枢木スザクはどうして自分がここにいるかわからなかった。
ぱちりと目が覚めて、見上げた天井の色はパール色。肌触りのよいシルクのシーツに、潮風に揺れる純白なレースのカーテンはベッドを囲っている。一人で寝るには勿体無い広さで、自分だけではかなり余ってしまう。
これは所謂お姫さまベッド、と呼ばれるものだ。
頭上にある大きな窓からは淡い太陽の明かりが差し込む。
確か、とスザクがここで目覚めるまで記憶を思い出してみる。
そうだ。ブリタニア宮殿の政庁にいつものように出向けば、いつものようにジノに絡まれてティータイムに誘われた。

「そこから記憶がない……」

スザクは眉間にしわを寄せてみるみるうちに表情を困惑から怒りへと変える。まさかジノに一服もられたんじゃないだろうか。それ以外考え付かない。なんのためかは知らないが、意識の一部が欠落している、ということはそういうことだと決め付ける。
次に体を起せば自分の姿に驚いた。ラウンズの衣装ではなく、白い大きめな半そでのシャツと麻のラフなパンツ。カーテンをくぐり、裸足の足をフローリングの床を歩いてベランダから見える一面の青色をその翡翠色の瞳に映す。
雲ひとつない空の青とマリンブルーの海。
一体全体、これはどういうことだと頭を痛めていれば、そこへジノがやってきた。ばっちり目が合って陽気に「おお、目覚めたかスーザクぅ」、と言うものだからスザクは目を吊り上げ睨む。

「ジノ、君がここに連れてきたのか?」

唇を曲げて唸る、がジノはそれでも澄ました顔で笑って頷く。軽い足取りでスザクの前まで来ると、金色の透き通った外に跳ねた髪がゆらゆらと揺らめいた。

「スザクを攫ったのは間違いなく、この私でございます」

と、調子のいいことを言うものだからますますスザクは腹を立てる。はいそうですか、と納得出来ることではないから一から一〇までの説明を求めた。
そういうジノの姿もラウンズのものではなく、真っ赤な色をしてそこにプリントされたハイビスカスの花のアロハシャツは派手としかいいようがなくて、下は短パンだ。胸のポケットにはサングラスが入っていて、まさしく南国からやってきました、というバカンスそのものだ。
突っ込むのも面倒だから何も言わないが、言ったところでそのセンスが今すぐどうとなるわけでもない御曹司さま。

「ごめんよ、スザク。一度でいいからお前を攫ってみたかったんだ」

「攫ってみたかったって……睡眠薬なんて使ってこれは犯罪行為だよ、ジノ。軟禁だ」

まるで囚われのお姫様を悪の手から救い出した、とでもいいたげな潤んだジノの双眸にスザクは腰に手を当てて呆れた声を漏らす。

「軟禁ってそんな大袈裟なこと言わないでくれないかい?せっかくスザクと数少ない豪華な休日を過ごそうと思っているのに」

甘えた声を出してスザクより大きな体をしているのに縋り付いて、抱き締めるとちょうどジノの胸が顔面にぶつかり苦しい。それを引き剥がして、スザクは休日ってどういうことだと眉尻を微動させた。

「特別に私とスザクで休日申請をしておいたんだ。あと二日はここでゆっくりしていられるぞー、ゆっくりスザクも羽を伸ばすといい」

「いやだから、そうじゃなくて」

「何か問題でもあったか?」

「大ありだよ!睡眠薬入りの紅茶で拉致されて勝手に休日申請して、どういうつもりなんだ。僕はまだ仕事があったのに」

叱り付けるように言葉の端を尖らせると、ジノも頑として譲らないと肩を掴んで、「どうしても今がよかったんだ」と真顔で言われしまいスザクはさらにどうしたものかと戸惑う。
ジノに悪気なんてないだろうし、それにきっと自分を心配してくれての行為なんだろう。迷惑、と思ってもそれを言い返すのは気が引ける。
彼が突拍子もないことをするのはもう慣れたものだ。

