世界は変わっていく。
残された命によって、少しずつ目に見える速度でゆっくりと。
やっと近づくことが出来た世界に、君と僕はいない。ずっと叫んでもがいていたのは君だったのに。その声はやっと世界に届いた時にはもう君はこの世界にはいなくて。
そして僕も一緒に君と願いの中に眠った。



第99代ブリタニア皇帝であったルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが若くして亡くなってからの世界はとても目まぐるしかった。大国であり、絶対君主であったブリタニアが解体されてその脅威を世界から払拭し新たな国として建国されるとその代表にナナリー・ヴィ・ブリタニアと残された皇族であるシュナイゼル・エル・ブリタニア、コーネリア・リ・ブリタニアを筆頭にし、再建に励むこと各国首脳との平和講和が結ばれ、世界戦争に発展していたダモクレス戦役は本当の終わりを告げた。
また、彼女らの傍らにはいつでも仮面に黒いマントを纏った一人の少年が佇んでいる。誰もが知っている容姿であるが、その昔に世界を震撼させたカリスマ性を持つ黒の騎士団の頭領、ゼロとはまた違うゼロがいた。
ルルーシュがゼロであったことは極一部にしか知られていない。そのため、このゼロが魔王と呼ばれたルルーシュを討ち取ったことに対して民衆に湧き立ち、彼らの真意も知らぬままに正義の剣だと英雄扱いした。
そう、この男はゼロでありゼロでなく、枢木スザクではなくスザクなのだ。
最愛だった友をその手で討ち最後の願いを受け取り、最愛の友がくれた罰という生を背負う業をも受け取った少年は英雄とはほど遠かった。
枢木スザクは死んだ。ルルーシュとともに。
そしてスザクはゼロという仮面の騎士として、「人々の明日」のために生きることを選んだ。
スザクは生きることが呪いだと思っていた。ルルーシュによって生かされる命など呪いの他ないと。けれど、最期の彼のギアスが願いと変えた。
生きることで償えなんて、僕にこれほど似合う罰などないだろう。
スザクは生きている。生きていかなげばならない。ルルーシュの罪の証であるこの姿とともに。
枢木スザクは枢木スザクという名と情をルルーシュに捧げたのだ。
最期の心の声が世界に届き、優しい世界が明日にあるのならどこまでも彼と行ってみようと決めたのは自分だ。
仮面の奥に秘めた瞳の色を濁らせて、ゼロになったスザクは広い芝生の上を歩いていた。
風が鳴き、太陽が静かに落ち始め一日の締めくくりを告げる。その先に見える光景は緑色の絨毯の上に均等に置かれた白い墓石たち。
エリア11と呼ばれた国は日本という名を返され、今では総督と呼ばれるブリタニア人が治めるのではなく日本人である首相が対等で話し合いの席を設けている。すべての国がそうであったようにこの国も元の姿を取り戻しつつある。
ルルーシュが眠っているのは、祖国であるブリタニアではなくこの日本だった。
多くのブリタニア人が眠る霊園の一角に、彼の柩がある。
本来ならば本国である方が好ましいだろうが、彼の皇族としての籍は外されて皇族として眠ることを許されていなかった。それに妹であるナナリーからの強い希望でこの地に今、静かに眠っている。また、悪逆として世界の憎しみを集めてしまったルルーシュの墓石があるこの墓地は非公開の場所であり日本とブリタニア政府管轄区であるため一般人が入ることは許されておらず要人しか入ることが出来ない。荒らされることを恐れたが、日本政府の協力の下そのような事態は今のところ起こっていなかった。
その隣には枢木スザクと書かれた石がある。至上の騎士としての名を刻まれて名が。
この墓石たちに花を手向ける者はいない。悪逆であるルルーシュとその騎士であったスザクは、誰にも悲しまれることなくひっそりと二人だけで寄り添っている。
ここに来るのはゼロである彼とナナリー、……あとはどうだろうか。とても寂しい場所だと、ゼロは思う。それでも、ここにルルーシュに会いに来てただ、黙って花を添えて帰っていく。細い影がすっ、と遠くまで伸びて一本の線を描く。小さくて、それだけでは頼りないか弱い影に見えてしまった。
彼の腰にはいつだって一本の剣を携えている。
ルルーシュが皇帝即位後にその象徴として持っていた王の証でスザクを至上の騎士と命じ、そしてルルーシュの命を奪った剣。ゼロは正義に忠義を尽くすためにこの剣を手放すことはなかった。
今日は彼の二度目の命日だ。一年、また一年と過ぎてもここに来ることは忘れない。スザクは視線を自分の名が刻まれている墓へと下ろすと驚いた。そこにはもう、白いアリエスの花束が置かれていたのだ。
誰がこの憐れな騎士を慰めようとやってきてくれたのだろうかと奇妙なものを見るようにして眺め、やがてそれに興味をなくす。ルルーシュの墓石にはもうナナリーが添えたのであろう花が一つ。その白百合に抱えてきた同じ花を並べ、すぐに踵を返した。長居をしていいような場所ではない。英雄であるゼロが本来来るように場所ではないのだ。
ナナリーとスザクは富士山麓で行われた追悼式典に出席し、首相である扇要との対談のちにブリタニアへと帰国する。


