スザクが上着をソファに掛けて窓を開けると扉をノックする音が聞こえた。外からする声は、「俺だよスザク」と明朗で実に楽しげなジノの声がする。
一つ息を吐いて、仕方なく扉を開けてやり背の高い彼をうんざり顔で見上げた。
さきほどまでは白いパイロットスーツだったが、着替えを済ましラウンズの制服に戻っている。一汗掻いてすっきりした、とでも言いたげな爽やかさ。
政庁内で派手に立ち回りをKMFで繰り広げられたおかげでエリア11に赴任している者たちからし早速厄介者のような目で見られているのに彼はまったく気にしていないようだ。
それより執務官から破損部分の修繕費や報告書を書かなくてはならないという仕事までジノは増やしてくれたおかげで気分はよろしくない。
自分が止めに入ったからまだよかったものの、あのまま続けたらグラストンナイツからもラウンズとはいえ相当な反感を買っていただろう。

「よぉスザク、学校は楽しかった?」

だがそんなスザクの気疲れなど知らず、初めてみるスザクの学生服にジノは興味津々だった。いつものように同じ白い燕尾のラウンズ服ではなく黒と金で統一されたシンプルな学生服はスタイルの良さを強調させている。
品行方正な少年、という型枠がスザクには似合いそうでジノはにやにやとした。ラウンズ内でもバカが付くほどの真面目さは証明済みだがそこから離れた場所でも姿勢が変わらないスザクらしい。
そういうジノも本国だろうが初めて訪れたエリア11でいきなり政庁で戦闘を始める奔放さも変わらないのが、彼らしいと言えばそうだが。

「別にどちらでもないよ。けど、久しぶりに会えた顔があって嬉しかったけれど」

「なんだ、ちゃんとスザクにも友達がいるじゃないか。てっきり私は天涯孤独の身だから私がスザクと仲良くなってあげなきゃいけない、て思ってた」

「それはどうも」

顔色一つ変えずに冗談をも真顔で返されて、ジノは肩から力を抜く。
久しぶりの故郷だというのにスザクの態度はますます尖るし頑なだ。いや、この地だから、だろう。ジノはいつも戦地から本国に帰国し、空気を吸うと帰ってきたという安堵に包まれる。
だがスザクは違うのだ。
祖国の空気を心地良いとも思わず、そして受け付けることもなく受け入れられることもなく弾かれている異質なもののようだった。

「わざわざ復学しなくてもよかったんじゃないのか?私たちはラウンズなんだ」

スザクが部屋の奥へと足を向けるとジノもそれに付いていく。
春らしい柔らかい風が窓から入り、彼の黄金色の髪を揺らす。

「学校に行ってね」

突然、スザクがぽつりと呟いた台詞はどこか不自然だった。

「?」

まるでそれはスザクの言葉ではなく、別の誰かのものを口にしているようで、ジノは首を傾げた。
スザクは濃い緑を細めて切なく笑った。懐かしむように、それでいて引き攣った頬で。

「大切だった人の願いなんだ」

ジノにはそれが誰の事なのかは分からない。ただ、どうしてスザクがラウンズでありながらも学生として戻ろうと思ったことが垣間見れる言葉ではあった。
彼女が見れなかったものをスザクは取り戻したい。
彼女か出来なかったことを、せめて成してあげたい。
スザクには強い意志があった。それを前に押してくれたことへの感謝と手向けだ。
これは復讐なんかじゃないんだ。
ジノは、「そう」と軽く頷いてスザクに微笑む。

「スザクは何着ても似合うんだな、ラウンズの白も制服の黒も」

そういうとするりと長くて逞しい腕をスザクの首へと回して、肩を抱く。上目のスザクの視線と出会い、ジノはにこやかに「なぁに?」と返す。
彼に暑苦しいだの鬱陶しいという言葉は通じない。
ぎゅっ、と抱き締められてスザクは息を零した。
久しぶりに会った友達―。リヴァルやシャーリー、ミレイさんまでもが歓迎してくれて懐かしんでくれた。もちろん、ルルーシュも。彼の場合、それが本当なのか嘘なのかは今日だけでは分からなかった。
優しいあの笑顔、スザクと呼ばれる懐かしい声に、半凍結していた心が震えた。
わかっているのに、僕はまだ捨てきれないで残してしまっていた気持ち。それが、判断を鈍らせるんじゃないか。
もしもルルーシュの記憶が戻っていたら何をすればいい?戻っていなければ、僕はまた偽りの友達を続ければいい?
どちらにしろ、傷つくのは僕自身だ。君じゃない。そして酷いのも、僕だ。
ジノの腕が重くなってきて、乱暴に払う。

「疲れてるんだ」

冷たく、一人にしてくれと言い放つ。そうでもしないと、何か腹に煮えているものをぶつけてしまうかジノに縋りそうになるから嫌だった。
こういうときの人間ほど弱る生き物なんていない。

「私はいろんなところに行ってるから時差ボケとか慣れたけどスザクは慣れてないからな」

しかしジノは部屋から出るために踵を返すのではなく、ソファに座った。それを視線で追っていたスザクの目の色が不快そうに色を強める。それに気付いていないのか、わざとそうしているのかスザクには分かっている。

「ジノ」

「今のスザク、とっても怖い顔してるけど困った顔もしてる」

スザクの眉間にしわが寄って、「それは君が居座ろうとしているからだ」と即答する。窓からの風はやまず、ずっとスザクのミルクチョコレート色の髪をふわふわとさせていた。
それなのに睨むような瞳と華奢な肩、細い手、体、足はアンバランスでジノは苦笑した。大きな瞳はいつだって真摯で前を見つめ、時折振り返り歩いてきた道に寂しく曇る。そんなに強がり張って我慢して誰にも胸の内を開けずに黙っている姿なんて、可哀相で守ってやりたいという欲が疼く。
同情とは違う愛しさがある。