「大丈夫さ、仕事だってちゃんと私がやってきてやったし休暇申請も下りているんだ」

スザクは真面目すぎる、とジノがスザクの頬を擦る。愛しさに溢れた瞳も向けて。
そんな風に見られてもスザクは冷めた目でジノを見上げるしか出来ない。

「ここはどこ?」

もう一度、ベランダのガラス扉から見下ろすことが出来る景色へと視線をやる。キラキラと太陽の輝きに海は揺れていて、潮の香りを風が運んでくる。広くてジノの瞳と同じ色はどこまでも続いていてどこに繋がっているのだろうか。
停泊しているヨットもたくさん見えて、ここだけではない建物が凸凹と立ち並んでいてどれもパズルのピースのように、美しいこの海岸線に似合っているものばかりでここがリゾート地だということがよく分かる。
自分とは一生無縁の景色、と言ってもいいほど。
ジノはスザクの肩に手を回して抱き寄せると、「ここはカリブ海だよ」と教えてくれた。ブリタニア本国の下に位置するフロリダ州に面する海は数多くの諸島が存在しており、クルージングにダイビング、カジノとなんでも揃っている貴族たちにとっての娯楽の地として知られている。
もちろん、名門ヴァインベルグ家ともあればここに別荘を持っていてもなんの不思議もない。ただ、どうして自分をこんな場所にわざわざ連れてきたのかと、スザクはやっぱり腑に落ちない。
ジノに何度も聞けば、ニヒルに笑って「スザクとの時間が欲しかったから」と告げられるだけ。
本当にそうなんだろうか。
だが自分の意思も関係なしにされるのは気分が悪い。別にそんな強引でなくても、事前に言ってもらえれば日にちをこっちでも調整することだって出来るのに今回の強引なジノにはさすがのスザクも一つどころではない文句が口から出てしまいそうだった。
スザクは額に手を当てて、思いっきり音を立てて息を吐く。
そして考えた結果をぽつりと告げる。

「……戻る」

ジノの気まぐれに付き合ってあげられるほど暇人じゃないんだ、と言えばジノは耳元で非難の声を絞り出す。だめだめ絶対だめ!、と駄々を捏ねられてきつく抱き付かれる。その腕の力は強くて振りほどこうにもスザクでは敵わない。

「いいじゃないか、たまにはこういう日があっても。それともスザクは私といることがそんなにいやかい?」

「……いやじゃないけど」

「あ、なんでちょっと答える間があったんだよぉ」

縋る声がぐずりだすと、スザクはますます頭を抱えるはめになる。スザクもスザクで頑固ではあるが、ジノも頑として自分を譲らない。いつもはクールでハンサム、ラウンズ一の美形だとかなんとか称されているジノではあるが、スザクの前となると甘えたがりでだらしなくなる。
とんだ肉食獣に惚れられてしまったと諦めるしかない。

「しょうがないな。今回はこのスケジュールでいいよ」

どうせ帰ったとしてもジノの機嫌を損ねることになり、それをまた扱わなければならないと思うと頷くしかなかった。怒られるのであれば全部ジノのせいにしておくだけだ。
ようやくスザクが折れてくれると、ジノは青い瞳をきらきらと輝かせてぎゅっ、とその広い腕でスザクを後ろから抱き締めて、すべすべで滑らかなスザクの練色の頬へと自分の頬をすり寄せる。

「今日スザクは何したい?クルージング?それともダイビング?それともこのままリラックス?」

スザクがしたいことならなんでもいいよ、と言われても娯楽の楽しみ方を貴族のジノのように知らないから首を傾げて唸ることしか出来なかった。
なんでも、と言われると反対に困る。いくつかジノが候補を挙げても多すぎてよくわからない。
スザクは青い海へと視線を向けて、そうだな、と声を一トーン弾ませた。

