訪れた場所は政庁の屋上庭園。
亡きクロヴィスがブリタニア宮殿のアリエス宮をモチーフして作られた庭園は、今でもまだその美しさを損なうことなくいつでも瑞々しくて華やかだった。草花で丁寧に作られたアーチに毎日庭師が手入れしている花壇。その奥に噴水と小さな鳥かごのような形をした休憩所がある。
ナナリー総督が着任してからはより手入れがされるようになり、花たちも夜になっても淡い輝きを静寂の中で彩っている。
そこから見下ろすことが出来るトウキョウ租界。ネオンで照らされた空は星が見えずらいが、それでもよくここでは見える方だ。山林などに入るときっともっとよく見える。
懐かしい実家である枢木神社からだったら、流れ星すら見えるはずだ。
スザクは石畳の道を歩きながら、緑の草が生い茂る芝生へと寝転んだ。白い衣の胴着と、紺色をした袴はいつもトレーニングをする時に必ず着ている服装だ。それはラウンズになってからも変わらない。
今宵もベッドにもぐりこむ前に一つからだを動かしておこうと思ってここまで来た。
トレーニングルームは24時間解放されているが、そこでは空気が窮屈で落ち着かない。だからこうして外の空気を吸いながら、ストレッチからランニング、それから精神統一のための武道の型を取る。
スザクは剣道から柔道まで幅広く、幼少の頃から教わってきた。筋がいいため、すぐに技量を吸収し自分のものとする。センスがある、というのだろう。
だからスザクは騎士になることも、ラウンズになることだって出来た。
土の冷たい感触と、頬に触れる草。大の字にねっころがったスザクは、じっと群青色の空を見つめている。何を考えるわけでも、悩むわけでもなく空っぽの瞳で。
本当はたくさんある。
考えたいこと、言いたいこと、信じたいこと疑っていること、悩んでいること。
いくらでも吐き出そうと思えばできる。
けどそうしてしまうことが出来ないのは、スザク自身が揺らぐ気持ちに臆病だからだ。
真実はいつだって一つだ。その真実を受け入れたから、僕はここにいて困っている。
スザクの眉がきゅっ、と眉間に寄って苦渋する。
彼と向き合おうとして好きだと言っていた彼女は、死んでしまった。最後まで、それは変わらず彼を想い続けたままだったのだろうか。不可思議な彼女の死と最後に交わした会話に、スザクは胸を掻き毟りたくなる。
言えなかった聞けなかった。
彼女はどうして赦すことが出来て、僕はそれに答えてあげることが出来なかった。
ココア色の前髪が夜風に吹かれ視界の中で揺れる。手を翳すと、星が掴めてしまうような位置にあるような気がする。
希望も似たようなものだ。
手が届きそうで届かない。自分はずっと、それを叶えたくて叶えたくて堪らない。そうしないと、生きている意味がなくなってしまうようで、虚しさを感じる。
それはすべて自分の罪によって生じた焦り。
赦せないことなんてない。赦さないだけ、とはどういう意味だろうか。
彼女は僕にそう言って笑っていた。いつものように、柔らかくて優しくて一途な想いを馳せて。赦せないことをしたのだから、赦せない。その先に、何を見つけろと問うのか。
スザクのエバーグリーンの瞳が鈍い光彩を放つ。
だって、彼は大切な人を僕から奪ったのだ。僕だけじゃない。誰も彼も、奪われているのだ。
一途だけど無邪気な想いだけで、それらを赦す、と片付けられるのだろうか。死んだ者はもう帰ってこないのだ、二度と。もう声を聞くことも笑いかけてくれる綺麗な瞳も白くて温かい手も感じることは出来ないのに、赦せというのか。
「そんなはいやだ」
搾り出された声は夜闇に一瞬で解けて、消される。
だんだんと一人になっていく。そんな気さえした。
そんな折、草を踏む音が一つ地面から響いてきてスザクは瞳をゆっくりと動かした。それは小走りで、小さな駆け音。咄嗟になんだろうか、と顔を上げると草むらから飛び出してくる影がちょうどそこにあったスザクの顔面を柔らかい肉で踏んだ。
「うっ!」