「何かあったの?学校で。嫌な友達にでも会ったとか」

俺に話してみなよ、と何の壁もなく接してくるジノにスザクは拳を握りそんなんじゃない、と首を振った。その濡れたエメラルドグリーンは色彩を落としていく。
君には関係ない、出て行ってくれと言えばいいのにそれが口から出てこない。
もう彼は関係なくないのだ、スサクの中では。勝手に巻き込んでいる、自分とルルーシュとの間に。

「スザク、」

佇んでいるスザクの腕を掴んで、自分の膝に座るように促す。
しなやかに付いた筋肉の腿へと下ろされると自分とジノの体格差を見せ付けられているようだった。いつだってそれはベッドの中でも感じているもの。
彼は美しい人だけど、この人は逞しいという言葉がよく似合う。あと美形、という言葉も。
ルルーシュとは違う。彼との関係はいつだって不安定だったけれど、愛しさは誰よりも大きくてかけがえの無い自分の一部だった。ジノは何でも受け止めてくれる大きさと安堵を求めてもいい気がする。与えくれる愛は嫌味がなくて、純粋で憎むことなんて出来ないぐらいに自分の行動に自信と自由さを持っている。
胸に飛び込んでおいで、と言われてもスザクにはそう出来るわけがなかった。
頬と頬が擦れて鼻先にキスされる。それから目尻に額。

「別に嫌な事なんてなかったのに慰めてくれてるつもり?」

返事をしないことに対してのジノ触れ方がくすぐったい。

「スザクは慰めて欲しい?」

スザクは広い背中に手を回して、額と額をくっつけると間近で混ざり合う色の青と碧の灯火。

「質問を質問で返さないでくれないか」

「だってスザクが物欲しそうに顔して訴えるから」

指先で背中に垂れている三つ編みを弄りながら、スザクは「してない」と唇を尖らして言う。それでもほんの少し息を上げて、頬が赤く染まっている。
目蓋を伏せるとルルーシュのアメジスト色の瞳が二つ、浮かんでは消えた。彼は何を知っていて、どういう目で僕を見たんだろうその綺麗な色で。
覚えているの、それとも忘れたままなの?
視線が出会ったときあんなにも落ち着いていられたのに、他人の熱を感じているときほど、恋しくて憎いと思ったことはない。息が苦しくなってくる、胸が痛くなってくる―。
もう引き返せない。もう戻れない、と戻りたいとも思わないと決めたのに。
スザクはジノの肩口に顔を埋めて唇を噛み締めた。
悔しい。ルルーシュとの再会はそんな気持ちにさせられた。

「君に嘘付いた。本当は学校なんて嫌なんだ、あそこにはたくさん思い出があって会いたいと思っても会ってはいけない人がいるんだ。大嫌いで大嫌いで、赦せずにいる人」

そして忘れることなんて出来ない大事な人。
ジノの温かい手のひらがスザクの肉のない背中を撫でる。

「スザクにそこまで嫌われてる、て私以上に酷いことしたのかなそいつは。スザクを悲しませる奴は私が懲らしめてやるよ」

大好きな君のためならと、けらけらと軽い口調で笑っているけれど、それが冗談であることを分かっているスザクの口端も緩む。スザクのくせ毛がジノ頬を掠めて、触れ合う肌の熱。
きっと僕は彼に赦してもらえないだろう。
してきたことも、これからすることだって。
それでも僕は許しを乞わないことを決めた。もう、君と僕は違うのだと。同じ道は、潰えんだ。誰のせいでもなく、自らの手で。物語は続くけれど、君のものではなくて僕だけのストーリー。君の出番は、ファーストシーンだけ。
もう僕と君にはあの頃のような時間はない。二度と訪れない。
そんなもの、今更君が望んでいるとも思えない。
君の記憶は真実だろうか。いつまでも偽りのまま、僕が君にしたことも君が僕にしたことも忘却の泉に沈めたまま。それが君のためだと思ったけれど、そんなのやっぱり酷い話だ。
幾多に重なる嘘を積み上げて出来たたった一つの真実はスザクの中で昏々と眠り続けている。

「ジノ」

名前を澄んだテノールに呼ばれてまた「なぁに」と甘えた声が答える。スザクはそれから少しの間を空けてから、唇から言葉を紡いだ。その言葉はジノとって意外なもので驚きにスカイブルーが丸くなる。

「……もう少し、このままで」

耳元で響いたその旋律に、ジノはスザクには見せられないけれど満面の笑みを浮かべて頷いた。まるでそれは太陽に向いて咲く花のように生き生きとしていて眩しさに溢れて。
大好きな君のためだったらいつまででもこうして抱き締めてあげていたっていい。
それで君の心が休まるのなら。

「スザクってクールなのに、私と二人きりのときはたまに甘えんぼさんなんだな」

「煩い」

「照れたってだめだぜ、可愛いだけなんだから」

「煩いったらうるさい」

「はいはーい」

くすくすと零れるジノの笑いにスザクは彼の背中を思いっきり苦しいぐらいに抱き締めてやると、「ギブギブ!」と悲鳴を上げる。結局、ジノに縋ってしまったことが情けない。この大きな懐はとても心地が良くて、思わず寄り付いてしまうのだ。
薄ら開いた翡翠の眼は窓から見える夕暮れを見つめながらまたゆっくりと閉じていく。
今は何も考えないまま忘れて、ジノに抱かれていたい。
限りない青い瞳は、無条件で僕を包んでくれる。
ここにある腕だけを掴まえてごめん、と謝りながらそれが今出来る精一杯のスザクの甘え方だった。













                                  


限りないあおいろ