「魚釣り」

やったことがないスポーツも興味があったけれど、幼少の頃によく近場の海辺に釣竿とバケツを持って出かけていたことがふと過ぎり、久しぶりにするのもいいかなと思った。
懐かしくて温かい思い出。
隣には友達がいて、そして友達の妹も一緒に釣りに行った。
スザクは濃い緑色を瞳の中に濁らせて、目を伏せる。ここで釣りがしたい、と答える自分は何なのだろう。色褪せない大切な記憶の欠片を取り出して眺めて浸り、それで帰ってくるものなんて何もないのに。
けどあの頃の僕らには、何にも変えられない絆があったんだ。
それを大切にすることぐらい、僕に残っていてもいいはず。
ジノはスザクの言葉に二つ返事で頷いて、行こうと手を差し出してくれたのをスザクは素直に取った。





ジノに連れられて乗った船はさすが貴族、と思わず零してしまうほどの豪華さでスザクは毎回何かと驚かされる。色々と彼はスケールが大きすぎるのだ。それが貴族にとって普通、と言われても庶民であるスザクには理解不能の域。
ジノは釣りをしたことがないらしく、竿を弄ることがとても楽しそうだった。
波に揺られながら釣り糸を垂らしてじっと魚が食いつくのを待つ。ジノはその待っている間が退屈だ、と欠伸をしていたけれどスザクはその静かでもある時間が心地良いと思えた。
一面見渡す青が気持ちいい。
自然と楽になれて、深呼吸すると胸まで行き渡る酸素がある。潮風に綿飴のような髪が靡いて、照りつける太陽があっても涼しかった。
釣りの結果はお互い大物が掛かるということはなかったけれど、初めて釣った魚にジノは記念写真を撮ろうと言って嬉しそうに両手に釣った魚を持って満面の笑顔を浮かべていた。
昔の自分も初めて釣った魚が嬉しかったことを思い出して、スザクもはしゃぐジノを見ていて笑みを作る。
二人の休日はそれだけで終わらず、次の日はダイビングへとジノが誘い夜は夜景が一番綺麗なレストランで食事を楽しんだ。どうしてジノがそこまでして尽くしてくれているのかはわからないけれど、その好意はスザクにとってとても喜ばしいものだった。
宮殿の中は広いけれど、圧迫される空気がある。もう慣れてしまったけれど、知らず知らずに詰まる息もあった。
それが今、こうして外に抜け出して新鮮な空気を吸っていると綺麗になくなっていく。
いい気分転換だった。
きっとジノはそういうつもりで連れ出したんだろう。
(僕は、いつも周りに恵まれているのかな)
キャメロットのロイドもセシルも、アッシュフォード学園の生徒会メンバーだって、そしてユフィだってそうだ。誰も彼もが、手を差し出してくれていた。スザクに今を生きて欲しいと。
それに感謝して生きなければならない。自分は彼らの想いで生かされているのだ。
なんのためにここにいて、なんのためのラウンズで、どうしてラウンズになりたいと思ったのか。
目蓋を閉じると確かな気持ちが蘇るものに、スザクは長く息を吐いた。





ジノが用意してくれた休日は今宵で最後。
明日からまたお互い、ラウンズとして宮殿に戻る。もう終わってしまう時間が少し名残惜しいとスザクは珍しく思う。どうせ時間を持て余すだけだと思っていたけれど、むしろ時間が足りないとさえ感じた二日間。
またこうして何も考えず、ただ今を楽しむような時間が許されるのであればいいなと苦笑した。
疲れた体を休めるため部屋に帰ろうとしたとき、ジノに引き止められてもう少し待っていてくれないか、とラウンジに案内された。

