手が足が、指先がとても冷たい。
動かそうとしても動けなくてずっとスザクは足の裏から根が生えてしまったのかように、佇んでいた。大きく数メートルに半径に窪んだトウキョウ租界の土地。
夜が明けてその色を見せ付けられると、僕がやったのだという現実を焼き付ける。白い光に包まれた全てものが元からなかったかのように、ごっそりとなくなってしまった。
人も物も、空気さえも。
トウキョウ租界の真ん中で出来てしまったクレーターのようなフレイヤの爪痕に吸い込まれた命はどれほどだろう。抉れた土地は太陽に晒されて、焼けた土のにおいをスザクは吸った。肌がパイロットスーツの下でひりひりとして痛い。真上から注ぐ太陽が熱いはずなのに、からだの中は妙に静かで冷えている。
砂塵がスザクを取り囲んでココア色の柔らかい髪を躍らせた。
ここにはもう何もない。
あったはずの温かなものを、全てこの手が奪ってしまった。
今度こそは取り戻してみせると誓った大地を。今度こそは守ってみせると誓った主を。
何故、どうして、わからない。
スザクは底に溜まった水溜りに映る自分を虚ろな視線で見下ろした。
そんなスザクをジノは遠い空から見下ろしていた。今すぐにでもスザクの傍へと降りたいと、思った。けれど、それをラウンズという立場が許さなかった。
政庁が消し飛んでしまい、陣形が崩れたブリタニア軍の残存部隊を結集させトウキョウ湾にある海軍基地を仮の拠点とし、租界の状況と市民の安全確保、生存者の救助と死者の捜索。
それに巻き込まれたと思われるエリア11総督の捜索も同時に進行しなければならない。
また、黒の騎士団も一時撤退はしたものの、まだ湾岸区域に停泊していると思われ、気を抜くことはできなかった。エリア11層総督不在のため指揮をとるのは宰相であるシュナイゼルに任され、その彼はアーニャを護衛とし黒の騎士団の本拠地である斑鳩へと堂々と外交特使として向うことを決めた。
そのためジノはスザク一人に構っていられることが出来ず、ナイトオブスリーとして駐屯している部隊の編成に租界の状況把握の指揮官として任を務めることになる。
本来ならそれをスザクもやらなければならないことなのだろう。しかし今の彼にその能力があるかはあやしい。
傍に行ってどうしたの何があったのと心配して抱き締めてやることが出来ない歯がゆさに、ジノは端麗な顔はより一層険しくなった。
スザクが放ってしまった光の意味と結果を、ジノも理解している。けれど誰もがこんな形を予想していなかっただけで、スザクが悪いだけではない。これが戦ではないと思えても、元を辿り結果を見るのなら戦の中の一部なのだ。
けれど、スザクは違う。
自分のせいだと責めている。
スザクは撃たないと言っていた。それなのに撃ったことにジノ自身も驚いたが、フレイヤを発射させる許可は出ていた。ならばあってもおかしくない状況だ。
(あいつは優しいから、弱いから、一人じゃその重みに耐えられない)
だから傍に行って、慰めでもいいからその時だけは「大丈夫だから」と、包んであげたかった。
撃ってしまった責任を見逃すわけじゃない。撃ってしまったから、そこからスザクが果たすべき義務があることから目を背けないで欲しい。
大丈夫。そこには私もいるからと、声を大にしてスザクに告げたいー。





ジノは自分の仕事を済ませると、アヴァロンにいるはずのスザクを探した。もしかしたらまだあの場所に佇んでいるんじゃないかと不安になってキャメロットに赴いてみれぱさきほど帰艦したと言う。
その様子をセシル・クルーミーから聞けば彼女は顔色を曇らせて首を振っただけだった。
ああ、やっぱりとジノはため息を零して金色の髪を掻き乱した。陽が暮れ、またトウキョウ租界に夜が来る。黒の騎士団が現れた情報はなく、今宵は落ち着いた夜が過ごせそうだ。
見事に半壊してしまったランスロットを痛々しそうに見上げて、ジノは格納庫から足早に出る。
あんなにまでになって執着して、傷つく枢木スザクが哀れだ。
スザクをあんなにしたのは誰だ。
ゼロだ。
スザクや上官である者たち、開発者である者たちが悪いだけじゃない。その敵でもあるゼロが、スザクをあそこまで駆り立ててしまったんだ。
そしてまた自分も、スザクのことをちゃんと見てやれていなかったという自負に足が重くなる。
ジノの鮮やかな緑のマントが歩幅にあわせて揺れて、一つの扉の前で止まる。
こんこん、と黒いグローブをした手で扉を叩いて「スザクぅー?」と、いつものように軽快な声色で中にいるはずの彼を呼んだ。しかし返ってくる返事はなく、ジノはしばらく呆然とそこに立っていた。