ぐにゃり、とした感触だったけれど鋭い爪が頬を掠めてスザクは悲鳴を上げる。顔を手のひらで抑えながら振り向けばにゃあ、と鳴いた黒ぶちの猫が一匹こちらを見ている。
夜の中でもよく光る金色の目。
「アーサー、」
その猫はスザクの飼い猫であるアーサーだった。またみゃあ、と喉を鳴らしてすぐにその場から走り去ってしまう。スザクはそのすばしっこい姿を見送ると、引っ掻かれた頬と鼻先を擦った。するともう一つ、今度は人の足音が静かな宵に響いてくる。アーサーの次はなんだ、と騒がしくなった先を見上げると長身の少年がこちらに向かって歩いてきた。
「あれぇ、スザクじゃないか!なんだいなんだい?まだトレーニングをしていたのか?」
「ジノ?君こそ何してるんだ」
大股で綺麗に刈られている草むらを越えきたのはラウンズの同僚であるジノだった。カナリア色の髪を夜風に靡かせて、陽気な口調で見つけたスザクに声を掛けた。
彼の服装はいつもと変わらない白いラウンズの身なりをしている。しかしスザクが自分と同じではなく稽古着を着ていることで、彼がここで何をしていたのかすぐに分かった。
「ああ、私かい?アーサーを追いかけてきたんだ」
ジノはへらっ、と笑うとスザクの横に腰を下ろした。スザクは眉を顰めて、なんで、とアーサーが走り去っていった先へと視線をやる。しかしもうその面影すらもここにはない。
「お前のご主人様の部屋に連れて行ってやろうか、て言ったら逃げられたから追いかけた」
そしたらスザクが転がっていた、と肩と肩を寄せてスザクの顔を青い双眸が嬉しそうに覗きこんだ。どうして君が連れて帰ってくれようとしたんだ、と聞くことはやめておいた。ジノが僕の部屋を訪れてくることに理由なんてないし、いつものことだ。聞いたってどうせ「ただ会いに行きたかっただけ」と返されるろくでもないオチ。
スザクは眼の先を土へと伏せて、そう、とだけで頷いた。
「スサクはどうしてこんなところで一人でトレーニングしてるんだ?」
わざわざ政庁の庭園に出て鍛錬を積むだなんて生真面目だなとジノが声を弾ませて笑う。ナイトメアフレームのパイロットとして肉体を保ち、鍛えることは日課である。ジノ自身も毎朝のランニング、ストレッチは欠かさない。
スザクも同様ではあるが、今はそんな時間ではないと首を傾げる。
別にトレーニングがしたくてここに来ているわけではなかった。それは言い訳にしかすぎなくて、本当のところは違う。スザクは両足の膝を立てると抱え、背中を屈めた。
少しの沈黙があって、ジノがスザクの名前を滑らかな舌に乗せて呼ぶ。
ちらっと見上げられた瞳の色は翳っているのが見えた。
「……眠れなくて」
「眠れないの?」
どうして、とジノ顔が近寄り、問う。それにスザクはますます眼を伏せて奥歯を噛み締めた。今の自分がとても小さくて情けなくて、苛立つ。
「軍人にとって睡眠とは大切だぞ、スザク。ちゃんと寝て食べないとスザクも大きくなれない」
「それ、どういう意味だよ。悪いけど僕は君より年上だし、ブリタニア人の中でも発育がいいだろう君と一緒にされると困る」
スザクの瞳がじとっ、と湿った不愉快さを帯びて見上げてくる。ジノは、だってとスザクの背中を大きな手のひらで軽く叩いた。どうしてかジノの方が年上に見えてしまう。
日本人の中でも身長は高い方だというのに、そういえば彼も僕より高かったっけと考えてまた塞ぎこんだ。今のスザクが何を考えているかジノには不透明すぎて、大きな溜息を吐く。しかしそれが気まずい、というものではなくてスザクは反対にジノがとなりにいてくれることに心細さを紛らわせていた。
ジノは背中を反らし、後ろに手を付くと夜空を仰いだ。自分の瞳より遥かに濃い色をした青は吸い込まれてしまいそうなほど真っ暗だ。その中に光る幾多の星は己を照らしてくれて、導いてくれているようー。
消えることのない、明かり。
「―……友達が、死んだんだ」
零れた言葉は静寂の中でなかったら聞き取れないほど小さくて、掠れたものだった。スザクのその友達、が誰なのか今のジノならはっきりとわかった。
名前と顔が一致するだけで、あまり会話はしたことがない生徒会の女の子だ。
