迂闊だった。と、言うべきなのかそれとも魔が差した、と唱えるべきなのか。
ジノは珍しく難しい顔をさせて考える。まっさらな綺麗な額にしわを作り、口をへの字に曲げて腕を組む。部屋のバルコニーからは広いブリタニア宮殿の庭が広がっていた。
ナイトオブラウンズも宮殿内に住むことを許されている、と言うより待機に近い。ラウンズは皇帝直属の騎士団であり、皇帝が直に持つ駒なのだ。
いつもでもそれを好きなときに動かすためには手元に置いておく。
今も数名のラウンズしか宮殿にはおらず、他は各国へと散らばっている。
新しくなったナイトオブセブンである枢木スザクも、この広い箱庭で部屋を持ち、待機中である。そんな折に、たまたまジノが赤ワインを片手にスザクの部屋に訪れた。
スザクは彼が持っているものをすぐに理解すると、怖い顔をする。いつも仏頂面だというのに、それがさらにきつくなると苦笑いを浮かべるしかなくなる。

「まだ未成年なんだけど、」

と、よい子ぶった答えが返ってきた。
それをジノはにこにこと頬を緩ませたまま、「まぁまぁそんなお堅いこと言うなよ。ブリタニアでは18になれば立派な成人男児だぜ」、と返す。

「自分はナンバーズですから」

やっぱり崩れないその整頓された姿勢にジノは諦めない。

「だからさ、息抜きだよ。俺たちは今、特に出撃命令だって出てない。ならちょっとぐらいいいんじゃない?」

ちょっとだけ、としつこいジノにスザクは仕方なく折れて晩酌に付き合ってやることにした。飲めないわけではないが、好んで飲み気もない。
それがいけなかった、と反省をしているのは仕掛けた本人であるジノだ。
自分はよく覚えている。
スザクはというと、よく覚えていないらしいがしてしまった行為については自覚しているようだった。
そう、あの日の夜にジノは男のスザクを抱いてしまった。
悪酔いをしたからと言って、まさか自分でも男に手を出すとはショックだった……。
そういう趣味だって、今まで一度もない。スザクが初めてだ。
けど、スザクは初めてじゃなさそうだった。
どうして俺はスザクにあんなことをしまったんだろう、と頭の中をぐるぐるさせる。
確かにスザクは男だけど、女みたいに小柄で肩幅だって狭い。それは人種の違いであって、イレヴンである彼が小柄なのはわかる。が、彼の身体はそれとは違い色を醸しているのだ。
だから触れた瞬間、自分の中で何かが弾けて止められなくなった。
抱いてみたい。スザクに触れたい。どんな声を出すのか。スザクの中に、入れてみたい。
そんな衝動だった、気がする。
今となってはそんなこと後の祭りだが。
しかしスザクは「別に、怒ってない」と言って愚行を許してくれた。
それからというもの、何故かスザクは頻繁にジノの部屋に訪れるようになった。最初は驚いた。「何しに来たんだ?」と聞けば、しばらく黙り俯いてから小さな唇を微かに動かせて、「構わない、どうしてくれても」と告げた。
それをどう意味説けばいいのかわからなくて戸惑ったけれど、空気で分かる。
スザクは自分に抱かれに来ていると。
どうしてそんなことを頼みに来るんだろう、と疑問を感じたがその申し入れをわざわざ断るほど自分もバカではない。一度抱いたスザクの身体が忘れなれなかった。
出来ることならもう一度、と。
それが叶うなら、いいじゃないかジノ。と自分に暗示をかける。深く詮索したって、きっとスザクは黙ったままだ。この少年はそういう少年だ。
笑った顔は、一度か二度しか見た事がない。いつも眉を吊り上げて、真面目な表情。
それでもその中に、一抹の寂しさを抱えて。
隠そうとしたって、滲んでる。
偽りなんて、すぐにばれるんだよスザク。
そして今日もまた、ドアがノックされる。
今日もまた、スザクだ。




「こんばんは、スザク」

柔らかく微笑んで、迎え入れてやるとスザクは無表情のまま、するりと部屋に入り込む。すれ違った時にふわり、と鳶色の髪からはシトラスミントの香り。
清潔感があって、スザクの身体からは擦り付けてくるような匂いはない。
それでいて甘いスザク。
カツン、と黒いブーツの音がベッドの横で止まる。
吸い寄せられるように、ジノは彼の腕を掴んで引き寄せて身体を抱く。

「少し冷えてるけど、外にいたの?」

「風に当たっていたんだ」

それでもすぐにこれから起こることを期待しているのか、身体は熱くなってくる。詰めた襟元から覗く練色の皮膚を撫でると、彼の身体が震えた。
スザクはとても敏感で、少し弄っただけでも恍惚した表情を浮かべる。
慣れているようで、生娘のようだとジノは思う。
昔の彼氏に、何をどう教えられてこんないやらしい身体になっちゃったんだろうか、と想像してはなんだか落ち込む。
スザクの身体はまだ、その男に愛されているままなのだ。
いいところを暴いてきたのも、その男。
羨ましい、と思うのと憎たらしい、と思う。
ジノはスザクの細い顎を掴んで上を向かせると、深々とした碧色が真っ直ぐに飛び込んでくる。
本当のこの男は不思議だ。
自棄じみて諦めにも似たものを持っていながら、こんな場所で生きている。
矛盾、て言うんだろうな。

