沈黙が流れる。それは重いはずなのに、なぜか心はどこか軽かった。
突きつけられ剣の切っ先を見下ろして、またその赤色に染まった両目で目の前に立つ少年を見つめ返した。
彼は動かない。ただ鋭い鷹のような瞳を光らせてじっ、と自分を見ている。それが憎しみなのかそれとも怒り、悲しみなのかわからない。ただ静かに、見られている。
「どうしたんだ、スザク。仇と言うのならその剣でこの喉を突き刺せばいい。それでお前が満足なら、やればいい」
とても自暴自棄な答え方だった。
殺せよ、殺してくれ、と嘆いているようにも聞こえたルルーシュの乾いた声。しかし眼だけは強い光でスザクを射抜く。それに負けぬよう、スザクもきゅっと唇を噛み締めて太い鷲色の眉を吊り上げた。
黄昏の色が落ちてきて、辺りを染める。
ここにはもうその色しかなかった。
ふいに、スザクからの殺気が引いて行き、剣が下ろされる。がらん、と大きな音が地面に揺るがしてスザクの手から長剣が滑り落ちた。響く音が空虚に吸い込まれる。
スザクはエヴァーグリーンの瞳を瞬きさせて、首を振った。

「もう、やめようルルーシュ」

そう、はっきりと力強く発言した。
淀んだ緑色にハイライトがなくなり、目蓋を伏せる。

「確かに君は僕にとって討たなければならない仇だ。けど、それはただの自己満足による君が言う自分だけに優しい業なんだろう」

ルルーシュを殺せば何が晴れるというのだろう。
仇と言って殺して終わる科せられた罪と罰だろうか。
人を殺すことが自分の業だと思った。だからもうそんな業は僕だけで十分だと思った。ルルーシュをここで殺めてしまうことだって、それはスザクだけが出来る持っている責任という十字架。
ルルーシュは黙ったままスザクを見つめる。その呪われた王の力を宿した瞳で焼き付けるように。何か言うべきことがあるはずなのに、それは出てこず彼からの次の言葉を待ってしまう自分は卑怯なのだろう。

「もう嘘はやめようルルーシュ。悲しい嘘は」

欺くだけの嘘じゃない。何かを支え、助け、守るための嘘をルルーシュは肯定した。そして彼はそれと同時に、ずっと痛み続ける嘘を大切な人に付き続け傷付けてしまったことに後悔し受け入れ、それを踏み絵としてまで明日へと生きようとした。
今のルルーシュには何も残っていない。母も父も、妹も。
ギアスと孤独。たったそれだけだ。
それは彼の言う結果だ。今までしてきたことへの。
結果が全てだという現実に辿り着いて、スザクはその絶望を知る。孤独になる選択を。自分とは異なる孤独を持つことを。

「僕の前では嘘は付かないで。……ちゃんと、君と向き合いたいよ」

ユーフェミアは死を覚悟した自分に、生きてと叫んでくれた。
ルルーシュだって、生きろと唱えてくれた。
それが呪いだとしても、彼が生き残りたかったと言葉にした嘘だとしても、自分の生を望んでくれたことには変わりない。誰にも邪魔をされないこの空間でなら、掴めなかった手を取れるかもしれない。
ルルーシュの瞳が微かに揺れる。細い指を握り締めて拳を作る。
しかしまだ彼は口を開かない。

「シャーリーが言ったんだ。君を赦せないのは赦したくないんだって」

彼女が死んでしまったことはまだ鮮明に思い出せる。言葉の一つ欠片も、スザクの頭の中にこびり付いていて離れることはない。
それを初めて聞いたとき、自分の中で何かが動き出したんだ。頑なに閉じていた扉がノックされて、隙間から見えた光に吸い寄せられた。
スザクは落としていた視線を再び上げて、真っ直ぐにルルーシュを二つの瞳の中に映した。

「僕は君を赦そう」

その瞬間、ルルーシュの眉根に深い溝が出来た。悲愴で、信じられないものを見るような双眸だ。しかしスザク自身、そう言葉にしてみても本当なのかそれともまだ拭えない悲しみなのか、よくわからなかった。
それでも言葉とは不思議で、口に出してしまえば声は消えるけど言の葉はずっと残っているのだ。だから何か、そう言ったことでまた新しくて気付かなかったものが見えてくるんじゃないだろうか。

「ユフィやナナリーが目指した世界は、きっとそういうものだから。他人に優しくある世界。誰かに優しく、必要とされる等しい世界を、もう一度君から始めたい」

ユフィはルルーシュだということを知っていたのだろう。それでも彼女の最期はとても綺麗なままで、決して彼を責めるようなものではなかった。
僕が彼を赦してしまったら、誰が彼を止めるのだろうと思っていた。赦してはいけない、そのために僕がいるのだと。
けれど、蓋を開けてみてみればそれすらも傲慢だということだ。

「僕は手段を選ばない、犠牲を考えない君のやり方が大嫌いだった。けど、君が見ている未来というものを見たいと思うんだ。僕はルルーシュをよく知っている。君もまた、僕をよく知っているから」