「うん、知ってる。いい子だった、と思う」
慰めの言葉なんてなかった。よく知らないのに、スザクに対して言うつもりもないし彼女の墓の前で泣くことも出来ない。ただ、出会った誰かがいなくなってしまうというのはとても辛くて悲しいことだということはわかる。
ジノにとってはまだ浅い悲しみだとしても、スザクにとっては大きな影響があったんだろう。生徒会がスザクに接する態度で彼らがどれだけ親しみ、思い遣っていたかは。
戦場で敵を殺す、殺されるという一瞬の痛みとはまた別だ。からっとした、実感のないどこかまだ生きているような錯覚でいつまでも思い出すことが出来る化膿する痛み。
「君にそう言ってもらえてきっと彼女も嬉しいだろうね。ほんと、優しくて真っ直ぐな子だったから」
そういうスザクの瞳はまだくすみ、言葉の端は震え膝を強く抱え込む。
そしてけど、と言葉を続けた。
「最後に彼女と話したんだ。彼女、ゼロにお父さんを殺されているんだ。赦せるはずのない罪なのに、彼女は……それを赦したと言ったんだ」
両腕の中で吐き出された息は唸るように低く細くて、戸惑いに眉が垂れ下がっていた。情けない顔色のはずなのに、それが必死に強がっていて見ている方がズキズキと心に痛みを与えてくる。彼女のあの言葉はどういうことなんだろうか。
シャーリーの記憶は戻ってきたということか?それとも、あの言葉を深読みしているだけなのか?考えても、結局はもう答えが出ている。それでもまだ足が竦むように臆病で、苛立つ。
走り出したスザクの言葉は途中で切れることなく次から次へと溢れ始める。
「どうして赦せるんだ?大切な人を殺されているのに、どうして好きだからという気持ちだけで愛せるんだい?彼女は言ったよ僕に。赦そうとしないのは僕が赦したくないからだって、赦せないことなんてないって。そんなの、それは彼女の傲慢じゃないか」
今、自分がどれだけ醜いか分かっていた。彼女が悪いわけじゃない。ただ彼女はそれで赦すことが出来た。ただそれだけのことなのに、すごく腹が立つ。
何も知らないくせに、君と僕は違うと喚いてしまいたくなる。
いつもそうだ。
ジノにもそうだった。何も知らないくせに、僕に構うなと遠ざけたことだってあった。
僕は酷い人間だ。そうやって人の好意を皮肉に踏み躙って、逃げようとする。
「赦せないことがあるんだ。それを彼はしてしまったんだ。なのに、みんなが彼を赦せと言う」
シャーリーだけじゃない。
ユフィもナナリーも彼を赦そうとした。けどその手を取ろうとしなかったのは彼の方じゃないか。そうだとしても、彼らは一度赦すとしたのだ。
まるで世界は僕だけが違うと、はじき出そうとしているようで怖い。赦すことが正しくて、赦さないことが間違っているんだと責められているようだった。
誰も僕の味方じゃない。ひとりぼっち。誰にも理解されなくてもいいと満足しているのに、急に孤独というものに飲まれていくのが怖くなる。なんて都合がいい孤独と傲慢だろうか。
伏せた顔を持ち上げて、スザクはジノへと顔を向ける。揺れるエメラルドの眼からは今にも大粒の涙が零れ落ちてしまいそうなほどに揺れ動いている。
「好きだったら赦していいのか?そうじゃないだろ?だって僕はー、」
ルルーシュのことが好きだったから、大切な友達だったから赦しちゃいけないって思った。
「スザク」
スザクが大切な人を失ったことは知っている。たった一人、スザクに光を見せてくれた女性を彼は目の前で亡くして憎しみと悲しみを手に入れて、強くなろうと決めたのだ。
赦せないと思うことも赦そうと決めることも、それは自身の問題だ。誰かに言われて決められるものじゃない。
それはスザクだって分かっている。
けれど徐々に自分だけが取り残されていくという感覚は、全てを麻痺させて迷宮へと駆け出す。そしてまた、スザク自身の無意識の中で赦したい、という気持ちもあるから不安定なのだろう。
ジノにはスザクの痛みが分からない。それは仕方がないことだ。
