書類が散らばったテーブルの上に静かに置かれていた携帯がいきなり震え出してスザクは突っ伏していた顔を上げた。
その際にくしゃりと書類に皺が出来てしまったことに、寝起きのすぐに溜息を吐いてしまった。
執務中に寝てしまったのかとスザクは窓から差し込んでくる夕暮れに目を細める。
携帯の液晶画面は猫のアーサー待ち受けだ。その画面の下に受信メールが一件あります、とブリタニア語で書かれた文面がある。メールボックスを開いて送信者と内容を確認してまた一つ息を吐く。
送信者の名前はジノ。
内容は『もう帰ってる?部屋に行っても?』と簡潔な文だった。
スザクはそれにすぐに返信する。彼もまた一行メールで『うん。部屋にいるから』と実にわかりやすい文体だ。
椅子を引いて立ち上がると同時に部屋のドアが開く音がして、メールを返信してから数秒しか経っていないというのにアッシュフォード学園の制服を着たジノがスザクの部屋を訪ねてくる。
その行動の速さにスザクは肩を竦めて、メールする必要あったのか?と苦笑いをすれば、

「スザクが勝手に入ってくるなといつも怒るから聞いてみたんだよ」

と、満面の笑みを浮かべて答えてくれる。
確かに、とスザクは小さく頷く。大股でスザクの前まで歩いてくるとカナリア色の三つ編みが背中でゆらゆらと揺れていた。
腰に手を当てて少し屈んでスザクの顔を覗き込む。

「スザク、どうして先帰っちゃったんだよ」

ジノは頬を膨らませて怒った口調でそう告げた。しかしスザクはそれに対して特に詫びるわけでもなく、淡々と返事をする。

「仕事が残っているからに決まってるだろ。それに君は楽しそうに遊んでいたことだし」

学園を出る前に庭園で女子生徒たちに囲まれているジノをスザクは見ていた。そんな中で「僕、帰るけど一緒に帰る?」なんて声を掛けられるわけもないし、掛けるつもりもなかった。
しかしジノは置いていかれたものだと勘違いをして唇を尖らせて文句を言う。

「学校の宿題もやらなきゃいけないし、本国への定時連絡もあれば各ゲットー再開発地区案の会議書類にも目を通さないといけないんだ」

スザクはジノやアーニャと違ってエリア11の総督補佐を勤めているため、普段のラウンズとしての仕事以上にこなさなければならないことが多かった。

「ふぅん。ま、それも大切だけど私も大切にして欲しいなぁ」

そう言って海の青色というより空色に近い瞳をきらきらと輝かせて笑う。怒ったり笑ったりと本当に忙しい表情だ。
だがスザクはそんなジノへとしかめっつらのまま見上げて、「仕事が優先だよ」とぴしゃりと言い放つ。
ジノは手に持っていた学生カバンを絨毯の上に落すと「スザクぅ」と甘えた声を出してスザクの肩を掴んで自分の胸へと引き寄せる。

「ジノ、」

ぐっと近づく距離にスザクは眉を吊り上げた。

「今日何の日かスザク知ってるの?」

ベタな問いだと思ったけれど、スザクには率直に聞かないと言ってくれないし気付いてもらえない。
スザクとはまだ一年と少しという短い付き合いだが彼の性格はジノなりに把握しているつもりだった。
無造作に落ちたカバンにスザクの視線が向うと中から溢れてきたカラフルで小さな様々な箱が見えた。それが何なのかすぐに分かる。
だって今日は特別な日だからだ。

「知ってるさ。今日はバレンタインデーだ」

そこまで無頓着ではないさ、と零せばジノが大きく嬉しそうに頷いた。彼のかばんから溢れてきたものは学園内の生徒たちからもらったチョコレートだろう。
帰り際に見た光景もジノにチョコレートを受け取って欲しくて女子生徒たちが集まっていた、というところだ。
スザクの視線が自分のカバンに注がれていることに気が付くとジノはすごいだろ?と頬をほころばせる。

「エリア11は不思議な習慣なんだな。たくさんの女の子が私に受け取って欲しい、てくれたんだ」

「へぇ、それはよかったね」

全くそのスザクの声に感情が反映されていないまっさらで興味のない答え。
すごいだろ、と自慢してくることに呆れもする。そんなものを知らせにわざわざ部屋に来たのだろうか。
スザクもいくつかチョコレートを手渡されたが、ジノほどの数ではない。
ジノはスザクの手を引っ張ると、机の横にあるベッドへと座らせるとそのまま圧し掛かってくる。
慌てて胸を押し返すと、額と額が擦り合って前髪が乱れた。
太陽が沈んで真っ赤に染まっていた部屋がゆっくりと薄闇へと姿を変えていく。
間近に見るジノの双眸はとても美しい色をしていて純粋だ。整った眉がきゅっと中央に寄って不満を表している。

