形あるものが焼け焦げる臭いが鼻を付く。
視界はまるで蜃気楼でも見ているように赤黒くて、灰色だ。
息を吸えば、空気までも熱く地面からも体温とは違う熱さを感じた。

群青色のはずだった空も、燃えている。
全てが。
己の周りの全てが赤い飛沫によって、塵になって舞う。
轟音が鳴り地面が揺れる。
薄らと片目を開けば、眼球が朱色に染まる世界を見た。
もう左目を開くことはなかった。
潰れてしまったその眼からは、血が涙を流しているかのように爛れじくじくと熟れて鈍い痛みを今だに感じさせている。
身体ももう指一本動かすような気力と体力はなかった。
ただ、じっ、と燃え往く現実を見つめた。

これが幕引きとは、滑稽であるようで相応しい。
何者にもなれず、何者でもなくなった自分はここで尽きる。
今の自分がゼロなのか、ブリタニアの皇子なのかはたまたただの学生であるルルーシュなのか。
もう、どれも自分ではない気がした。
名前はあるのに、存在がない。
おかしな話だ。

この世界に幕を降ろしたのも、自らだ。
そうして燃えている世界。
瓦礫が崩れる中一人、ルルーシュは思い出の場所へと辿り着き、座り込んだ。
アリエスの離宮。
それは母と妹と少ない時間を共にしてきた場所。
昔はここにはたくさんの花が咲き誇っていた。
ユーフェミアはその庭園が好きで、姉のコーネリアとよく訪れていた。
クロヴィスは学才には恵まれていたが俺とチェスをしても、俺に負けてばかりでシュナイゼルは唯一互角かそれ以上に多才でチェスも何もかも上回っていて尊敬した。
数少ない、幸せの時間をくれた場所。
みんな笑っていて、俺も笑っていた。
その場所を燃やしたのは、他でもない己だ。
ブリタニアはもう、大国ではない。
ただの一国に成り下がっている。今後、誰がどうしようがもう今のルルーシュには関係のない話だった。誰かが跡を継ぐのならそれでいい。

終わったのだ。何もかも。
そして一人、孤独だ。
燃え朽ちて往くだけで、誰の助けも望めない。ルルーシュは、望まない。自ら残ると決めたのだ。
全ての血が流れていく。
目蓋を閉じれば、そこに映るのは艶やかな緑に青、白にピンクに赤ー。昔のままの枯れてなどいない思い出の故郷。
最期に幻想を夢見ながら逝くことも、悪くはないとルルーシュは唇を緩ませる。

身体の中だけではなく、内側からも発火しているよう。
息を吸うのも吐くこと苦しい。
喉からはヒューヒューと、おかしいな呼吸音。
心臓の音はやけに速い気がした。
手も足も、痛むがその感覚さえ麻痺していまっている。

これでよかったんだ。

もう自分に、憎しみの心はない。
それだけが、救いだった。

孤独になることを受け入れて、果たすべき宿命を懐柔し訪れた刻。
最期の場所が生まれ落ちたところというのは悪くない。

目蓋を開くことさえもう重たくて、ルルーシュは眠ってしまおうと決めた。
自分の心音がどんどんと緩やかになっていくのが、まるで子守唄のようで。
トクン、トクン、と優しい音色。
ああ自分の心臓はこんな音をしていたのだと、初めて知った。

炎がうねりを上げ、耐えられなくなった柱や天井が降ってくる。
その激しい崩壊の音と一緒に、何かが引き摺るような足音が近づいてくることが空気の振動で伝わってきた。
そして名前。
ルルーシュ、ルルーシュ、と弱々しい声が震えている。
重たかったはずなのに彼は瞳をもう一度、信じられない思いで開いた。
その声を知っている。甘ったるくて穏やかでありながら、時には厳しく言及する声だ。
そう、彼とは正反対だった。目指している思想は同じでありながら、馴れ合えぬ道しるべを探していた。

真っ赤に染められた世界に、白い影。
ゆらりと揺れて、その姿は霞んでしまうほどに細かった。
白い影は瓦礫の下で蹲っている少年をようやく見つけると、微笑んだ。
けれどその顔も灰にくすんでいて、かすり傷とは言えない傷口が幾つも身体に刻まれていて満身創痍そのものだ。
ぶらりと垂れた右腕はもう折れてしまっていて使えない。
それでも彼は、笑う。ルルーシュを見つけることが出来たことを嬉しそうに。

なぜ、どうして。

唇がわなわなと震えて、また心臓が高く波打つ。

「スザク……」

なぜどうして!