ゼロであるスザクは人並みの生活、居場所がなかった。一年にしてやっと消失したペンドラゴンに変わる帝都を遷都し、新たな国の中核としての働きをしている政庁の誰も入ることが許されない地下にある部屋で一人、スザクは暮らしていた。地下と言っても、生活するには十分すぎる広さでロイドが作ってくれたサクラダイトを原料とした人工温室と太陽の明かりがある。夜になれば暗くなるし、朝になれば外と同じように太陽が昇ってくる。
唯一、スザクがこの仮面を外すことが出来る部屋だった。しかし外したからと言って、スザクという素顔に戻れるわけではない。かつてのゼロにはルルーシュとゼロという二つの顔があったけれど、彼にはもうゼロという名と罰しか残っていなかった。
誰もが彼を支え慕うが、彼はそれでも甘えることなく一人でこの正義となった名を背負う。
ルルーシュのような頭脳もない自分が出来ることと言えば正義の象徴となることと、ナナリーを守ることの二つ。
スザクは地下室へと続いていく階段を最下層まで下りていくと、突き当る扉の鍵を開けた。が、その扉がもう既に開錠されていることに気が付いて、顔を強張らせた。
この場所を知っていてもパスワードがわからなければ入ることは出来ないはず。その暗号を知っているのは極限られてきているが、今まで誰も勝手に彼の場所に立ち入ることはしていない。
スザクは重い鉄の扉を開けて、その中にあるもう一つの温かみのある木製のドアを開ける。何もないフローリングに敷かれた絨毯と、テーブルとソファ。奥には寝室があり、バスルームがある。今は夕暮れなのだろう、窓の外に見える太陽が果てに沈むと、橙色に染まった空がだんだんと群青色に変わる視界の中によく知る人が立っていた。濃い緑色のマントを靡かせて、金色の髪と射抜くブルーの瞳。
少し見ないうちにまた高くなった気がする。それに肩幅も広くなったように感じて自分とは違い凛々しく大人になっていく彼がいて、仮面の下では狼狽する。どうして彼がここにいるんだ、と身体が緊張した。
そういえば、昔から彼はよく自分の部屋に勝手に入って帰りを待っていたことがあったことを覚えている。