しかしその痛む傷に薬を塗ってやることぐらいは出来る。
「赦したくなんかない。そんなこと、僕がしたらユフィはどうなるんだ。誰も、ユフィのことを想ってくれる人がいなくなってしまうー」
何故彼女が死んだのか。誰が殺したのか。彼女は罪のない、穢れのない百合のような可憐で清楚な人だったのに。
今でも会いたいと思うときがある。
ユフィはきっと、こんな僕を見て残念に思うだろう。彼女は、憎むことなんて知らなかったから僕が誰かを殺したいほどに憎んだと知れば悲しむんだろう。
憎んだ記憶と一緒になんかして欲しくないと。それでも彼女の死は、とても綺麗だった。冷たくなる手は僕の体温だけを滲ませていたから。彼女が僕の光であったように、僕も彼女にとっての小さな一粒の光になれたらよかったのに。
僕を救ってくれた笑顔に会いたいと、泣き出したくなる夜がある。
そしてまた、大好きだった彼にも会いたいと。幼い僕の過ちを知っても友達でいてくれようとして、妹のために必死になって強くなろうとした君がいて、僕のために生きろと言ってくれた君に。本当は僕が君をそうしてしまって、あの頃幼い日に別れてしまったときに何も言えなかったことが悔しい。そして今だって何も伝えられなかった。お互いの一方通行な想いだけで、否定し合ってしまった。
「スザク、」
強張るスザクの肩を抱き寄せてジノは温かく、その名前を呼ぶ。スザク、ともう一度囁いてココア色の髪を撫でてやる。いつの間にか自分が嗚咽を漏らしながら泣いていたことに気が付いてスザクは唇をきゅっ、と結った。
シャーリーの言葉が今の自分には身動きが出来ないほどに重くて、歩けそうにない。だがそれをジノが軽々と持ち上げて、スザクへと手を差し出す。
「スザクが赦せないのならそれでいい。誰かが赦したからってお前が赦さなきゃいけない決まりなんてどこにもないんだ。もしも、お前が誰かに奪われたのなら私はその誰かを赦すことなんて出来ない。きっとそいつを地の果てまで追い詰めて首を掻き切るまで赦すことは出来ないよ」
濡れた頬を包んで、青い光を注ぐ。水面に揺らぐ蒼い月がそこにあるようで、つい泣くのをやめて見惚れてしまうほどに美しくてぞっとしてしまうほどに怖かった。
本当にそうしてしまうよ、と言われている。
スザクがゼロを赦せないようにジノもまた、大切であるスザクが奪われてしまったら赦しはしないと燃え盛る焔。
「大丈夫。私は最後までスザクの味方だから」
泣きたくなって寂しくて怖くなったらいつでも訪ねてくればいい。
一人じゃないと教えてあげられる腕がある。今だって。スザクの声を聴いてあげることが出来る耳だってある。気休めにしか聞こえないかもしれないけれど、知らず知らずに孤独の沼に足を囚われているスザクに少しでも届けることが出来たらなら。
「赦せなくたって私はいいと思うよ」
誰かに左右される人生なんてごめんだ。
自分がしたいことを見つけて一生懸命に生きる。
ジノの台詞を呆けて聞いていたスザクに、にっこりと唇に孤を描く。
誰かに大丈夫、と言われることがこんなにも安心できるものだなんて知らなかった。それはいつだって、自分から生まれる言葉だったから。
何を言ったらいいか探してスザクは視線を交わしたまま、胸に詰まっていた苦しさを吐き出した。渦巻く気持ちはまだぐちゃぐちゃなのに、どうしてかわからない雫が目尻から零れ落ち続ける。
いつもは乾いたままなのに、一度涙腺を切ってしまう止まらなくなってしまう。
「スザクの涙は綺麗だなぁ、パールみたい」
ジノが喉からくつくつと笑いながらその涙を眺めているのが恥ずかしくて、スザクは視線をようやくそらすことが出来た。
「嘘だ。こんなの、悔しくて汚い」
見せたくなんかないのにどうしてかジノの前では曝け出してしまう弱さと強がりがある。
それは見栄なんかじゃなくて、素直なスザクの一部分なんだろう。
赤くなった目尻にキスを落として、額をくっつけてスザクの双眸を覗き込むと短い睫毛が震えた。桜色の唇が半分開いて、夜の冷たい空気を吸い込む。
「―……」