「明日の朝、帝都に戻るんだろ?なら早く寝ないと」

「分かってるよ。けど、今日は特別なんだ、だからもうちょっと俺に時間をくれないか、スザク」

そう言ってどこかそわそわしているジノに首をかしげる。
そういえば朝からそんな調子だった気がした。何かを気にして、そしてスザクの顔を見ては落ち着きがない。無理矢理ソファに座らされて、待ってて!と走り去っていくジノを見送る。
彼が向った先はスザクが宿泊している部屋だ。
何かまた休日最後だからといって仕掛けでもしているのだろう、と溜息を吐いて大人しく待っていてやることにした。ずっと動きっぱなしだったからとても目蓋が重い。
戦場でランスロットを駆っている方がよっぽど重労働だというのに、遊び疲れというのは厄介だなと手と足を自由に伸ばして虚ろ虚ろとなっていく意識。
ああ眠い、と心の中で呟けば身体が軽くなってまるで浮いているような柔らかさ。ゆっくりと、ふわふわと沈んで落ちて行くことが止められずスザクは小さな寝息を立て始める。
だがその安眠は大きな足音を立ててやってくる人影によって妨害された。

「スーザク、あれ?寝ちゃった?」

それからすぐにジノが戻ってきて、ソファで目を閉じているスザクに気付いて気を遣いながら起してやる。一瞬、意識がなかったことにスザク自身が驚いて、体を跳ね起す。

「あ、ううん。大丈夫だ」

戻ってきた今度のジノはそわそわ、と言うよりわくわく、としている気がする。なんだろう、とスザクがジノの顔を覗き込めば彼がスザクを呼んで手を引く。
大きな背中に歩くたびに跳ねる金色の三つ編み。それに導かれて、部屋の前まで来る。木造の廊下の淡いランプだけの明かりの中でシノが扉のノブを回す。
なぜかすごく緊張して、その扉が開かれるまで黙ってしまった。
ゆっくりと開かれた扉の先は、数日間寝泊りしていたオーシャンビューの部屋。しかし部屋の明かりは付いておらず、薄い暗闇だったが部屋の真ん中のテーブルに置かれているランプと蝋燭だけが静かに照らしていた。
温かい色をした灯火。
しかしそれだけではなく、テーブルにはワインボトルとグラスが二つ、それからデコレーションされたホールケーキがスザクの目に飛び込んでくる。
一体何が起こっているのか、スザクは瞬時に理解出来なかった。
ロマンチック、と言えばいいのだろうかこの状況を。

「少し早いけど、ハッピーバースディ、スザク!」

ジノがスザクの肩へと手を回し、薄暗くてもよく栄えている蒼い炎を揺らめかせて、最上級の甘くうっとり蕩ける囁きをスザクへと届ける。
スザクの誕生日は7月10日。
今日はその前日で、あと数分すれば0時を回りスザクが産声を上げた日を迎える。
自身のためにこんなサプライズが用意されているなんて、信じられなくてスザクは間抜けな顔をしてジノを見上げてしまった。くりっとしたエメラルドの可愛らしい瞳が二つ向けられたことに、ジノはしてやったりと白い歯を見せてはにかんだ。

「驚いた?まだ早いと思ったんだけど、どうしてお祝いしたくて」

けどお互いの休日が一緒に取れるのが今日までだったんだ、とそれだけが悔しいと言う。
それはつまり、とスザクはもう一つの思いが巡る。

「もしかして、僕の誕生日のために休日を取ったのか?」

気分転換とジノの気まぐれだと思っていた。
それを聞いてジノは首を縦に振る。

「スザクに楽しい時間をあげたかったんだ。いつも真面目に仕事ばっかりしているから、たまには自由になってもいいんじゃないかなぁって。けど、それを言っちゃったらつまらないからずっと黙ってた」

突然拉致紛いなことをして連れてきたことも何がしたいと聞いて何でも答えて一緒豪遊して楽しい時間を過ごしたのも、全てがスザクの誕生日という特別な日のために用意されたものだった。
しかしどこでジノはスザクの誕生日を知ったのだろう、と問えば笑って、

「好きな子の誕生日は知ってないと、恥ずかしいだろ?」

と、返されてスザクの方が頬を赤らめてしまった。
ジノはスザクに抱きつくと、もう一度「おめでとう」と嬉々として告げる。逞しい筋肉に抱かれて、その細くて美しい指先がスザクの腰を触れて身体と身体を密着させる。