「スザクー?いるんだろ?私だよ、ジノだよ」

もう一度諦めることなく叩いて会いたいよ、と気持ちを込めてしゃべりかけるものの返ってくるのは沈黙だけ。もしかして本当に部屋にいないのだろうか?それともやはり今は誰とも会いたくないと拒絶されているのだろうかと、ジノは悲しげに眉を下げて動かない扉を見つめる。
反応がないことに諦めることが出来なくて、何度も叩いてスザクスザクぅ、と呼んでみればようやく中から気配がして扉のロック解除のランプが付いた。それを見てジノはぱっ、と目を輝かせて開いた扉の向こう側いる恋しい彼を見つける。黒いインナーと白いパンツ姿で現れたスザクは思ったより酷い顔をしていて、ジノはサファイア色の瞳を薄くした。

「ジノ、何しに来たんだ」

ぶっきらぼうにそう眉間に線を作りながらジノに吐く。
部屋の中が薄暗いせいか、スザクの顔色が蒼白く見える。唇だっていつもはあんなに可憐に桜色をしているのに噛みすぎているのか、かさかさでやっぱり白い。
スザクがとても小さく見えて、ジノは拳を握った。

「用がないなら帰ってくれないか」

「用ならあるよ、だから入れてよ」

「……明日じゃ、だめなの」

エメラルドの双眸が不穏に揺れて、彷徨う。眠たそうなのか重い目蓋に、目の下には短い睫毛で影がくっきりと出来ている。

「明日は明日の用事があるけど、今は今のスザクと話がしたい」

閉じようとした扉をジノが足を挟んで、その暗い部屋へと無理矢理一歩を踏み込む。それをスザクは不愉快そうに眺めていたが、すぐにぷいっと背中を向けて「好きにすれば」と呟いて寝室の方へと歩いて行ってしまう。
それを慌てて追いかけると、ジノはスザクの華奢な肩を掴み寄せて後ろから抱いた。
扉が閉まり、また部屋には明かり一つない暗闇へと帰る。こんな暗い中で何を一人考えてじっとしていたのだろうかと、ジノは息を詰めた。

「ジノ、」

逞しい腕が抱き締めてくるのはいつものことだった。けれど、今はそれが鬱陶しくて不快だった。
ジノはすんっと鼻を小さく鳴らしてスザクの匂いを探した。いつより少し汗ばんでいて、肌が湿っている気がした。

「ジノ……」

抱きついてきた彼は何も言わず、スザクを大きなマントで包み込む。何か言ってよ、とスザクはその腕を掴んで唇を直線に結んで俯いた。
しばらくすれば帰ると思っていたけど、扉の前から動こうとしないジノに痺れを切らして出てしまったのは少しでも自分に甘えがあるからだ。
ジノは優しいから。
けどそんなものはもう、いらない。甘えとか優しさとか何もかもがあの時一緒に消えてしまったのだから。
黙ったままでいられることがつらい。どうして何も言わないんだと苛立ちを隠せなくて、スザクは力いっぱいにジノの腕を引っつかんで剥がした。
足がふらついて、巻き髪が揺れて俯くと前髪がスザクの大きな眼を隠してしまう。
大きくて円らで深い色をした緑色は冷たいようでいつも温かいから好きだった。そんな色が今では本当に冷淡で無気力で、それでいて何かに腹を立てているもどかしさを放っている。
ジノは軽く目を伏せて、苦しい沈黙から抜け出すための言葉を探した。けれど、出てこない。大丈夫の一言も言えないぐらい、空気が重くて口を開けばスザクを傷付ける気がして怖かった。
ならどうしてスザクに会いに来たんだろう。