「ジノ」

仮面の中で呟かれた言葉は彼には聞こえていない。
ゼロの前に佇むのは懐かしい男の姿。随分と彼とは会っていない。ダモクレスの天空で刃を交えた以来、と言ってもいいほどの久しい意図していない二人きりの空間だ。
ジノはあれからラウンズして復帰し、今では代表団の護衛としての任やブリタニアの外交の場で主に活躍している。ヴァインベルグ家はペンドラゴン消失の際に彼一人となってしまったが、それでも彼は彼なりの国への忠義と自身のプライドに殉じて新たなブリタニアの力となっていることを、ゼロは知っている。
しかし会うことがあってもそれは公の場であって、決して故意に会うこともなかった。
それはゼロとしての生きると決めたときにわかっていたことだ。ジノはきっと、聞いただろう。自分からでなくても、ゼロが誰であるか、ルルーシュとの約束と真意を。聞いていなくても、ジノは少ない月日でもずっとスザクを見てきた。スザクがどうしてあんな行動を起こしたのかわからなかったときもあったけれど、今こうしてもう一度スザクと向き合うことを決めたからここに無理を言って入らせてもらったのだ。
向き合えた視線の先に映る仮面には表情がないけれど、きっと不愉快で困った顔をしているんだろうと想像が出来る。
スザクがどうしてゼロになり、皇帝ルルーシュを殺さなければならなかったのか、彼らの決意をその目で眺めることしか出来なかったことを恥じた。自分がもっとスザクをわかっていれば話を聞いていれば。けど、そんなことは自身のエゴだ。きっとそれでも変わらない結末だったかもしれない。
後で知る真実ほど残酷なものはない。
しかしその真実を突きつけて、どうしてと悲憤することに対してジノは発言する勇気がなかった。それではスザクの意思を無視し、踏み躙ってしまうかもしれないから。彼が望まないことを、したくはなかった。彼には望んだことをして欲しかったから、この二年間黙り続けて、一番に辛いのはゼロであるスザクだと気付いているからずっとどこか近づけなかった。
けれどジノにはもう堪えられなかった。このゼロがスザクであることへの焦燥と、恋しさにそろそろ押し潰されてしまいそうで、逢いたくて仕方なかったのが本音だ。
触れたくとも触れてはいけない。すぐそこに愛しい君がいるのに、触れては悲しませてしまうことが怖くて愛しさだけは積もり続ける。
人が人を恋しく思うことはいけないことだろうか。それがどんな禁忌だとしても、止められる気持ちだろうか。
ああ、今すぐ呼びたい懐かしい名前を。

「勝手に入ってすまない」

懐かしい明るい声は変わっていない。久しぶりに会話をしているということに、緊張した。柔らかく、細くなるスカイブルーの双眸はやっぱりいつ見ても綺麗な宝石だった。
仮面の中からでもそれがわかる。一度、恋した色だから。
ゼロであるスザクは拳を握り締めて黙っていた唇を開く。

「勝手に入らないで欲しい。ここは、君が入っていいような場所じゃない」

声が震えないように、低く保つ。するとジノは背中に回していた後ろから白のアイリスの花束を取り出して彼へと差し出した。
それが何を意味しているのか一瞬首を傾げたが、すぐに思い出す。
そうだ。その花は枢木スザクの墓前に添えてあった花の色だ。

「あなたにもと思って」

にっこりと笑うジノがいて、急に心臓が熱くなった。

「どういう、意味だ。自分にも、ということは他に誰に?そのためにこの部屋に勝手に?」

咎める声を強くしてスザクは彼の前に悠然と立つ。
しかし長身である彼に立たれると、その影に収まってしまう体躯。素肌はどこも見えないし、顔だって瞳の色だって髪だって触れないけれどこれがスザクであるとジノの全身は言っていた。

「枢木スザクの墓にも置いてきたんだ。けど、あの中には誰も入っていないのに、私はその墓に花を添える。意味はないのかもしれないけれど、スザクを愛していたから尊びにくる。別に今回が初めてじゃない」

独り言のように始めたジノの台詞が空気を伝って肌へと突き刺さってくるようで、痛くて苦しかった。一歩引き下がり、逃げ出したくなって重くなっていく足を引き摺るようにしてゼロはジノから遠ざかる。
その空っぽなんだろう?、の言葉の真意が怖くて、仮面の自分が自分を剥いでしまいそうで怖い。
いいや、ジノは僕を捨てたんだ。僕がジノを捨てたように、献花しに行ったことだってジノはもう枢木スザクを愚か者として慰めに来ただけなのだ。
後ずさり部屋から逃げ出そうとする彼に、ジノは溜まらずその名を喉に通した。

「待ってよスザク!」

そう、大声で呼ばれて足を止めてしまった。これは自分がスザクであると肯定してしまったことになるんだろうか、と慄いてまた急ぎ足で駆け出す。だがそうはさせないジノが追ってきて、力強く手首を掴んだ。

