受け入れられた、ということがまず珍しいと思った。
例えナイトオブラウンズになったとしても、自分がブリタニア人でないことは確かでまず周りからは疎まれて避けられて蔑まれるだろうと。
しかしその予想は大きくはずれた。
最初に接触した二人、ジノとアーニャは自分がナンバーズ出身ということなんてまるでなかったことかのようにして話しかけてきた。ジノなんていきなりだ。いきなり肩を抱かれてよしろくと言われてなんて人懐っこい人なんだろう、と驚いた。
ブリタニア人であろうがそうでなかろうが、そこにいる人物が良いヤツなのか悪いヤツなのか付き合っていけるようなヤツなのかと見分けて認識できればそれでいいと言う。アーニャはもともと興味がないようだったが、ジノという少年はブリタニア貴族出身のラウンズでありながら、誰とも隔てが付き合う、というのだから風変わりなんだろう。
たまたまジノの中に、スザクという少年が気に入る運命の出会いという空欄があったのだ。
だが全ての人がそういうわけではない。ジノたちと居るとつい忘れてしまいそうになるが、はっきりと区別する皇族たちの態度や周りを見ると、ああそうだよな、とまたスザクは自身の中で苦笑する。
気になんてしてない。慣れてる。僕は大丈夫。そう心掛けている。
そうしてスザクはいつもの長い政庁への廊下を早足で歩く。横目で見る庭先の花たちは元気だ。朝から庭師がせっせと水を撒き、草木の手入れをしている姿をよく見る。
戦場とは大違いの澄んだ空気は一時の安息をくれる。
今日の朝からうるさいジノがいないため、静かで平和な時間が過ごせるかなと冗談を考えていると後ろから呼び止められて踵を返した。
その瞬間からスザクの表情が凍る。綺麗な色をしたグリーンがすっ、と眩しいものを見るように細くなってひらりとマントが風に揺れる。
スザクの視界に入ってきたのはジノでもアーニャでもなく、ナイトオブテンであるルキアーノ・ブランドリー。逆立てたオレンジ色の髪型とシャープで長細い顎に釣りあがった瞳は初めて会った者に対しても高圧的で鋭く感じてしまう。
それに片頬を上げて嘲るような笑い方も好印象を与えるものではない。しかしそれでも彼のブリタニア皇帝への忠義は強い。だから彼ほど力を誇張して、ブリタニアではない者たちへ容赦というものがないのだろう。
もちろん、そうなるとスザクも彼にとっては気に入らない、の何者でもない。相乗効果なのか、スザク自身もルキアーノに対しての態度もジノたちと接するようなものではなく、さらに頑ななものになる。
「枢木卿はこれからどちらへ?またどこかの貴族さまに媚でも売りに行くのかい?」
そう愉快にスザクへ投げ掛けると、スザクの太い眉がハの字を描く。彼から皮肉の言葉へ侮蔑とも取れる言葉はいつものことだった。
ルキアーノはスザクが大嫌い、ということはもう周囲も知っているし、彼自身もそれを隠そうとなんてしない。
彼は元々10席ではあったが、空席であった7席目が自分よりはるかに身分が低いナンバーズであるスザクが拝命してことが本当に気に入らない点だった。
何をとっても自分の方がスザクより上のはずなのに、突然東の国からやってきた小柄で無口で仏頂面の少年に居座られてはどうにも腹が立ってしょうがない。
それを周りのラウンズであるジノたちを受け入れているからさらに、だ。
「ブランドリー卿は今から報告書を提出ですか、先日のエリア5での鎮圧戦は見事だったとお聞きしました」
興味などなかったが、スザクは彼の会話へのレスポンスすることなくそう綴った。ルキアーノは腕を組んでスザクへと一歩進みながら向ける表情は嫌悪感を塗りたくったいやらしい笑み。
「それはそれは、枢木卿にも私の名声が届いているようで何より。私も卿の名声は嫌と言うほど、」
「そうですか」
「卿は媚を売るのが上手いようだ。受けがいい、と言った方がいいかな。今宵はどなたの相手をするのか聞いてもいいかい?」
スザクの顔色がさらに白くなる。軽く握っていた手のひらはいつの間にか汗ばむほど、強く握られている。
小さな唇を結んだまま、じっとルキアーノを見つめ柔らかく目を細めた。
「貴方にそれを言うつもりもなければ、誰の相手をしない。僕はそうしてラウンズになったのではありませんから」
皇帝が直接に決めることが出来るラウンズに、媚など存在するだろうか。あの皇帝がそういった類のものに執心するわけもないことぐらい、彼も知っているだろう。
だがそれでもスザクがこうして宮殿内を立派な身なりをして歩いていることに虫唾が走るらしい。