「スザク」

吐息を食んで名前を呼ぶと、双眸が潤んだ気がする。それに惹き付けられて、顔を近づけるとスザクはジノの手を払った。
それに残念そうに眉を下げるジノ。

「まだだめなのか?」

「だめだ、キスは……」

「セックスはさせてくれるのに?」

意地悪でジノの指が耳朶に触れて、そこに唇の熱を感じてスザクが飛び退く。
やっぱりとても敏感だ。
そして問題なのが、キス。
彼はキスをさせてくれないし、してくれない。
キスは嫌だ、と言うのだ。
何故?と聞けば無言ののちに、「どうしても、嫌なんだ」と首を振られる。
なんてじれったいんだろう。
キスなんて簡単な行為を許してくれないのに、肌は簡単に重ねてしまう。
ジノは何度目かの逢瀬にして、何度目かわからない溜息を吐く。

「スザク、こういう関係って何て言うか知ってるか?セフレ、ていうんだぜ」

友達以上で恋人未満で、心の篭った愛の囁きもない性交をする関係だ、こんなの。少なからず、ジノはスザクに対して情を持っている。同情、愛情、友情?
ともかくスザクのことは特別に思っている。が、スザクはそうでもない。
いい加減、自分が引き起こしてしまった関係なのかもしれないが呆れるというより心配になるし、苛立ってもくる。
俺はスザクとそういう関係を望んでいない。
いい友達になりたいし、それ以上にもなりたい。

「スザク」

強引に再度引き寄せて、キスしようとすれば「嫌だっ」と強く拒絶される。その時に後ろに下がれば、絨毯に足元を掬われてベッドへと倒れこんだ。
そこへジノも逃すことなく、覆いかぶさる。

「ジノ、」

「キス、なんでさせてくれないんだ?」

スザクは両手で迫るジノの唇を塞ぐようにして押す。焦ったその顔は、見たことがない。怖がっているようで、本気で怒っている。

「君はそれでもいい、て言ったじゃないか」

最初に断っておいた。
キスだけは嫌だ、と言ったらジノは簡単にいいよ、と言ってくれた。
だから。

「けどそろそろ限界。スザクとキスしたい」

唇に押し当てられたスザクの指をぱくっ、と咥えてやるとスザクの引き攣った悲鳴が小さく、零れる。
とっくに穢れてしまっているのに、キスを守ることで誰かに対する純情でも守っているつもりなんだろうか?そんな乙女チックなスザクだと思うと、もっと可愛らしく見えてくる。
 ランスロットを駆る彼は本当に鬼神の如くの強さなのに、細い腕に女性ホルモンの比率が大きい小さな体躯。
そんなスザクが、愛して愛された瞬間ってどんな顔をするんだろう。
俺じゃあ出来ないのか。
またそう考えて、悲しくなって腹が立つ。
これはスザクと俺の駆け引き、勝ち負け。

「いやだ、ぃやだ、ジノ!」

殴り掛かろうと振り上げた拳は空を切って、あっけなくジノに捕えられる。
その真っ青な絵の具のようなジノの瞳に射抜かれて竦む。

「スザクはどういう覚悟でいつもここに来てた?」

「別に、覚悟なんて……」

覚悟なんてしていない。
けれど、ひどいことをしているとは思っている。
身体から染み付いて離れない彼の匂い。それが気持ち悪いようで、心地良いままなようでどうにかして欲しくて、たまたまジノとそういう関係になってしまったから、利用した。
忘れさせてくれるんじゃないかと。
だけど、それでもー。
スザクは唇を噛むと、視線を背けた。
そこから零れ溢れる懺悔の気持ちと、悔しさと愛しさが交じり合ってわけがわからなくなってくる。スザクの顔が次第に沈んでいき、眦にはジノが見た事がない雫が頬を伝った。
それにどきり、と心臓が跳ね上がる。
スザクが泣いている。
泣かすつもりなんてなかったし、そもそもあのスザクがこんな場面で泣くとは誰も予想しまい。
スザクのその涙は必死に堪えようとしても、もうそれは膨らんで水面から水が零れ落ちてしまうように。
とても愛しいものに見えた。

「いやなんだ、どうしても、わからないけど、どうしても嫌なんだ……」

小さく嗚咽を交えた掠れた言葉。
彼は、ひどく弱い。
それを見せまいといつもいつも、誰の前でも強がっている。
甘えてもいいのに、それをさせてくれない。
どうして、とジノも苦しくなった。

「……そんなに、好きだった?」

誰、とは聞かずにそう曖昧に問う。

「……わからない」

それを聞いて、ジノがふっと笑う。
こんなに身体では知っているのに、答えは「わからない」んだ。
キスを嫌がるのだってそれしかないのに、それでも彼はイエスとは答えないのは認めたくない意地なんだろうか。
無自覚にスザクをそうさせたままの男が、羨ましい。
いい加減、手放してやった方が楽だったかもしれないのにそうさせていないなんて、きっと性格がとんでもなく曲がっているんだろうなと失笑だ。

「悪かったよ。キスは、しない」

それを聞いたスザクは、短い睫毛を震わせて安堵して、慰めにもならない言葉を赤い舌に乗せる。

「僕は、別になんと呼んでもらっても構わない。セフレでもいい、ただ、ジノがそれでもいいのなら、僕はこの関係を続けてもいいと思ってる」

拒んでくれてもいい。
拒まないでいてくれるのなら、それでもいい。
ただキスさえなければ。
ひどいことを言うようになったな、僕も。とスザクは一人笑った。
いっそのこと、君を好きになれたらいいのに。
それが出来ないままの僕の幽閉させたままの心。
ジノが優しく、スザクの手のひらにだけキスを落す。これぐらいなら許してくれるだろ、と言えばやっと彼の表情が和らいだ。


「けどいつか、スザクのキスは俺がちゃんともらうよ」


それは見知らぬ恋敵への、宣戦布告。
 










                               


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