「君は、」

ジノが言葉を見つける前にスザクが口火を切った。重く、鼓膜に震動する掠れたアルトの声色。

「君は、僕を慰めに来たの?それとも、責めに?」

少しそれが笑っているようにも思えるほど流暢な言葉だった。
顔を上げて向き合えば、スザクがじっと滲んだ翡翠の宝石を睨ませている。

「誰も僕を咎めないんだ、何万人も死んだのに、誰も……。だから君は、どっち?」

こつんと冷たい足音が鈍く響く。
ジノは眉を顰めてスザクを見つめる。心配で来たのだから、どちらかと言えば慰めに来た、になるのだろうか。しかしそれも釈然としなくて、ジノは首を振った。

「別にそんなつもりはないさ」

「うそ、」

スザクに即答で否定されて、ジノの視線が固まる。
暗がりに浮かび上がった二つの明かりの色は今にも消えてしまいそうなほどに弱々しい。

「そんなのうそだ。どうしてだよ、僕がやったのに。僕が助かりたくて犠牲にまで助かりたくてしたことなのに」

震えた声が次第に大きくなり、激昂へと変わる。
誰にもぶつけることが出来ない気持ちがここにいるジノへと向けられる。誰も聞いてくれなかった。誰も傍にいてくれなかった。どうしていつもそうなんだろうかと思う。
いつだって、それは遅い。
どうして今なんだろう、と。

「お前がいけないって言えよ!死んでもいいって思ったのにどうしてっ……どうして僕ばかりっ。どうして僕はここにいるんだ、いなきゃいけないんだ、本当は、ほんとうはー」

死にたいのに。
喉まで出かけたその言葉が上手く言えなくて嗚咽になってしまった。もう泣いたって帰ってこないのに。悲しんだってそれは自己満足の哀悼であって意味なんてないのに。
泣くな、と自分に叱咤した。

「スザク、」

弱く、それでも2本の足で立っていようとするスザクが見ていてとても痛々しく、それでいて儚い強さを持っていてジノは目を細めた。空の手で何か確かなものを掴み取りたくて、握り締める。

「なぁ、どうして、どうして僕は生きなきゃいけないんだ。僕の償いはどこで終わってくれるんだ、もういやなんだ……どうしたら僕はー」

「スザク!」

泣き崩れそうになる小さなからだをジノは堪らず腕を伸ばして、正面から抱き締めた。きつくきつく、この腕から逃げないように。

「そんなこと言わないでくれ、言うな」

緑のマントにすっぽりと身体が包み隠される。
ジノの胸は息苦しくなるほどに熱くて、広い。その胸の温かさにスザクはすがり、もう言うなというジノの気持ちを無視して言葉を吐き出し続けた。

「だって僕は僕の意思で死ねないんだ。受け入れたのに、それが僕の償いなんだって気付いたのにだめなんだ」

覚悟は出来ていた。けれど、途切れた記憶の合間に呼び起こされた本能は、スザクを生へと焚きつける。罪を罪だと受け入れてくれない縛り付ける呪いがある限り、スザクの意思に従うことはない生と死。破錠してしまったルール。
彼がその天秤の重さを返ってしまったことが憎い。
しかしジノにはそのスザクの苦しみがわかることはなかった。
だから彼は言う。

「それはスザクが生きたいと思っているからだろ。でなきゃここにいない」

違う、とスザクは頭を振る。
わかってもらえなくてもそれだけは違うんだ、と。けど、もしかしたらそうなのかしれない。微かでもそんな希望があるから僕は死ねないのかもしれない。

「それがいけないんだ、ジノ。そんなものがあるから、僕はー」

その瞬間、耳元ではっきりするほど大きな舌打ちが聞こえて次の瞬間にも視界がぐらっと揺れて浮くと、柔らかいものが背中に弾んで身体を受け止めた。
瞑った瞳を開いて映る色は怒っている空の色。
ジノはスザクの言葉を最後まで聞き終わる前に、彼の身体を後ろにあるベッドへと押し沈めたのだ。そこへ圧し掛かり、静かに見下ろした。いけないことを叱るように最初はただ、じっと眺めて。
だがスザクの投げやりでむき出しになっている感情の棘が抜けることはない。
スザクが分からない。
分かりたくもなかった。
死にたいと駄々を捏ねる騎士の気持ちなんて。そして自分の気持ちが伝わっていないことに、悲愴した。
肩から零れてきたジノのカナリア色の三つ編みが、首筋をくすぐる。