焦げる吐息に怒りを混ぜて静かに慟哭した。

「君一人じゃ、寂しいと思って」

そう満足そうにいうと、栗毛色をした髪の少年は倒れこむようにしてルルーシュの横へと座った。
スザクとは数時間前に別れた。
二人の戦場での決着はスザクの勝ちという結果で。どんな形であろうと、生き残った者が勝者。
そうさせたかったのは、ルルーシュだ。
しかしこれはルルーシュの勝ち逃げでもあった。
生きて欲しかったから、憎まれてもいいからスザクにはもうこれ以上関わりなくゼロの死ということで憎しみから解放してやりたかった。
憎しみを与えたのも、解くのも自分。
その感情がある限りスザクは俺を見る。俺だけを。
エゴであると、認めてもいい。それだけが、自分とスザクを繋ぐことが出来た。
だから、もう決別したというのに。
最期の最期まで、それだけは自分の大切な感情だったのに。

「別に、君を助けに来たんじゃない」

「なら、なんで、」

ここへ来てしまえば、もう退路はない。動けない自分を抱えて脱出することなど全快であったとしても彼にも出来ないだろう。
ましてや手負い。それも重傷でここまで歩いてくるのにも時間を要しただろう。

「君を、一人にしたくなくて」

紡がれる言葉一つ一つ、スザクも精一杯の力を込めて。
一つも無駄に出来ない。
息をするのが苦しい。
肺が痛い。
もうどこが痛いのか、はっきりしない。
命あるうちに、伝えておきたい言葉を苦痛に耐えながら発する。
熱風にあおられて二人の髪が舞い上がった。
動かすことが出来る手で、スザクはルルーシュの頬に触れて血の涙を流す瞳を見つめる。
まだ残っているワインレッドの眼もじっ、とスザクを捉えて問うている。
なぜどうして。
なぜそんなことをいう。
お前は帰れ。今からも遅くない置いていけ。

お前は生きろ。

そう、命じたはずなのに。

「話し相手、欲しかったんじゃないのか?」

「い、らない、いらないから、お前はーッ」

嗚咽を洩らしながら、頭の中に響く帰れという言葉を必死に伝えようとする。
けれどスザクは澄んだエバーグリーンの色をした双眸で笑い、大粒の涙を零し始めた。

「いやだよルルーシュ。君を一人にさせたくない。これは僕のワガママなんだ。君が嫌だと言っても一緒にいる」

スザクは頭をルルーシュの肩へと擦り付けて、懇願した。
このまま傍にいさせて欲しい。
わがままを許して欲しい。
我慢しきれなくて、掠れすすり泣くスザクの声。

「最期ぐらいは……、二人がいい」

ずっと孤独だった。お互いに。
だから終焉ぐらいはルルーシュとスザク。二人で迎えても、神様には怒られないだろう。
すれ違って逢瀬して、そしてまた別れて惹かれ合って。
分かり合えるはずなのにそれが出来なくて。
憎しみだけが僕らの唯一の方法になっていて。
最期までそんなすれ違いは、ごめんだった。
ルルーシュは、僕に生きる意味を与えてくれた。それが憎しみだろうがなんだろうが、繋ぎとめていた。
ルルーシュだけは知っていてくれた。憎しむことを。ルルーシュだけは、それを咎めてくれる。

そして最期ぐらいは、愛しさだけで突き動いてもいいと、思った。
このまま別々に逝くことはいやだ。

「お前は、ばかだ」

もう隆起することはないと思った溢れんばかりの感情が泣いていた。
愛しくて悲しくて切なくて、後悔している。
ちゃんと言葉にすることが出来ないのが悔しかった。
喉が焼かれるように熱くて、唇からは言葉は継いでない。
もう目は光り失い、スザクの泣き顔も見れない。触れたくても、動いてくれない。
あんなに熱かった身体が今度は急激に冷えていくようだった。

スザクには生きて欲しいのに。
なのに嬉しいと思うのは何故だ。
二人がいいと、告げてくれるスザクの本心に寄り添いたい。

スザク、

薄く開いた唇は、最期に名前を呼ぶようにゆっくりと震える。
ああ、もっとちゃんと、伝えておけばよかったのに。
バカなのは俺の方だ。

「……」

こつりと、甘えるようにして頭を寄せて自分とその鼓動が潰えるまでスザクは名前を呼び続ける。
虚ろになる翡翠の瞳を閉じて、指を絡ませて離れないように。



「ルルーシュ、僕、君を許したわけじゃないんだ。けど、それでも、君のことが好きだってこと。おかしいよね、殺したいほど憎いのに、君のこと好きだなんて、きっと僕はおかしいんだ、もう、ずっと前からおかしいんだろうな……」

繋げた手のひらは、まだ温かい。
温かいうちにこうしてまた感じることが出来たことにスザクは笑っていた。

「……ルルーシュ」




大丈夫だよ。
君は1人じゃない。







も、眠りについた