眠れない夜は昔の思い出を抱いて眠る。学友たちが皆笑っていて楽しそうで、それを見ているだけで僕も気分が良くなっていいのかなと思いながらも安堵できた。
そこにはいつもいた彼の姿。綺麗に微笑んで、名を呼ぶ。
けれど今はそんな虚像など抱いて、眠れなかった。
過去には幸せがあった。けれど今となってはもう、黒く滲んでしまっていて見えない。見たくない、とさえ拒絶する。
窓から見上げる夜空はあの地と変わらない。心地良い風にくせ毛の髪が揺れる。部屋の明かりは小さくしていて、ほんのりとした橙色に照らされている。
寝室にバスルーム、それと小さなバルコニーが付いているスザクの部屋。ナイトオブラウンズだからと言っても、部屋がいきなり大きくなるわけでも豪華になることもない。
長い遠征に出なくていけないこともあるため、本当にここには寝に来るだけのようなものである。いつもはラウンジの方で召集会はされるし、食事だって同じだ。
スザクはあまりそこには長居をしない。意外に勝手なもので、特定の誰かと連れ立ったり出かけたりとはしていないように見えた。が、ジノは違う。
彼は何かと話しかけてきた、出かけようだの、散歩しに行かないかディナーを一緒に取らないかと、周りを気にすることなくしゃべりかけてくる。応じることもあるが仕事中に関係ない話を持ち出されると一切無視してやった。人懐っこくて陽気に彼だが、ラウンズの中では名の知れた将である。
変形型のKMFに搭乗していると聞いたときには驚いた。KMFの正式な訓練を受けているわけではないスザクだが、通常の機体よりも操作が難しいというぐらいは知識で知っている。
ジノはどうして僕なんかに構うんだろうか。
構わないでいてくれた方が楽だし、あっちだって構ったとしても面白みなんてないのだから最初だけでいいのに。それでも今でも、スザクスザク、と嬉しそうに呼ぶ。
そんな彼に隙を見せてしまったのは、いつの話だったか。いつの間にか慣れてしまっていることにスザクは小さく息を零す。
すると部屋の扉が数回ノックされた。
夜も更けてきて、誰もが寝静まっている時間に訪ねてくる者など限られてくる。緊急の召集ならラウンズ専用のベルが鳴るからそういう類ではない。
スザクは誰か検討が付いてしまい、どうしようかと迷った後に仕方なく扉を開けるためにベッドから起き上がった。ロックを外して開ければやはりそこには知った顔が待っていた。

「こんばんは、スザク。まだ起きてたんだな」

「まだ起きてたんだな、と言うなら来ないで欲しいよ、ジノ」

軽く見上げなければならない長身で金髪の男が立っている。襟足からはチャームポイントと言いたくなるような三本の三つ編みされた髪が垂れている。
迷惑そうに睨まれたジノはまったく悪びれる様子はなく、「入ってもいいか?」と言いながら勝手に足を踏み入れた。

「そんなつれないこと言うなよ、スザク。相変わらず殺風景な部屋だな、こう、絵とか飾ってみれば?」

「遠慮しておくよ。君みたいな趣味はないから」

ジノの部屋は同じ間取りのはずなのにやけに華やかだ。クローゼットは特注で有名な職人に作らせたものだとか絵画もいくつか飾ってある。初めて行った時は、さすがはお坊ちゃま、と零すところだった。
それにしても勝手にお邪魔しますとやってきたジノにスザクはあからさまに不機嫌になる。彼が歩くたびに後ろ毛の三つ編みが揺れた。

「で、君は僕に用事があってきたのか?」

扉を閉めて、寝室へと歩いて行ったジノを追いかける。ジノはまるで自分の部屋かのようにくつろいで、スザクが来ると手招きをした。

「スザクが今日は部屋に来ないから」

そう言われると、スザクの頬がほんのり赤くなった。

「だから今日は私から夜這いしにきた」

「堂々と来ることは夜這いとは言わないよ」

矛盾してる、と溜息。別に今夜部屋に行かなかったからと行ってわざわざ訪れてくるなんて、そんなに求められても困るとスザクは視線を彷徨わせた。

「それに、一昨日は君の部屋に行ったじゃないか。そんなに毎日、行かないよ僕だって」

夜になってジノの部屋に訪れてやることと言ったら一つしかない。そして今も、その目的があって彼はここに来ている。別に珍しいことではないけれど、最近はずっと彼の部屋に僕が行っていた。

「いつもスザクに合わせてる。たまには、いいだろ?」

確かにそう言われても仕方ない。
それにだからと言って拒むつもりもスザクにはなかった。自分とジノはそういう関係だからだ。

「明日も朝早いのにこんな時間まで起きてるのは、眠れないとか?」

ちらっ、と壁掛け時計に目をやれば深夜二時を回ってしまっている。明日は朝からEUとの長引いている戦役に関する軍事会議が行われる。それに残っているラウンズも出席することとなっていた。
もちろん、だからスザクだけではなくジノもそこに出席しなければならないのだからこんな時間まで、とはお互い様である。