「スザクが生まれてきてくれて、スザクが私と出逢ってくれてよかった」

頬に当たるジノの跳ねた髪がくすぐったくて、ジノから溢れ出す感謝と愛しさの気持ちの台詞にスザクの胸には嬉しさや恥ずかしさに胸がいっぱいになり破裂してしまいそうなほど今、ジノが一番愛しいと思えた。
ちゅっ、とジノの唇が何度も項に当てられる。誰かに感謝されたことなんて、指で数えても足りしてしまうんじゃないか。
生まれてきて出会いを喜んでくれた人。
そんなもの、そんな人、もう自分にはいなくていらなくて、思い出の中だけでいいとさえ思えていた。
もう二度と誕生日を祝うこともなく、誕生日すらも呪うかもしれなかった自分をジノは精一杯の愛を込めて祝ってくれていることに、スザクは唇を噛み締めた。
眉が頼りなく下がり、堪えていたものが溢れ出す感情によって塞き止めることが出来なくて情けないと思いながらも声に出してジノへと告げる。

「もう、ないと思ってたんだ」

搾り出した声が震えている。
ジノが、うん、頷いてスザクの言葉に耳を傾けて聞いていてくれた。

「去年はあったよ。みんな、祝ってくれた」

去年もそうだった。誕生日なんてずっと誰にも祝われることなく、自分すらも忘れていたのにそれを生徒会のみんなは自分を迎えて祝ってくれた。またこんな喜びが残っていたんだと知って、感動した。
そこにはとても大切な人がいて、嘘みたいな幸せな時間だった。

「けど、もうそんなものはないと、いらないとさえ思ってた」

生まれてきた意味を、問いたい。
どうしてこうまでして生きなければならないのかと。「生きろ」と告げた彼の真意と優しさを恨んで憎んで、生まれてこなければこんな悲しい想いも悔やむことだってなかったんじゃないかとさえ思ったときもある。
誕生日、生と死への執着と憧れ、そして父、犯した罪。それらがその特別な日に、降り掛かり思い出す。祝う日なんかじゃない、蔑まれる日だったんだ。
それなのに、まだこうして誰かが祝ってくれている。
ジノが生まれてきてくれてありがとう、と言ってくれる。
必要とされたくてがむしゃらに死に縋っていた愚かな自分を抱き締めてくれる腕がある。
それを喜んで受け入れていいのだろうかと、戸惑った。
こんなこと、許されてもいいんだろうか。腕に抱きとめられて、愛してると囁かれて熱くなる身体と心があることが、信じられない。
それからスザクは黙り込んで、大粒の雫を眼からいくつも零した。それがぽつぽつとジノ腕に落ちて濡らす。
嬉しくて嬉しくてたまらない。
愛されていることが。

「スザク泣くなよ。こんなめでたい日なのに」

その時ちょうど、0時になって10日になった。
ベランダの窓の外の海は真っ暗で不気味だけど、天から降り注ぐ星の輝きに時折輝く中にぽつりぽつりと色とりどりと確かな明かりが浮かび上がるのが見えた。
ジノは「綺麗だろ?スザクのために用意させた」と自慢げに口にする。こんな夜に船を手配して、0時を回った瞬間に甲板に灯したライトを灯されると、それはまるで星の海と例えてもいいんじゃないかと思えた。そんなことを僕のためにしても僕は女の子のように嬉しがることなんて出来なかった。きっと、女の子ならもっと可愛らしく喜んで、ジノ大好き!と抱きつくんだろう。
しかしスザクは鼻をすんすん、と鳴らして啜り泣き続けた。
泣いて感謝の言葉一つもすぐに出せないなんて、なんて恥ずかしいんだろう。
けどジノが自分のためにしてくれること一つ一つが嬉しくて言葉に出来ない。
後ろから抱き締めていた腕を解いて、ジノは俯いて涙を手の甲で拭いているスザクを身を屈めて覗いた。スカイブルーをした宝石が二つ、スザクの色とぶつかって微笑む。とても綺麗に混ざり合って、解け合う色。