「スザク!」

必死な声で何度もその名前を呼ばれて、声にならない悲鳴が身体から迸った。どうしてその名前を呼ぶんだ、とありったけの怒りと哀しみを加えて。
それでもジノはこの少年をスザクして見ることをやめない。

「もう知らないわけじゃない。すべてを知ったわけじゃない、けれどお前がスザクだってことは知ってる。そうなんだろ?」

他人から聞くのは気持ちが悪い。だから自らスザクが話してくれるまで聞かないのは変わらなかった。教えて欲しかったと思ったけれど、彼らの明日を願う気持ちはジノにも届いたからこうしてもう一度スザクに逢いたいと強く求めた。
スザクから聞いた言葉、声がジノの本当になる。
だから知っていても知らないふりを続けてそれがスザクにとっても一番でなきゃいけないことだと、思っていた。ナナリーやすべての人が彼をゼロとして見ているのだからそうしなければならないと。
しかしそれが本当に彼にとっても周りにとっても良いことなんだろうか。
ジノにはそうは思えない。彼と、この地で眠る彼がどういう言葉を最期に交わしたのかは分からない。その託された想いを知らないから、ジノは真っ直ぐにスザクを探し出して見つめることが出来る。
真摯で純粋な愛情は、時として凶器となる。
私を見て、私に教えてお前の口からスザクのことをとジノの澄んだ蒼が貫いてくる。

「ちがう、」

スザクはその芯の通った瞳に慄いて無様に首を振り、ジノの腕を振り払う。

「僕は違う」

僕はゼロだ、と唱えて崩れ落ちそうになる膝に力を入れて佇む。
それでもジノは諦めてくれなかった。

スザク、と愛しげに名前を呼ばれることがどんなに苦痛なのかジノは分かっているのかと、悲憤して声を荒げた。

「違う!枢木スザクは死んだんだ!君の前にいるのはゼロであってスザクじゃない!」

仮面の中に響く自分の声がひどく情けなかった。今にも泣き出しそうで、我儘を言っている幼子のようじゃないか。
今になってどうしてそんなことを言うんだと、唇を噛み締めて俯いた。ずっと君だって黙ってゼロであることを認めてくれていたじゃないのか。それを今、どうしてまたその名で呼ぶのだ。肩が激しく上下して乱れる彼を見つめ、仮面へとジノは手を添えて「なぁ」と悲しげな声色で願った。

「これ外して。外してスザクだってこと私に見せて」

頬を包まれているように彼の手のひらにスザクは怯える。

「だめだ、外せない。僕はゼロなんだ、」

いやだと拒む彼に、ジノはそれでも外してくれと乞う。スザクの顔が見たい。スザクに逢いたい。空っぽの墓にいたスザクじゃなくて、ここにいるスザクに触れたくてたまらない。
注がれる熱い視線に戸惑い、狂いそうになる。

「これは罰なんだ。ルルーシュがくれた僕が一番欲しかったものなんだ。枢木スザクはもう、いないんだよジノ」

隠せない気持ちは揺れて、仮面をしていてもスザクの姿をしていなくても声だけはそこにいるジノにスザクであることを伝えていた。
スザクがスザクとして生きることが出来ないことが、こんなにも悔しいものかとジノは金色の眉を顰める。誰もが自身を認め自分のために生きている。それをスザクは名も生もゼロという仮面に捧げなければいけない。
それが彼らの決めた約束。守らなければいけない約束。スザクが求めた結果と、一つの幸福論。
そうして明日を迎えることが出来るルルーシュからの罰なのだから、スザクはもうスザクとして生きることをやめなければいけない。ジノがいれば、それが出来なくなる。
きっと君は愚かだと思っているんだろう。こんなことはおかしい、と君は言うんだろう。だから何も言わず告げずスザクはジノから離れることをした。言ってしまえば自身が揺らぐ。黙って君を裏切ったことを許さないままでいてくれればそれでよかった。それは少しでも僕が彼の中にいたという自己満足の愛があったという証にもなるから。
しかしジノはそんなスザクの気持ちがあったとしても頑として譲ることはなく、首を振ると項から垂れた三本の三つ編みが揺れ動く。