つまらない対話だ。誰が望んでナンバーズとしゃべらなければならない。だがルキアーノはスザクとの会話を終わりにしようとはしない。この腹の中にあるむかつきを直に吐き出してしまい、このナンバーズを貶めてやりたいと考えて、彼は苦痛に歪んだスザクを想像し愉悦する。
「へぇ、私の聞いた話では枢木卿は紳士淑女問わず、とか。それにナイトオブスリーと懇意にしてる、と聞くが」
「何が、でしょうか」
この男に話の主語がない。わざと探るように辱めの言葉を言わせて被せようとする。
にやっ、と頬を歪めてルキアーノは肩を竦めた。
「ナンバーズ上がりのお前が正統なやり方でラウンズになったなんて、誰も思っていないよなぁ。それこそエリア11でどれだけのことをしたのかいつか知りたいものだな、虐殺皇女さまの騎士ともなればそれなりのこと、かなぁ?」
その瞬間、周りの空気がひんやりと冷たくなったような気がした。それはスザクから発せられているものだが、ルキアーノの挑発的で余裕な態度は変わらない。
スザクからけしかけてくるのを待っている、ようにも見えた。
ざわざわと肌が粟立って、胸の内からは怒りとも取れる感情が湧き出てくる。こんな罵りなど、簡単に交わしてしまえばいいのにユーフェミアのこととなると黙っていられなかった。
まだ主を亡くしてからの傷が癒えることのない今のスザクにとっては、タブーとも言える名前。
「皇女殿下はそのようなお人ではない。僕は彼女の騎士であれたことを誇りに思う。それを穢すというのなら、ラウンズ同士はいえ黙っていられることは出来ません」
ラウンズ同士の抗争は禁止されている。互いの力を高めるための試合や演習であれば構わないが、私怨や個人的な喧嘩での闘争はラウンズの品質も問われるため決して許されない。
拳を握り締めたスザクと悠々として構えているルキアーノのにらみ合いがしばらく続く。
席で言えばスザクの方が上ではあるが経験が違う。彼はブリタニアの吸血鬼とも呼ばれるほど残虐な面を持った男だ。いつでも得意のナイフを隠し持ち、殺人を厭わずむしろ愉しんでいる。
「私も羨ましいと思うよ。戦場でもないのにあんな風に虐殺が許されるのなら、よろこんでー」
「ブランドリー卿!」
そこまで言いかけたルキアーノに対して我慢していたスザクの足が一歩動いた途端、彼らの横から名前を怒鳴るようなほどの大きな声で呼ばれて場の空気が一度飽和した。
緑の庭園から現れた颯爽と現れたのは、緑のマントを靡かせた金髪の少年―、ジノだった。
「そこまでにしていただけませんか、スザクをからかうのは」
長い足で芝生の上を大股でやってくると、二人の顔を交互に見た後もう一度ルキアーノへと移した。飄々としたものではなく、青い瞳は芯を通していて大らかな優しさとはまた違う真剣な眼差しだ。
それはスザクからしてみればとても艶やかなもので綺麗であり、強さを感じることが出来て惹かれる色だと思った。白亜の肌に似合う柔らかいカナリア色の髪と紺碧の双眸。
何をとっても彼が美形であることには違いない。対するルキアーノとはまったく違う雰囲気を持った貴族に相応しい風貌だ。
「ヴァインベルグ卿、いつからそこに?」
「さきほど二人が話している姿が見えまして。そしたらなにやら不穏なものを感じたものですから、つい口出ししてしまいました」
ジノはそうにこやかに微笑みながらスザクの前へと立つ。背中に回されたスザクは大きなジノに隠れてしまう。
「しかしブランドリー卿も大人気ない。新人であるラウンズをあまりいじめられるとベアトリスから小言、もらいますよ」
「それを貴方から言われたくないものだな。私は本当のことを言ったまでだよ。卿も名門であるヴァインベルグ家出身であるのなら、ナンバーズとの付き合いなどやめておくべきだと思うけどねぇ」
斜めに構えた言葉はジノをも刺激するが、スザクにはそれは分からない。ジノが自身の家とどういう関係を築き上げてきたことなんて知らないから彼の発言がジノの胸をざわめかせていることなんて。
「それは個人の考え、というものがありますから」
そう会話を切り捨てて、ジノはスザクの腕を掴んだ。
「ブランドリー卿、私とスザクはこれから用事があるため失礼いたします」
早口で挨拶を済ますと、そのままスザクを引っ張り薄暗い廊下の先へと連れて行く。ルキアーノは二人の後姿を何も言う事なく見つめた後唇を歪めて笑い、彼もその場から離れて行った。
面白くない、とだけ呟いて。
そしてジノに腕を引かれたスザクは途中でその腕を振り払う。
「ジノ、もういい」
ジノも足を止めて、スザクへと向き直り背を屈めてスザクの俯いた顔を覗きこむ。
「スザクもやめなって、あんな男と絡むの。ろくなことないからな、あいつは」