ふいに伏せていた目蓋を上げてエメラルドグリーンの瞳がジノを見つめる。どきっ、と心臓が跳ね上がるほどに鮮やかな色でその中に自分だけが映っていた。
「ジノは優しいな。君だけは、そうやって言ってくれるんだね……どうして?」
甘く噛み砕いた囁きにジノは唾を飲み、ストレートに答える。
「好きだから。好きだからスザクの味方で居たくて怒りたくもなっていじめたくもなって、抱き締めたくてセックスもしたくなる」
生温かい吐息が頬に触れて、肌が粟立つ。
艶を見せるジノの青い目に捕まり、スザクは鼓動が速くなる音を聞く。
鼻と鼻が擦れ合って、近づいてくるジノの顔にスザクはゆっくりと目蓋を下ろしていく。
目の前がジノだけの色になっていく。あんなに嫌だったキスが、嘘みたいに怖くなくて唇に温かい自分のそれと同じものが重なった。それがどうしてかも分からない。
自分が弱っているから彼に寄りかかってしまいたいのか、それとももっと別の感情の波なのか。もうどちらでも良かった。
ただそのキスがとても温かくて愛しいものだということを伝えてくる。
「スザク」
吐息を零して、ジノが嬉しそうに頬を綻ばせてもう一度唇を押し当てた。やっと触れることが出来た熱は薄くて、柔らかい。
それをもっと味わいたくて重ねるだけではなく、顔の角度を変えてふっくらとした形の唇を食んだ。
「んっ、ぅ」
スザクが苦しそうな息と声を交えてジノから施されるキスを享受する。とめどなく溢れてくるものが胸を満たしていき、夢中になった。
ジノが好きだ。
慰めだったとしてもいい。今の自分にジノがいてくれることが、何よりも頼もしくて喜びだ。
濡れる舌をスザクの口腔へと突き出して歯列を磨くと、奥で怯えている舌を追い回して捕まえる。互いのざらっ、とした舌の表面を擦り吸い付く。唾液が口端から顎へと伝い、呼吸困難に陥るほどにジノがスザクを離してくれない。
少し息をしようと思えば、また銀糸を引いたままの唇に噛みつかれてスザクの芯は次第に熱を孕んでいく。ぎゅっ、と瞑った瞳をジノが薄っすらと開いた目で見ると、ほくそえんでやっと唇を解放してくれた。
「キス、よかっただろ?」
とろん、と半分になった目蓋と吐き出される息を重たくしているスザクにそう囁いて、ジノは後ろからスザクを抱き締める。大好きな人とセックスをするのももちろん気持ちいいが、やっぱりキスという行為が抜けていることで欠けてしまっている不安になる気持ちがあった。
それをスザクがやっと受け入れて傍にいることに気づいてくれて、嬉しい。ジノの逞しい腕に抱えられて、スザクは照れくさいのか「そんなんじゃない」と、ぼやいた。
白い胴着の襟からむき出しになっている項に唇を当てると、スザクの身体がひくっと震える。
「ジノ、」
「スザク、俺のこと好き?」
冷えた肌に這うジノの舌の温かさがいびつに感じて、眉を顰めた。
「好きじゃなかったら、こんなことさせてない」
素直じゃない台詞にジノは声を立てて笑った。
「スザクはほんとに頑固だ。好き、て言ってくれればいいのに」
そんなに言いづらいことじゃないだろ?と、華奢の肩を隠している白の衣を回した手でずり下ろす。薄い肉が付いた肩や背中が露にされるとスザクは頬を紅潮させて、彼の腕の中で何してるんだと暴れる。
「スザクも私がもし、誰かに奪われちゃったら赦せないでいてくれるか?地の果てまでそいつ追い掛けてさ」
夜闇に曝されたスザクの練色をした皮膚は濡れているような淑やかさを醸し出し、触れると弾力があった。
赦せないでずっと胸の中にいるやつのことが羨ましい、と思う。そこまで憎まれて、愛しく思われるなんて簡単に出来ることじゃない。赦すことだって、赦せないでいることだって。
スザクからその答えを聞く前にジノは彼の背中へと幾度も口付ける。項から肩へ、それから背筋に沿って下へ左右の肩甲骨の辺りの肌を念入りに。
「うっ、っ……ジノ、いやだ」
くすぐったい感触に背中を反らして膝を擦り合わせて疼くものをやり過ごそうとする。しかし彼が灯して行く熱は消えるどころか溜まって行くばかりではけ口はない。