「スザクはスザクだ。私の中では変わらない。スザクが前、日本人が心だと言っていたようにスザクの心はスザクのままだ。他人になろうなんて、できるわけがない」

視線が合っているのかは分からない。けれどジノには黒い仮面のレンズの向こう側にある大きなエメラルドグリーンの瞳が自分を見つめていることを信じている。
蒼の瞳は活き活きとしていて真っ直ぐに見てしまえば焼かれてしまう輝かしさだ。

「―……」

スザクは瞬きをして、ジノの背後に映る群青色に支配された架空の空を見る。僕が欲しかったものをジノは与えてはくれない。くれたのはルルーシュだ。
ジノはスザクを愛していてはいけないのだ。もう、そんな人間はいないのだから。
そう思って覚悟をしていても、胸が痛くて痛くて今にもその腕の中に抱かれたいと思う。
どうしたらジノは諦めてくれるだろう。どうしたらスザクという人間を忘れてくれるだろう。
永遠と答えが見付かりそうにない問に対して、ならばと思い切った行動を取ることにした。
スザクはジノの腕を掴み下ろすと、仮面の側面にあるスイッチを押すと圧迫されていた空気が新鮮になって重い仮面が顔から剥がれ落ちる。
口元まで覆われたマスクを下げて顔を振るとココア色の髪がふわりふわりと揺れた。
ジノの目に映るのは間違いなくスザクだった。最後に目にしたときと変わらない、愛しい少年だ。変わらないはずなのに、ほっそりとした線になってしまったように見えた。また、歳の割りには幼い顔つきだった彼も大人びていて甘さのある色気ではなく、淑やかに濡れた艶を宿していてジノの胸が熱を孕んだ。
だがスザクの表情は恋しさとは掛け離れた冷たくて麗美なものだった。太い眉を凛々しく釣り上げて、ジノを見つめる強い光。

「僕はゼロだ。例え君にこの顔を晒しても、これはスザクじゃない」

仮面の下にもゼロいう絶対の仮面を被り、決して見せてはいけない弱さを隠す。
この顔は確かにジノには枢木スザクのものに見えるだろう。しかしそれはもう虚であり、仮面こそは今のスザクを生へと繋ぎとめている罪と罰なのだ。それを剥がしてしまったら、罰にはならない。枢木スザクはもう死んだのだから、この仮面の剥がれた少年はどこにも行けなくなってしまう。

「これで満足したかい?君が逢いたいと思っている枢木スザクはもういないんだ。ルルーシュと一緒に、死んでしまったから。前、君にも言ったよね、人を殺すことが業ならばそれを認めようって。その結果なんだ、ルルーシュを僕が殺してそして僕がゼロになって得た世界なんだ。君に僕のことなんてわかりはしない、わかってもらおうとだって思わない。だってそうだろ?君は僕があの空でランスロットごと爆破したとき、僕のことを想っていてくれたかい?僕が死んで泣いてくれた?そんな君に慰められる僕はとても惨めだよ」

伏せられた睫毛が深く影を作り、哀を滲ませていた。
並べられた台詞は吐き出すたびに小さな棘を含み、わざと嫌われ者を演じているようだった。
スザクの傍にいることを拒んだのは、スザク自身だってきっと彼ならいくら誘いを掛けても決してここにはこないとわかっていたことだった。離れていく彼を追うことはもう出来ないことも。ジノにはスザクのすべては理解することは出来ない。例え真意を知っていても、ジノはスザクではないから、分からない。
けれどわかってやれる気持ちだってある。知ってあげることが出来る悲しみや恋しさがある。
彼らの明日を人々の明日という希望に変えて、世界をも変えうる波となった。それは誰もが真似できるような覚悟なんかじゃない。だからあの時、スザクの手を取っていればもっとスザクを知ることが出来て傍にいてやることが出来たのだろうかという後悔が押し寄せる。だが後悔したとしてもその中に少しだけでもスザクとしての未来が欲しくて、ジノは食い下がらなかった。スザクが見せてくれたもう一人のゼロとしての姿を目に焼き付けて、ジノは声色を強くして告げる。

「それでも、待ってるから」

スザクの緑とジノの青が懐かしげに出会って混ざり合う。
彼からの言葉はスザクには予期せぬもので、これで諦めてさようならの気持ちの整理が済んでいたのにそれを覆すジノのスザクを愛しいと一途な想いに足先まで痺れていくような感覚があった。