そしてまた、ユフィとナナリーの想いも知っている君だから、君がこれから成そうとしている世界に生きて、死んで行きたいと思ってみることにした。
無意識の中に問い掛ける。
もしかしたらあるかもしない彼女たちの声を聞くために。けど、そんなものがあるはずも聞こえるわけもなくてスザクは一人苦笑した。
答えはいつだって決まっている。自分が決めるのだ、そうしたいと。
スザクは大きく息を吸って、声を震わせた。

「僕は君を最後まで憎めないんだ。ユフィのせいにして君のせいにして、自分だけの優しい殻の中にいた。僕はルルーシュのことが好きだから、赦せなくて……憎めなかった」

胸の内が勝手に熱くなってきて、鼻がつんとしてくる。
結局、僕はルルーシュを赦すきっかけが欲しかっただけなんじゃないだろうか。頑固になっていただけで、頭ごなしに決め付けてもう二度と共にはいられないと勘違いをしていただけで、いつでも本当はルルーシュの傍がよかったんだ。
僕の心がルルーシュの胸に飛び込んで行きたいと訴えている。もういいんじゃないか。もう十分お互いに苦しくて辛くて、泣きたかったのに泣かなかったのだ。
もうそろそろ、自分を解放してあげてもいいだろうか。

「スザク」

ようやく、彼の唇が動いた。掠れた声に呼ばれて、スザクはもう我慢の限界で溢れた涙を眦に溜めながらルルーシュの姿をにじませる。
ルルーシュに名前を呼ばれることがとても愛しく感じて、胸が波裂しそうだった。

「スザク、」

こつこつと近づいてくる足音。ルルーシュの声もまた、感情を揺すられながらの震えた低い声。
スザクの前で足を止めると、ルルーシュは一気にあふれ出しそうな言葉を押さえ込むために呼吸を深く飲み込んだ。

「俺はお前に、謝らなくてはいけない」

具体的に何をどうすればいいのかわからないけれど、ただ言葉は勝手に走る。気持ちは急く。

「もっと、ちゃんと……スザクに、」

あの日、枢木神社での逢瀬の時に交わした会話のような自棄で嘘を付いた謝りではなく、ただのルルーシュとして、スザクの友だったルルーシュとして言わなければならない。
その後の言葉を続けることが出来なかった。込みあがってくる気持ちに負けて、嗚咽だけがルルーシュの口腔を満たしていく。

「……俺は、お前に赦して欲しいだなんて、思ってなかったんだ……憎まれて、当然で……お前に殺されるのなら、それでもいいって」

最後に小さく、けれどスサクにだけ聞こえる囁きで「すまない」と零した。
堰を切ったように流れ出す温かい雫に頬を濡らし、スザクは堪らずルルーシュへと手を伸ばして抱き締める。ルルーシュの手がそのスザクの腕を掴まえて、擦り抱き締め返す。胸に顔を埋めて、また「すまない」と泣いた。
濡れた睫毛が目蓋に薄い影を作り出す。抱き締められた互いの身体温かさに驚いた。こんなにも、スザクはルルーシュは広い腕を持っていただろうかと思えた。
遠ざけていた愛しさが戻ってきて、涙はずっと瞳の奥から流れ続ける。

「スザク、お前は嘘を本当にしろと俺に言った。そんなことはもうしない、本当にあるままの俺が欲しいものを望む」

ルルーシュの速い心臓の音が胸を叩いていて、感じることが出来る。
薄っすらと開けた緑色の瞳は終わりのない黄昏を眺めていた。

「その果てが地獄でもいい、俺が今約束出来ることは……それだけだ」

ナナリーが求めた物語を、ユフィが語ってくれた優しさを背負おう。それは懺悔でも償いでなく、罪と罰として。すすり泣く声が聞こえる。それはスザクのものなのか、ルルーシュのものなのか。
ぎゅっ、と回した腕の力が強くなった。もう離さない、と訴えているかのように。
二人で始める。二人で終わる。
最後までずっと一緒。二人なら、終わることも恐くなんかない。後悔なんてしない。

「ルルーシュ、僕はユフィの騎士だった誇りを、皇帝の騎士であったことの誇りを自らの誇りにして君の、君だけの騎士になろう。君を守る盾となり矛となる」

もう一度手を伸ばす。今度こそはその冷えた手を取って、同じ道を歩く。
ルルーシュ。僕は君と行こう。
人を殺めることを業として認めた僕だから、君の騎士になろう。
この物語は君が終わらせなければならない。そのためにも僕がいる。その行く先まで君を守ってみせよう。
二人なら出来ないことはない、と三度目の誓いを立てる。幼い頃に交わした可愛らしい約束。二度目のときは互いが偽り、利用するために吐かれた苦い想い。
そうして得て来た時間は今という現実となって、結ばれるんだ。
二人だけの出発点。ゼロからもう一度、始まる僕らの絆。
ぼんやりと開いた眼は何も映さない。視界の端に入る黒い彼の髪だけが、唯一だ。それからきゅっ、と目蓋を閉じて深呼吸をする。鼻を啜れば情けない鼻音が鳴って、微かにルルーシュの匂いがした。
それはとても完熟の果実のように甘く、いけない誘惑の香り。

(ああ、もう君しかいない。君には僕しかいないように、僕には君しかいない)

スザク、と耳元で声がしてスザクはゆっくりと瞬きを繰り返し、また薄い目蓋の肉を下ろす。





そして僕は暗く、そして眩しい世界に焼かれながら、君とちるー