しかもまだ室内ならいいものを、彼はこんな広くて空が仰ぐことが出来る草むらで脱がすものだから余計に性質が悪い火照りだ。
「やっ、やめっジノ、」
そんなスザクの制止など聞くわけがなく、ジノは手のひらをスザクの平たい胸を撫でた。焦ったスザクの声が上ずったものになって、ひゅっと喉が鳴った。
胴着というものはなんと脱がしやすいものなんだろう、とジノは感心する。いつもなら、ジャケットのホックを外しインナーのジッパーを下ろさないとスザクの素肌の熱が感じることが出来ない。それなのに、乱暴にでも引っ張ってしまえば簡単に曝すことが出来た。それに前に合わせた襟元から少しだけ覗く胸板と鎖骨だってとてもセクシーだ。ひらひらとした大きめな袖は身体を動かすたびに揺れるからまるで羽根みたいだと、一度彼のトレーニング姿を見ていて思ったことがある。
高く飛ぼうとしても羽根の先を切られているから飛べない鳥。けど、彼はランスロットという鋼鉄の羽根を手に入れると、どこまでも飛んで行ってしまいそうなほどに勇ましくなる。
手のひらで大きく撫でると、軽いその刺激で淡く色づいた肉の突起が二つ硬くなった。官能に目覚めている身体は少しでも期待すると、すぐに与えられる刺激に反応してしまうのが憎たらしい。
きゅっ、とその桜色の肉をジノの指が摘んで離してはまた摘んで引っ張る。
「っ、い、……ぅ」
痛い、と喉から零したがそれが次の瞬間には甘く疼く電気信号になって脳へと伝える。柔らかい熱い指の腹に挟まれて、乳首のてっぺんを捏ねり押し潰しながらジノは背中の愛撫を続ける。後ろからも前からも同時に這い上がってくる悪寒とも似た快楽に、全身が染まっていく。
「あ、っ……う」
ジノの指で弄られた乳首はぷっくりと立ち、綺麗な赤色を飾っている。執拗に何度も捻られて痛い、と思ったら優しく擦られて気を抜く暇もない。両手を使ってスザクの胸を可愛がっていたが、片方の手が腹筋を下り小さな臍へと触れて、腰より下を覆っている紺色の袴へと手を伸ばす。前で固く結んである紐を引いて解くと、腰の締め付けがなくなり楽になる。
「や、いやだジノ、誰か来たら……」
ずっと胸の先を摘んで繰り返される刺激に意識が集中していたけれど、ジノの行動にスザクは目を開いて腕を掴む。
「こんな時間に誰もこない」
「けど、僕がいやだ」
外でしかも芝生の上だなんて野蛮すぎる、と眉をハの字にして抗議するがジノは酷薄に笑って「だーめ」と甘ったるい声で首を振った。
「あっ」
無理強いに解いた袴の中へと手を突っ込んで、スザクの熱を探る。さっきまではなんてことなかった中心がジノの焦らす行為によって、少しずつ下着の下で形を持ち始めている。そこにもぐりこんで、直接スザクの欲望をごつごつなんてしない長くてしなやかな指が絡むと声を詰まらせて頭を垂らし、スザクは目蓋を閉じる。
汗から額から芝生に一粒落ちた。
「や、やめ…離して、ぁん」
ちゅっ、と項を吸われて手のひらは肉茎をゆっくりと扱き出す。閉じようとする足をジノの片手が腿を押さえられていて、そのまま膝を立てたまま動けない。
ジノの熱い吐息が耳の後ろに掛かり、震える背中。
性的興奮を覚え勃起した肉は彼の手のひらによる柔らかい刺激と、握られて撫で下ろされる感触に呻く。陰茎の先の割れ目からは先ほどから透明な先走りが零れ始めていて、ジノの手の滑りよくする。そしてそこから発せられる淫猥な水音は、静寂の夜の中では確かなものとなってスザクの耳を犯す。呼吸がだんだんと忙しくなってきて、それに混じる声も鼻に掛かった甘い囀りになっていく。スザクを後ろから抱き締めたままだから顔は見えないが、きっと恥辱に頬を火照らせて前髪に隠れる太めの眉根を寄せて堪えているに違いない。
ジノの親指が先端を突き、少し指の腹を沈ませて円を描いて押し抉るとスザクが堪らず嬌声を響かせた。
「ひぁ、あっ……ぅん」
ぴん、と性器の先端を弾かれて、滴る雫が止めどなく幹を伝い股の薄い叢を濡らしていく。気持ちよいのか、やめて欲しいとむずがるのか、腰が揺れてジノの股間へと引っ付つけると臀部に当たる彼の熱があった。