「私はスザクがスザクとして帰ってくるのを待つ。そしていつだっていい、辛くなったら泣きたくなったら私のところにくればいい。それぐらいは許してもいいんじゃないか?私は今のスザクも前のスザクもこれからのスザクだって変わらないぐらいに愛してる。お前が遠くに行ってからやっと私はスザクと向き合う力を得た気がする」

ジノから零れてくる言葉をスザクは目を丸めて呆然と聴く。
心地良いその少し高めの声とまろやかさはいつだってスザクを安心させてくれたもの。同時にいつも、その優しさに苛まれもしたけれど彼へと走る愛情もまたスザクの本心だった。
孤独で戦うことはない。どんな形でもいい、自分もスザクとともにありたい。届けたいものがジノにはある。

「ずっとずっと好きだから、スザクがスザクでいられる場所を私がちゃんと守っていつ帰ってきてもいいように、スザクを待っているから」

それぐらいしか出来ないことが悔しかった。生きているならば、いつかまたスザクとして生きることが許される日も来ることをジノは明日として祈ってみたい。
明日、その気持ちが少しでも動きますように。
明日、スザクが少しでもスザクらしく生きられるようになれるように。
スザクとルルーシュが人々の明日を願いとしたのなら、ジノはスザクの明日を望む。そうやっていつかまだ届かない時間でも、スザクが帰ってこられる居場所があるように待っていることをジノはスザクに約束する。

「いつか帰る場所を、スザクに」

がらん、と手に持っていた仮面が地面に落ちてジノはその逞しい腕でスザクの頭を抱き込んだ。知っている温もりと匂いがあって、ジノは微笑む。
ああ、やっぱりスザクはスザクだと。
腕に抱かれながらスザクはこみ上げてくるものを止められなかった。
この腕は自分が欲しいものをくれないというのに、それでも居場所をくれるという言葉に胸が苦しい。
暗く闇に身体が溶けていってしまいそうなほどに静かで温かい。

「もう一度スザクと出会いたい。もう一度、ここからスザクと始めたい。ゼロからでいい」

スザクはゼロの仮面を被り続けるが、その感情はただのスザクだったスザクのものだ。誰がため自分のために、本当は生きている。それでも、こうして誰かがスザクに生きて欲しいと願ってくれる人がいる。

「スザク、私は孤独を知ったよ。頼ることは助けを求めることは罪だとお前が言うのなら、その罪は私が背負おう。だから、」

だから私を一人にしないで、とジノは心細くスザクの鼓膜を震わせた。
ジノは初めて孤独を知った。国、家柄、大切な人との居場所を失くしたった一人になったときに人とは所詮一人ぼっちであることを。
人は孤独では生きられない。スザクが孤独を選んでもそれでは世界が変わろうとしても、スザクだけが取り残されていつか過去になる。そうはさせたくなかった。
彼が仕えた王は孤独だっただろうか。いいや、ルルーシュは最後まで愛されていた。そうでなければ、今の彼はここにいない。愛されて憎まれた故に揺るがない絆が二人を強くさせた。少し、それが羨ましいと思う。
何もないのだと思ったとき、戦う理由がわからなくなってスザクがわからなくなったとき、ジノはそれでもスザクを理解しようとずっとずっと考えていて、気付く。自分の明日の中にはいつの間にかスザクがいてスザクがいなくなる日常に戻ることが出来なくなっていることに。思い出すのは彼との日々。不器用だけど誰よりも真っ直ぐで純粋だった少年はジノを虜にした。儚げで、それでも凛とした佇まいと時折小さく見えたスザクの姿が、やっぱり目蓋の裏から離れない。
笑ってほしくて私だけを見ていてほしかったけれど、彼の芯に触れるほどの勇気はなくて離してしまった手。
途切れてしまった糸をまた、ここで紡ぎたい。
なくしたくないと、どんなに引き剥がされても自分はスザクを愛してやまないのだと。スザクと繋がっていたくて追いかけて逃がさなかった。