「君こそ、僕が恋しくて眠れなかったからここに来たんだろ?」

挑発的に投げ掛けて、白い燕尾のジャケットを脱いで椅子へと掛ける。黒いインナーとズボンだけになければ身体のラインはひどくはっきりとしてそれだけでそそられる魅力があった。男にしては括れた腰と、細く肉付いた脚。首筋もすっきりしており、それでいて顔は童顔なのだから思わず可愛い、と例えてしまう。

「スザクには敵わないな」

薄闇の中でも綺麗な光彩を放っているエメラルドグリーンの瞳。その持ち主をベッドへと呼び込む。ひたり、ひたりと裸足の一歩を進めて彼の手と手を絡めると力強く引き寄せられる。
柔らかいベッドが軋んで沈む。
スザクはシーツの上に膝立ちになって、滅多とない位置で半立ちになる。両手をジノの肩に置いて、俯きかげに見下ろした。優美に見つめる空色の眼は、今は夜だというのにそこだけは太陽の明かりが挿している光景に見えた。
それほど彼の瞳は澄んでいて綺麗なブルー。
ジノの手が腰に触れ、ゆっくりと脇を撫で上がる。ただ触れられているだけなのに、悪寒に似た痺れが背中を駆け上がる。くっ、と堪えるために唇を噛む。それを見ていたジノが、喉で暗く笑ってその唇を指でなぞった。乾いてしまっている唇は次第に湿ってくるだろう。あられもない声を洩らしながら。
見つめることしか出来ない唇でそう妄想しながら、ジノはインナーのチャックを下げる。ジッ、と鈍い音がまたなぜかいやらしく感じる。

「あっ、」

肌蹴させたインナーに手を忍ばせて、薄い胸板を円を描いて擦る。それからそこの色づいた突起を見つけて、親指と人差し指の腹の間に挟んでやると、白い歯の間から洩れた小さな声。
やんわりと最初は摘んでやり、時々強く引っ掻くとスザクの肉体が甘美に震えた。弄っているうちに堅くなる肉の突起。ジノはスザクの腰に手を回してもう少し互いの間をなくすと、尖った乳首を口に食んだ。

「あっ、ぁン」

反射的に逃げようとするスザクの身体をしっかりと捕まえて、母乳は出ない突起を吸う。生温かくて別の生き物みたいに蠢くジノの舌にスザクは慄く。
肩に置いた手のひらに力が篭り、声を殺そうと必死になる。
それでも直接響いてくる官能を振り切ることなんて出来ない。
乳嘴を丁寧に舐め回して、歯を立てるとスザクが鳴いた。乳首を吸いながら、スザクの表情を見上げれば誰にも見せたくないほどに艶やかで扇情的だった。
まだ身体の中心部に触れてもいないのに、深緑を熟させて頬を紅潮させている。今からでも中に突き入れてしまいたいという衝動に駆られそうだ。
それでもじっくりと、焦らすようにしてジノは胸への愛撫を施す。

「……なぁスザク、お前ってほんと、慣れてるよな男に触れられるの」

しかし一度唇を離すと、指先で捏ねくりまわしながら呟いた。それを聞いたスザクは、首を傾けて眉を顰める。

「……別に、」

せっかく気分が高揚している時にそういうことを聞くのはルール違反だ。慣れてるな、と言われて喜ぶ趣味はスザクにはない。そうだとしても、ジノは話を続けた。

「前のカレシ、どんな奴だったの?」

ひくん、とスザクの肩が震える。触れてはいけない話題、ということは知っている。だがあえて今、ジノは聞いていた。スザクがどんな経緯を得てここにいて、自分と戯れているかなんて聞かないと決めていたのは自分だ。
しかし気にならない、というのは嘘になる。
ジノは嘘が嫌いだ。だからいつか聞いてみようとはずっと思っていた。

「……そんなのはいない、」

だが頑なにスザクは口を閉ざす。

「君は過去の男とかを調べないと付き合えない性格なのか?」

さっきまで色づいて喘いでいたとは思えないほど、低くて不満たっぷりに刺々しい声色。

「そういうつもりじゃないさ。けど、カレシがいないっていうのにこんなにやらしい身体ってことはただの淫乱ちゃん?」

悪戯に笑みを含んだその言葉に、スザクの熱が冷えていく。あんなに滲んで気持ち良さそうだった碧の瞳の灯火がなく、据わっている。
どうして彼がそんなことを言ってくるのかわからなくて、腹も立つし悲しくもなった。