それがまた自分より大きく膨らんで硬くなっていることに身体が震え上がり、羞恥で顔を真っ赤にする。ジノの手のひらが根元を包み、射精を促すように形に沿って何度も強く、弱く扱く。
屹立した雄は確かに限界だったけれど、それをまだ理性が拒んでいてスザクは首を振る。
「や、だぁ……もう、」
地面に生えた草を数本掴んで快楽に流されそうになるのを押し止めようとするが、すぐに草は切れてしまい空を掴んでいるのと一緒だった。
眼を閉じて睫毛を震わせて、生理的な涙を眦に溜める。
そしてジノの右手が左胸にそっと当てられる。そこにある心臓がいつもより数倍も早く波打っていることに、ジノは唇の端を緩めた。
「スザクの心臓、すっごい速い。どくどく言ってる」
背中に耳を立ててもその爆音が聞こえてくるようだ。
「ふっ、んぁ」
スザクは唇から駄々漏れになる吐息と喘ぎの激しさを殺したくて、手で塞ぐ。それでも隙間から漏れてしまう卑猥な息。腹の中心から発火している炎が全身を麻痺させて、淫蕩にしていく。
触れられる全ての箇所から甘い蜜を垂らして早く食べてと言っているようでいやらしい。
「もぉ、やだ……ジノ、おね、がい……」
粘が粘ついて上手く発音出来ない声が解放を求めて哀願する。これ以上我慢していることが苦痛で早く達して楽になりたい。あともう少し、ジノが強く擦ってくれたら恥も忘れられるのに彼は理性と快楽の狭間を愉しむように焦らすからスザクは頭がおかしくなりそうになる。
「スザクかわいい。もっといじめたくなる」
だからちゃんと出させてあげる、とジノは耳朶に齧り付いてスザクの括れた先端の部分を軽くつついて腫れ上がった熱へと執拗に刺激を与えてやった。
「あっ、んんっ、はぅ……ッ」
それからすぐに、下腹部で白濁の色をした性欲が弾けた。
飛沫した熱情はジノの手、袴はもちろん、生い茂る芝生にも汚してしまった。辺りに充満するその吐き出した雄の匂いが漂ってきて、スザクは重くなってしまった目蓋を上げて放蕩とする視界を瞳の中に投影させる。
項垂れていた頭を起して、ジノへと凭れかかり胸を上下させて、乱れる呼吸を一度落ち着かせようとするがジノはそうさせてくれない。凭れてきたスザクの身体を支え、緑の絨毯へと仰向けにするとようやく熟れたエメラルド色と出会うことが出来た。胴着が背中の下に敷かれているから草の尖る小さな痛さは感じないが、ベットとは違う柔らかい自然の絨毯だ。
「ジノ……」
覆いかぶさってくるジノがスカイブルーの瞳を滲ませて笑っている。
ちゅっ、と唇が一瞬吸われて首筋へ顔を埋めた。
ジノの金色の髪が頬や顎をくすぐり、スザクは肩を竦めて彼の背中に手を回した。こんなところに自分が抱き締めることが出来る温かさがある。こんなにも近くて勿体無いぐらいの感情があって、うっとりと惚れ惚れとさせてしまう。
すとん、と彼の言葉が真っ直ぐだから自分の中に響いてくるのだ。遠回りをしないで僕にぶつかってくる。だからきっと、僕はそんなジノに惹かれていることを気付かねばならない。
誰にも理解なんてされなくてもよかったはずで、拡がる自己満足と孤独の深さに無垢なジノは踏み込んでくるのだ。何も知らないのに、愚かな僕を掬い上げに。
「なぁスザク、お前はここに誰かを赦すために来たんじゃないだろ?本来のお前を思い出せよ」
そうだ。僕はここに来ることを決めたのはそんな理由じゃない。赦せないから、またこの地を踏むことを決めてまた止めてみせると誓ってきたのだ。亡き主の墓標に。
揺るがない気持ちと咎があった。誰にも理解されなくてもいい譲れない願いがあった。それはきっと、彼にだってあるものなんだろう。けど、彼は差し伸べられようとした手をまた遮ったのだ。自分と同じ過ちをまた、繰り返したのかもしれない。
それは誰のせいでもない。眺めているだけだった自分の責でもあって、彼が引き起こしただろう悲劇でもある。スザクの心はそう、言っている。
だったらどう立ち向かう?
