
「スザク、」
どうしたらよいのかわからないのか、ルルーシュは真っ赤に染まった腹部を一緒になって押さえて止めようとする。けれどそんなことして止まるわけがない。
彼の手のひらまでもが、汚れた。
あんなに綺麗な手をしていたのに。
僕が汚してしまったのか。
「ルルーシュ、……もう、構うな、よ」
一つの一つの言葉を吐き出すのにも、苦労する。痛みを堪えると、生理的な涙がエメラルドグリーンの瞳からぽろぽろと零れ落ちた。
「構うなよ、もう俺に。構わないでくれ……、ッ」
嗚咽交じりに精一杯に突き放す。
そんな顔をしないで欲しい。
さっきのように、憎しみだけをぶつけてくれていたのならもっと楽なのに。
君がそうだから僕は君を憎めない。中途半端にしか、想えない。
「どうして、撃たなかった。撃てたはずだ、お前なら」
ルルーシュの声が掠れながら震えている。
即死させるつもりなどなくても、スザクなら自分を撃つと思った。
けれど彼はその引き金すらも引かなかった。
「……僕は、ただ、ギリギリまでの努力を、しただけなんだ」
撃ってしまった後からではもう取り返しはつかない。
もうそんなことはしたくなかった。
だから、本当に引き金を引いても良いのか戸惑った。
それだけのことだ。
ただ、自分が愚かなだけだ。
僕にルルーシュを切り離すことなんて、出来なかったんだ。
本当に甘いのは、俺なんだろう。
だからルルーシュに撃たれるのでもなく自分から撃つのでもなく、彼女に撃たせてしまったのだろう。
「早く、行けよルルー、シュ、もう、僕のことなんて、」
せめて君に撃たれることが出来たのなら、もっとよかったのに。
せめて君を撃つ決意があったのなら、もっとよかったのに。
いつも後悔してばかりで、前に進めない。いつだって、過去に囚われてる。
スザクの傍を離れようとしないルルーシュに、彼は奥歯を噛み締めて残った力を振り絞り、銃口を向けた。
それにルルーシュは眉を顰めて彼を見据える。どうして、と悲観するように。
「行くんだルルーシュ!もう、君と僕は関係ないのだから!」
決別だった。
これはスザクからの。
そうでも言わないと、ルルーシュが立ち上がってくれそうにないから。
結果が全てという彼が勝っただけのこと。そして負けたのは俺。
ただそれだのことだ。
ルルーシュが生き抜き、死すべきなのはスザク。
ただ、それだけのこと。
「スザク、お前には生きて欲しかった。生きて欲しかったんだ本当は!違う、こんなことを本当はー、」
「それでも、これが、君の、言う……結果、じゃない、のか」
息が絶え絶えになり、もうこれ以上声を張り上げることは出来そうにない。あとはこの鼓動がいつ止まってしまうのかと、不安になる。
まだ伝えたいことはたくさんあった。
この結果が違うとは言わせない。
君が招いた、結果なんだ。
僕という死も、君の結果の中に眠るんだ。
虚ろになる瞳をルルーシュが追う。だめだと。
伝えたいことはたくさんあった。けれど、もう満足だった。
最期の最期に、自分の中にはまだ友達としての彼がいたということだけが、救いで。
さあ、行くんだルルーシュ。
君は進まなきゃいけない。
そうだろ?
自分でそう決めたんじゃないか。
だから、もう僕のことも「過去」にすればいい。
そうして君は、前へ前へと、進むんだ。
閉じる目蓋に最期の彼を焼き付ける。
これでよかったんだ。
僕は僕の中にある大切なものを失わなかったんだ。
だからー。
僕は引き金を引かない。
彼は僕の、ともだちだから。
僕は今も昔も、この指を引くことはない。
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いつか僕ら、
感覚がなくなったとしても