「生きていたっていいじゃないか。生きたいと思って何がいけない。俺は、スザクがここにいてくれてよかったと思ってる。あのまま、紅蓮にやられたらそれこそ失格だ」

濡れた頬に当てられた手はスザクを慈しむ。目尻から頬、それから唇に触れてスザクがここにいることを生きていることを確かめる。

「責めて欲しいならいくらでも言ってやる。慰めて欲しいならいつだって傍にいる。けどなスザク、そんなものを望んだって今が何も変わることはないってことぐらいわかってるじゃないか。今できることを精一杯やるのが、スザクだろ?知ってるスザクはいつもそうしてた。みんなわかってるよ、そしてスザクだけの責任なんかじゃない。ごめんな、スザク。傍にいて欲しい時にいてやれなくて。俺も失格だなぁ」

前髪を掻き上げて狭い額を手のひらで撫でる。
蒼い瞳は愛しげにスザクを見下ろして、美しくて朗らかに微笑んだ。
どうして笑えるんだろうか。どうして僕のことをそんなに好きになってくれるんだろうか。
こんな生きていてももう命を狩ることしか出来ないだろう白い死神なのに、ジノだけは僕を見ていてくれる。振り向かなくても、そこに視線を感じて見れば彼が居た。
手を伸ばせば届く距離にいる君。
溢れるものが一体どういう感情なのかわからない。嬉しくて悲しくて、愛しくて。同情でもいいから、ジノから愛されたくて必要とされたい。罪を重ねる僕がこんなに優しくされるのは間違っているのに。
唇を噛んで込み上げて来る声を殺す。

「スザク」

ぎゅっ、と抱き締められてスザクは揺らぐ視界の先を見つめる。何もない。それはまるで、自分のように暗くて目が開けられないほどの眩しさもあって空っぽだ。
重なるジノの心臓の音があって、生きているんだと知る。
あんなに冷たかった手や足に溶けて行く体温に、ゆっくりと目蓋を伏せて静かに色輝いていたエメラルド色を隠していく。

「ジノ」

力強い腕はまだ離れない。
近くで向き合う瞳と瞳。額と額をすり寄せてスザクの唇を啄ばむ。
音を立てて離れたジノの唇が薄っすらと孤を描いて笑った。
まだ自分に笑ってくれているジノがいることが、不思議で恐い。
けれどせっかく捕えた熱に逃げて欲しくなくてスザクはジノの背中に手を伸ばした。降って来る幾多のキスを受け止めながら。

「君が、僕のこと大嫌いになってくれたらいいのに」

艶かしい吐息に流されたスザクの台詞は、冗談にも本気にも聞こえる曖昧なトーン。それに答えるジノは喉を震わせて、

「そうなれたら一番良かったのかもなぁ」

と残念そうに呟いた。
嫌いになれたら、軽蔑して罵ってくれたのならもう悲しむこともなくなるのに。君がそうして優しくしてくれるから、まだ悲しいなんて気持ちが残ってしまうんだろう。
僕に悲しみ愛する理由も権利もないのに。
スザクは流れ落ちない涙の代わりに薄らと笑って見せた。
それがとても切なくて、ジノが今にも泣き出しそうな顔色を浮かべてもう一度しっかりとスザクを抱き寄せた。
痛い、と呟いても離してくれなくて諦めのため息が零れる。
目蓋を閉じれば僕の大切だったものが消えていく瓦礫が見えて、瞳に映す世界は笑ってくれる太陽があるけれど眩しすぎて開けていられない。
映る天井の色は仄暗い。耳に残るはジノの甘くて低い名前を呼ぶ声。
スザクは微かに香るジノのにおいに抱かれて、ぼんやりと空虚の中を漂う。
このまま目を閉じて眠るように永久に眠ってしまいたい。
願わくは、この温かい腕に愛されたままがいい。
そして急に触れた手の先の温かさに怯えて、引いた。






(もう君が好きだった僕はあの光とともに死んでしまったんだー)



















                                  


白翼の悪魔