「誰が。バカにしているならもういいよ、放して」

ジノの手を払ってベッドから降りようとするスザクを慌てて引き止めて、「してないって」と謝る。

「だって、いつも寂しそうな顔してるじゃないか」

俺を見ているのか見ていないのか、わかなくなる。そしてその向こうに、誰かを想っている。

「誰か、恋しい人。忘れられない人がいるのかなー、て思ったんだ」

ジノとしてもそんなことを言うのは寂しかった。スザクがいつ、自分を見てくれるんだろうかと気長に待つつもりで話してくれるのも持とうと思った。
けれど、今日の召集で出たブラックリベリオンの話を聞いているスザクの表情は、険しくて焦がれているものだった。必死に抑えようとしていても、些細なその変化に気付いてしまったことを後悔した。
たぶん、気にしなければ過ぎたことだ。わざわざ抉らなくてもいい話だ。
ただ、スザクが俺のものになってくれないという嫉妬だ。

「いい加減にしてくれ。萎えた、もう気分じゃない」

ジノを見下して、逃れようともがくが彼は放してくれそうにない。

「図星?そんなに大切だったのに別れてきちゃったんだ?」

珍しくジノの言葉の節々が尖って聞こえた。

「っうるさい!僕にそんな奴はないないッ、淫乱と罵りたければそうすればいい!」

涙交じりの悲鳴。スザクを傷つけるつもりで言ったんじゃない、と遅い罪悪感に飲まれて視線をそらした。

「君には何も関係ない。何も、知らないくせに……」

練色の肌が興奮したせいで赤くなっている。最後に呟いた言葉は、今にも消え入れそうで震えた声だった。ジノはもう一度、彷徨わせていた視線をスザクへと戻す。
強い青に、身が竦みそうになった。

「ああ、知らない。スザクのこと何も知らない。だから知りたい、て思うんだ。隅々まで、知っておきたい」

決して折れないその光は、どこから湧き上がるものなのか。
知らないのは当たり前だと開き直ってみせて、それでもなお知りたいと願う。自分の過去など知ってどうする。ルルーシュのことなど知って、彼はどうする。
彼の素質である天然の明るさと真摯な言葉、嘘のない瞳。僕たちは生まれた場所も生きてきた場所も、思うことや能力だって全てが違う。
(違うから惹かれる?)
いいや、そんなことー。
(本当に?)
わからない自分すらも。彼と終わったのかさえ、曖昧だ。
スザクは答えられず、唇をきつく結う。

「スザク?」

優しい音色で問いかける。
うるさい、とそれを一蹴する。

「出て行けよここから、君が出ていかないなら僕が出て行く」

「えっ、待ってよスザク」

「放せよ、放して。そんなお節介、もう僕にはいらない」

このままでは頭の中がパンクして涙腺が破れてしまう。ここから逃げ出したいのにジノの逞しい腕に掴まれて、結局は元の体勢に戻されてしまう。
どうして話さなきゃいけないんだ、君がそれでもいいと言ったんじゃないか。なら拒んでくれ。頼むから、惑わさないでくれー。
彼の両手が頬に触れて、ごめん、と償いを零す。

「悪かった。ちょっと、大人気なかったよな……少し、スザクを困らせてやろうと思っただけなんだ」

今困った顔をしているのはジノの方だ。下手してスザクに嫌われたらたまったもんじゃない、とどう謝ろうと言葉を探しながら。

「スザクに想われてる奴が、羨ましかったんだ」

そして素直にそう吐く。それが現在進行形だとしても、終止符が打たれていたとしてもスザクをせいいっぱい愛してスザクもそれに応えていたんだろうかと思えば悔しいな。
それよりももっと大きな愛でスザクのことを包んでやる自信はあるのに、スザクがそうさせてくれない。

「……そんなにいいものじゃなかった」

ぽつりと呟かれた言葉は聞き逃さなかった。
切なげに眉を寄せて、奥歯を食い縛る。
スザクは嘘つきだ。それも稀代の大嘘つき。
嘘つきは嫌いだけど、彼が持つ嘘は純粋で強がりだから好きだった。
けれど、そんな偽善と後悔にまみれた過去を今も微かに見続けて囚われ続けているスザクが哀れだ。そうじゃない、と否定したって心は嘘を取り繕えない。ジノはスザクの翡翠色の双眸を見据えながら言ってやる。

「スザク、人は過去があるから生きていけるけど、過去だけでは生きていけないんだ」

いいものじゃなくてもそれがあるから今のスザクがいて、いいものだからこそそれだけで生きていこうとしないで欲しい。
ジノのその台詞に、スザクの顔がくしゃりと崩れた。彼の言葉が、重い。どんな告白よりも、熱くて苦しくて、切なくなった。
スザクはその場に座り込んで、ジノの広い胸に頭をすり寄せた。
わなわなと唇を震わせて絞る声。

「そんなこと、わかってる」

か細く虚勢を張る。
過去しかなかった自分を見てくれた人と、過去をいまだに拭えずに溺れている自分を助けようとしてくれる君。
僕は、何が欲しいんだろう。
きつく閉じた目蓋の裏が熱くなる。

「わかってるんだ、」

それでも僕はまだ、迷い続ける。この名のない迷宮を。












                                   


あの日の代価は今日の