嫌味たっぷり込めてそう吐き出すとスザクは無言のまま、視線を綺麗に切り取られてはめられた石の廊下へと落とした。
「……わかってる。けど、言っていいことと悪いことぐらいあるだろう?」
確かにあそこで喧嘩を売ってきたのはルキアーノではあるが、どんな理由があれそれに相乗しようとした自分がいたことを責められても仕方が無い。
だがそれにもそれなりの理由もある、ということだ。
ジノはふぅ、と息を吐くとチョコレート色の髪へと触れて微かに跳ねた毛先が揺れた。
「決闘でも申し込むかと焦ったよ」
「それぐらいの勢いだったよ、僕は。というか、そのつもりだった」
あのまま取っ組み合いをするような幼稚なまねではなく、するのならば手袋を地面に叩き付けて正々堂々とした決闘を申し込むことを望んでいたところだ。
スザクは彼が言った台詞を思い出し、奥歯を噛む。何も知らないやつにラウンズであろうが誰だろうが彼女のことを悪く言われたくない。彼女はそんな人ではなかったと、自分が傍にいて見てきた光なのだから決して愚弄されることがあってはならないのだこれ以上。
ふいに顔を上げたスザクと視線が出会う。
それはとても寂しい色と戸惑いを浮かべたエメラルドの宝石。迷いがない人間は潔いのかもしれないが、こうやって誰かの言葉に惑わされて憤怒して悲しみに揺れる正直な人間も綺麗なものだ。
ジノは縋るスザクの眼に青い視線を注いで優美に唇の端を緩めた。
「スザクはほんと、ストレートだな。それが逆に怖いよ」
「こわい?」
「だって、ちょっとでもからかったら決闘だ!なんだから。私の身もそれじゃあもたないよ」
ルキアーノはこれからだって必要以上にスザクを嫌って恥辱の言葉を浴びせるだろうし、そのたびにスザクも苛々を募らせて堪忍袋の緒を切っていたら見ているこっちも心配でならないというものだ。
「じゃあ慣れろって言うのか君は。それじゃあ認めたことになる。僕は認めたくない」
わざと人の逆鱗に触れて愉しむなんて、ばかばかしい。自分を侮辱するなら無視は出来るが、大切なものを傷付けることは許すことが出来ない。
まだスザクの全身から沸き立つ苛立ちにジノは、首を傾げて嘆息を零す。何を言っても今のスザクはルキアーノに対して猫のように毛を逆立てて威嚇している状態のままだ。
そんな警戒心を抱いた研ぎ澄まされた戦士のスザクも好きだが、今はもっとふわふわとした柔らかくて他愛のない会話が出来る友としてのスザクとの時間を嗜みたい。
まぁいつもそれが出来ているのか、と言われたらそうでもないしそうでもあると言う。
「なぁなぁスザク。そんな嫌なことなんて忘れて私の部屋においで。とても良い果汁酒が手に入ったんだ、それからでもたっぷり時間はあるんだからたーくさんスザクの話なんでも聞いてあげるから、な?」
まるで拗ねた子供を宥めるような甘ったるい笑い声。それに不満があるわけではないが、スザクの眉がきゅっと中心に寄った。
「ジノ、まだ昼間だ。それに君の部屋に行くとそれに付属してくることがあるからあまり行きたくない」
と、率直に断ればジノの整った金色の眉が情けなく垂れ下がって瞳の色を滲ませる。自分より長身の男で女性にモテモテで帝国で三番目に強い騎士だというのに、こうしで自分が心を許せると思った相手の前だと甘えたがるのだ。
「そんな冷たいこと言うなよぉ、別にスザクのこととって食べようってつもりじゃないんだ……あ、いやでも食べたい」
ぽつっと語尾に呟いた言葉にスザクの頬がほんの少し、朱を浮き出させる。
それからじっとりと下からジノを眺めて呆れ顔。
「……僕より君の方がよっぽど正直者だと思うけどな」
「そうかい?私はいつでもスザクには真っ直ぐでありたいんだよ。だからスザクも私にはなんでもぶつけていいよ」
煌々とした太陽の日差しにジノの透けた金の髪が靡いて白い歯を見せて笑う姿に釘付けになる。
ジノと話しているとさっきまでどうしてそんなに怒っていたんだろうかとか、悲しかったのにいつの間にか胸に滲みる温かさに気付いて自然と笑みが零れてしまう。ジノからの言葉はちくちくと時に胸を痛くするのに同時にそれが優しく蕩けていくのだ。
スザクは軽く息を零して、「しょうがないなぁ」と苦笑した。
「いつか、そうするよ」
そう出来たら、そう君とあれたら。
いつかきっとそんな日が来るように少しは欲張ってみてもいいんだろうかと、スザクはジノより高い燦々と輝く太陽へと眼を細め心の中だけでくすぐったくなる気持ちを込めて囁いた。
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