「私だけの前では弱みを見せてよ、それぐらい残っていたっていいじゃないか」

訴える言葉から溢れてくるジノの愛しさと優しさに、目が霞む。
スザクは自分が大嫌いだった。認めて欲しくて嘘が嫌いで嘘をずっと付き続けてずっと自分のエゴのために死にたくて、たった一人の肉親を子である自身が殺し、守ると誓った大切な人を守ることも出来ず最後には友だった最愛の人を血に染めた僕にはもう幸せなんて望んじゃいけなかった。
けれど、周りは彼を愛しスザクが悲愴な決意で得た生き方を支えたかった。わかってくれる人はもういらないとスザクは思っていたのに、必死になってくれるジノがこうして伝えたい想いを携えて逢いにきた。
どうして、とスザクの全身が悲鳴に震える。
ジノはスザクと同じなのだ。スザクが人々の明日を願ったように、ジノはスザクの明日を求める。彼にはもう出来ない欲求だから。
スザクはやっと捨てたいと思っていた名前をなくして自由になった。そしてゼロという名を持つ英雄は、ただのスザクが望んだ見たかった世界へと走り出している。
(それでもいいんだろうか、ジノはそれでも僕のことを待っていてくれるんだろうか)
彼が待っていてくれるという場所にちゃんと飛び込めるようになるまでの距離を想い、スザクは目蓋を閉じた。この腕が声が体温に焦がれる。
いいんだろうか、この腕が自分のためにあると言ってくれることを受け入れても。
頭の中はもう真っ白であるのと、ジノから注がれる濃い色の染まる。
どれだけ自分が突き放しても、いつの間にか彼は目の前にいて抱き締めてくれることは卑怯だった。これでは僕が空回りの片想いをしているようじゃないか。

「ジノ」

穏やかに呼ばれた名に詰められた愛情は果てない。酷いとも思いながら嬉しいとも思い、スザクの手の平がジノ頬を擦り美しい青い瞳を隠した。温かい手の温度にジノが気を取られていると、軽く唇に触れる熱があった。それがなんなのかわからないほど鈍くはない。
つま先で立ち、背伸びをしないと届かないジノへのここからの始まりのキス。
分け合った微熱に、瞳の色が滲む。

「君ってほんと、馬鹿だな。こんな僕に振り回されて。今までだってこれからだって、君は僕の一番になれないかもしれないのに」

「それでもいいよ。私の一番はスザクなのだから、それでいい。私がスザクを愛している。この事実さえあれば、私はどこでだって生きていけるんだ。けど、それがスザクの傍であることが一番なんだ」

彼の親指がスザクの眦に溜まる涙を拭い、笑った。
きっと君が望むような僕が僕として帰る日はないだろう。それでもほんの少しでもいいから彼の優しさに縋っていたかった。そうしてもいいんだと言ってくれる君がいるからもう一度、スタートラインに立ってみようと思える。たった一年、二年で乗り越えられる罪や罰ではないけれど。
もうあの頃に戻れなくても、新しい明日が一秒先にはあるのだ。

「ジノ、僕はわかってもらわなくてもいいってずっと思ってきたんだ。けど、本当にわかってもらえなかったら、それはとても寂しいことでわかってくれる人がどこかでいるから言える我儘なんだろう。そんな僕の傍に、君がいてくれるの?」

君といることがとても怖かったのに、おかしなことに今この瞬間にある気持ちは愛しさで満たされているのだ。呼ばないで欲しかった名前をもっと君の甘い声に囁かれたくてジノ、ジノ。と、スザクは大きな翡翠色を滲ませながら、ここにいる愛しい人の名を甘く呼んだ。

「ああ、いるよ。いるから、私の名前をもっと呼んでくれないか」

ジノの声が涙で潤んでいた気がする。泣いてくれる人がいる、笑ってくれる人がいる、親身になって心配してくれる人たちがいる。その与えられる幸せにスザクが何も返せなくても、スザクが生きてくれているだけで彼らは対価をもらっているのだ。
これはジノの我儘だ。恋しいが故に許された特権。


そうして今度こそ近づく距離。二度と離れないように繋ぎ止める。
君との出逢いはまだ、始まったばかりなのだからー。












                                  


Call me