もう猶予なんてない。最初からなかったのだ。
「……僕がもし、間違えたら君が僕を怒ってくれるんだろ?」
人が自分の理念に従って動くことに、他者が入れる隙間なんて数ミリだ。間違えた正しい欲しいなんて、自分に後悔している証拠なのかもしれない。
けれど、言わないと叱ってもらわないと知ることが出来ない恐怖や悲しみだってある。
だからスザクは迷いを捨てる。曖昧な答えなんていらない。欲しいのは白と黒の答え。
「ああ。何度でも怒ってやるし、その都度慰めてやる。けど、私の目が行き届かない場所なんかに行くな。私を心配させないでくれ」
見下ろす透き通った蒼は少し寂しげに細くなった。大丈夫、とスザクは涙で腫れて瞳で笑ってみせた。ふわっ、と風に鳶色の髪が揺れて跳ねる。
「君こそいつも僕に心配や迷惑掛けてばかりじゃないか。もう少しじっとしていることを覚えなよ、ジノは」
エリア11着任早々にトリスタンで政庁の守備隊を試すと言って暴れたり、突然アッシュフォード学園に通うことも決めたりとしていることを苦笑するとジノが白い歯を見せながら、「これからはスザクに相談してから決めるよ」と、告げながらスザクへキスを落とした。もうそれを拒むことなんてしない。
拒んでいたって受け入れたって、そこにジノはいてくれるのだ。ならもう、迷うことなくその気持ちを懐柔して寄り掛かってもきっと邪魔にはならない。ジノがそう、望んでくれているから。
「さっきの答えだけど、きっと僕もそうする。けど、そんなのはいやだからそうさせない。しないようにされないように、努力するよ」
もうそうなってしまう前に、止める。二度と哀しみが生まれないよう生まないよう。そのために、僕は自分の手を汚くしたっていい。もうこの手は、幼いときに穢してしまっているのだから。
「スザク、」
「うん?」
遠慮がちに呼ばれてスザクは首を傾げる。無邪気で少し恥ずかしそうなジノが甘ったるく吐息混じりにこう聞いた。
「続き、しちゃだめか?」
スザクは丸い瞳を点にして、ジノを見上げた。一瞬何のことを問われているのかわからなかったけれど、すぐに何のことか理解して視線を自分に乗っかっている彼の下肢へと走らせる。
そこには吐き出してしまった自分とは違って、滾らせたままの欲情を携えていた。スザクはくすっ、と思わず笑ってしまうとジノが顔を赤くする。
「いいよ。だってこのままじゃ可哀相し…・・・僕も、まだ足りてないから」
そう言ってスザクはジノの股間に手のひらを触れさせた。閉じ込められた唸る熱が苦しそうにしていて、触れられるとジノが小さく呻いてしまう。
「けど、ここじゃもういやだからな」
ちくちくと背中に葉っぱが刺さらないベッドがいい、と唇を尖らせると、
「ナイト・オブ・セブンさまの仰せのままにこの私が広い海原のようなシルクのベッドへとお連れいたしましょう」
なんて、格好付けて吐くものだからおかしくてスザクの意地悪に緩んでいた口端がまた一段と角度を上げて、深呼吸する笑みを浮かべていた。
「そうだ。スザク」
温かくて広い手がスザクの頬を包んで、ちゅっと唇と唇が触れる。
「もう、いいの?」
ずっとずっと嫌だと言ってさせてもしてもくれなかった大好きの証。誰かがずっとスザクの心に住んでいて、それから零れる愛しさと憎さに囚われて触れることに臆していた気持ちが拒絶していた。
スザクは深深とした碧縁の瞳を潤して、小首を傾げる。
「ああ、もういいんだ」
その霞んだ微笑は美しく、切なげに。揺れた心は真っ直ぐに君へと伸びる。
包んでくれた手に手を重ねて握った。
こんなにも温かくて癒してくれる君が僕を引っ張ってくれるから、きっと大丈夫。
決めたじゃないか、もう赦しは請わないとー。
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傷痕に咲いた花