「なぁ?スザク」

泣くなよ、とまた柔らかい声が空気へと染み入る。スザクは視線を落として、唇を尖らし小さく呟いた。

「……君が泣かせたんだ」

「えっ、そんな人聞きが悪い言い方するなよ」

ははっ、と乾いた声を零してスザクの手を握る。それは温かくて、スザクの肌へと滲んでいく。

「来年はもっと盛大に祝おう。アーニャも一緒にさ、ここは私のとっておきの避難場所なんだ。家にいることがいやになると、よくここに来てたんだ」

赤くなっている鼻先にキスをして、頬へと触れる。
彼が零した言葉の破片はどこか不思議だった。遠く、揺らめく明かりを眺めながら細くなる瞳はどこか寂しげで乾いていた。豪華絢爛の生活から避難したいと思うことはなぜだろう。ジノは自分が貴族であることを鼻に掛けて自慢したり、ナンバーズの僕に対して嫌味を言うこともなく素直に接してくれるし、好奇心旺盛だから何か貴族というものに飽きているから、ということなんだろうか。
飾らない自然で広大な青い空と青い海があることが、彼をまた一つ身軽にして煌々と照らしている温かさを持たせるんだろうかと、ジノへと惹かれる心が隠せない。この話に突っ込んでもいいなのかわからなくて舌をもたつかせていれば先にジノがスザクに問う。

「スザク、何か欲しいものない?」

休暇にケーキにとプレゼントしておきながら、ジノはまだスザクへの愛の贈り物をしたいらしい。もっともっと、スザクに喜んでもらって笑った顔が見たいんだと顔を綻ばせて。
スザクはそのありがたい申し出に瞬きをしてそうだな、と肩を竦める。

「ジノ」

「ん?」

それは呼び声にも聞こえて返事をするけれど、スザクにはそういう意味でジノ、と言ったのではなかった。彼の三つ編みを一本掴んで顔を寄せると間近に迫る翡翠の湖畔。

「君が欲しい、て言ったらくれるかい?」

それはあまりにも予想外すぎて大胆すぎる言葉に、ジノは口をあんぐりと開けてしまう。くれるかい、と告げたスザクの大きな涙で潤んだ眼がすっと、細くなってとても色っぽくて可愛らしく誘っている。
もちろん!と答えるのが遅れていれば、スザクが口元に手を当てて「冗談だよ」と笑った。

「スザクひどい!私、本気だったのに」

「いつでも君は本気だろ。それにもう貰いすぎだし」

不貞腐れて頬を膨らませるジノの子供のような純粋さに、スザクは癒される。彼のような人はスサクの周りにいなかった。甘えてきたと思ったら、今度は大きな翼で自分を包んでくれる。
何を話さなくても、不安になんてならなくて居心地が良かった。こういうの、なんていうか分からない。けれど、ジノが傍にいてくれるからささくれていた心もどんどんと丸くなって受け入れることを少しずつ享受していくんだろう。
それが今の自分のとっていいことなのか、よくないことなのかは分からないけれど、嬉しいと思うならそれでいいんだと思うことにした。

「ジノ」

スザクはジノの首に腕を回して大きな体躯を引き寄せると、背伸びをして白い額に口付ける。
なんて自分には勿体無い恋人だろうか。
けれどスザクはジノを手放す気なんてないのだ。いつの間にか、相手が自分に夢中だったはずなのに自分が夢中になっている。
おかしいな、と苦笑して涙声でジノを呼ぶ。

「ありがとうジノ」

心くすぐる気まぐれなキスにジノの頬が赤らんで、眩暈がするほどに頭の中が灼熱の愛に蕩けてしまうような嬉しさに浸る。そして孤を描く唇から零れた台詞にはありったけの気持ちが込められていた。
この日を祝福しよう。
たくさんに枝分かれした運命からたった一つ、私と出会うことを選んでくれたスザクのために。



「ハッピーバースディ、私の愛しい人!」












                                  


運命という偶然に感謝した