「雨だな」

円形になっている庭園の宿舎側の廊下に佇む小柄な少年を見つけた。彼はじっ、と何をしているわけでもなくどこを見ているかもよく分からなかったけれど薄暗い空から振ってくる無数の雫を眺めていた。途絶えることなく断続に続く雨足は、石の上を跳ね水面に沢山の波紋を作り全てを濡らしてしまう。
音だけはずっと奏でられているのにうるさいとは感じない静寂さ。
閉ざされてまるで世界には二人っきりだ。
彼へと一歩踏み出せば、緑色のマントの裾が湿気を含んだせいか重たく揺れる。
静かな時を崩してしまうのが躊躇われたが、一声発すると真っ青なマントを羽織ったもう一人の少年が綺麗な瞳をこちらに向けた。
こんな雨の中、庭園には誰もいない。人が蝶や鳥もいない。
正直、華やかさが欠けた庭など楽しい場所ではないとジノは首を傾げ、「よぉ」と沈む空気の中で張りのある挨拶を彼へと掛けた。
青いマントに鷲色のくるくるとした巻き髪、そして瞳の中のエメラルド色も雨と同じようにしっとりと濡れていて、小さな桜色の唇が吐息と共に彼の名を舌に乗せる。
ただ名前を呼ばれただけなのに、艶が含まれているようでジノの心臓が小さく、跳ねた。
誰もいない夕暮れの雨の廊下の灯火は薄く、どこか怖くてあやしい色。
その中に一人溶け込んでいる彼ー、枢木スザクの傍へと辿り着く。

「うん、」

何秒かの静けさがあって、帰ってきた返事はなんとも簡潔なものだ。
短い睫毛を震わせてジノからまた視線を雨へと移す。
さきほどより強くなった雨の音。

「あまり外側に出るとスザクもマントも濡れるぞ」

腕を組んでスザクより一歩後ろに立つ。
しかしスザクはそんなジノの忠告など気にしていなかった。
斜めに降ってくる雫は、微かにスザクへと注いでいた。

「雨はやだねぇ、湿気で髪も纏まらないし服も無駄に濡れる。外に出て日向ぼっこもできなきゃ元気に走り回れない。雨の日は調子悪い」

「君のその言葉はまるで子どもみたいだねジノ」

柔らかいトーンの声がくすりと笑った、気がした。
以前、視線は雨ばかりでジノを見てくれはしないが。
ジノは晴天に恵まれた時の空のような澄んだ瞳の色を細めて笑った。スザクは雨を眺めていることが楽しいんだろうか?
冷たくて、時には強く打ち付ける天からの雫を一度も感情を込めて眺めたことなんてなかった。

「スザクは雨が好き?なら私も好きなれるよう努力しなきゃな」

すっと、何の躊躇もなくスザクの肩を抱いて顔を寄せる。スザクの頬はいつまでここにいたんだ、と思うほどに冷たくて火照っていた。
何故かジノの喉元が、猫みたいに心地良さそうにごろごろと鳴った気がした。
大好きな人に触れてその肌から伝わる汗と体温はぴったりとジノへとくっつく。

「別に好きというわけでもないよ。ただ、残音なようで落ち着ける雨の音がひどく恋しくなる時があるんだ」

ふぅん、とジノは唇を柔く尖らせてもう一度、スザクの視線の先を見やる。
大きな腕に抱かれたスザクは嫌がりもせずに体を預けた。背中から伝わる体温は温かくて冷えてしまった体には丁度いい。
ぽつぽつと爆ぜる雫が、スザクの頬にジノ髪へと落ちてくる。
このままどしゃぶりの中走り出してみたくなる。
体中に雨を受けて、感じたかった。
生きてる、ことを。
僕はここにいる、てことを。
ジノの吐息が耳に掛かりスザクの双眸が少しの熱を孕み、迷惑そうに彼を見上げたがジノにとってはそれは怒っている素振りとも困っているとも受け取らず意図を持って仕掛けてくる。

「ブリタニアの雨の日の夜はすごく冷えるよ。部屋来る?」

さり気ない誘いの声に、スザクは聞こえるように溜息を吐く。
遠慮する、と言っても結局は駄々を捏ねられて招かれるはめになるんだろう。素直に頷いてやるのがジノへの優しさ、というものかなとスザクは自嘲する。
恋しいのはあの日の雨なのか、誰かの熱なのか。
今の僕にははっきりとわからない。
雨の中、繋いで引いてくれた彼の熱が今でも細胞の一つ一つを壊しているようで少し恐ろしい。

「アーサーがいるから寒くないけど、たまには君でもいいかな」

そう、意地悪に告げてやるとジノはくしゃりと嬉しそうに顔を崩して笑った。
それが雨だというのに太陽のような明るさに見えて、つられてスザクも頬を緩める。
隠れてはいるけど、ずっとそこにある大切な光。
その眩しさに焼かれないように、僕はそっと焦がれ痛む気持ちを奥へと繋ぎ止めておく。
ジノがスザクの手を取り、おいでと誘う。
広くて温かくて、力強い手だ。
スザクのことを慈しんで愛してくれる手。
その手を軽く握り返して、スザクは最後にまだ上がりそうにない雨を見上げた。


(俺が傍にいてやるから、と言った君はもう僕の傍にはいないー。
それってすごく、やっぱり寂しいことだよねきっと)














                               


蒼炎に滲む雨