「スザクはちゃんと私の話を聞いてた?」

「聞いてるよ」

「じゃあ今日が何の日か、もう一度言ってみて」

心拍が急速に上がっていくのを感じる。ジノがどうして欲しいのかわからなくて、首をかしげると開いた襟元から首筋に彼の指が触れた。

「だから、バレンタインデーだって言ってるじゃないか」

「そうさ。だからー、」

「だから?」

ジノはじれったそうに語尾を濁すが、スザクにはまだジノの言いたいことが正確に伝わらない。大きな眼二つジノをじっ、と困ったように見つめている。
そして、あっと思いついてスザクは太い眉をゆるりと下げた。

「なんだよジノ。僕からもチョコが欲しい、て言いたいのかい?」

ブリタニアの習慣で育ったジノにはエリア11でのバレンタインという日が珍しいのだろう。バレンタインという行事には女性も男性も元々関係なく、親愛を篭めてプレゼントをする日だ。
だからジノは女性たちからたくさんのチョコレートをもらうことが不思議で面白かった。
人気者になる気分は悪くはない。学園でもいつでもジノは周りから羨ましがられ、人を魅了する才能に満ちていた。彼に人が惹かれるのは仕方がないことだとスザクも知っている。そんな彼がバレンタインという日にモテないわけがない。
ジノ自身も自信に満ち溢れているため、注目されるのは当然だと思っているし悪くないと思っている。しかしそれでも肝心の人からは何ももらっていないことが消化不良で、駄々を捏ねに来たのだとスザクは考える。
そんな彼にスザクは喉でくつくつくと笑う。

「あんなにたくさんもらってるのに。本命が僕、だなんてことわかったら女の子たちはきっとショックだろうな」

スザクが好きだと言っておきながら、遠慮もしないで全ての女性からプレゼントを受け取っているジノへ意地悪をしてみる。
欲張りだな、と拗ねてみてもジノは余裕で交わす。

「私は紳士だからね。断る方がよっぽど失礼だと思うし、それにちゃんと私には恋人がいるんだと言ってある」

しっとりと濡れた青い宝石がスザクへと熱い視線を送る。それでもいいから、と言っていたから受け取ったよと白い歯が爽快に告げた。
スザクは思わずぽかんと口を開けてしまった。それでも受け取って欲しいという女性も熱心ではあるが、正直に話して受け取ってあげるジノにも感心してしまう。それが彼の優しさと真っ直ぐな部分なんだろう。
ジノはかっこよいから学園でも見惚れる者が多いことはわかっている。それはここだけではなくて、ブリタニアで一緒にいるようになってからもその視線は知っていた。
彼は生まれてから眩しくて目立つ存在なのだ。
彼からそんな光を自分が奪っていけない。
そう、スザクは自分の中でセーブをしてきているのにジノは感情のままにストレートに伝えるのだ。

「バレンタインは恋人たちのための日だ。だから私もスザクに用意してきた」

ジノはスザクから何かもらえるとは思っていなかった。彼はこういうイベント事に参加したがらない消極的だと知っているから、ならば自分から送ってしまえばいいのだとジノから積極的にアピールする。
近寄った瞳の中にスザクだけを映して、甘い声を響かせる。身体に滲み込んでいく彼のハスキーな声色にスザクは睫毛を震わせた。この中途半端に膝を後ろに付いて保っている姿勢にも痺れてきていっそのことベッドに仰向けになってしまいたかった。

「とびきり甘い、私と過ごせる時間を今からスザクにプレゼントしよう。これは誰にも渡すことは出来ない真似できないことだよ」

目蓋にキスをして、鼻先を齧る。
スザクの鳶色の巻き毛に指を絡ませて、ジノはすっぽりと自分の身体の下に埋まってしまう身体を抱き締めた。その拍子に細い身体はベッドに埋もれる。
チョコレートなんかよりもっと大きくて深くて優しい愛情に、スザクは身体を強張らせていたが次第に体温が溶け込んでいくことに力が抜けて行き手のひらを彼の背中へと回した。

「それってすごい口説き文句だね」

僕なんかには勿体無いくらいだと、くすくすと頬をほんの少し赤色に染めて笑う。

「こういうときにしか言えない、だろ?」

どんなに好きになってはいけない、と閉ざしていても自然と傾いて行ってしまう彼の胸の心地良さ。

「別に君なら、いつでも構わないんじゃないかな?」

それもまたジノらしい一面だと、スザクは口元を緩めた。甘えてみたり大人びた表情もしてり、時には思わず噴出してしまうような口説き文句を言うことも。

「じゃあ毎日スザク愛してる、て言っても?」

「それはうるさいかも」

「ひどい!」、と顔を胸に埋めて悲観するジノの頬を両手で包むとちゅっ、と音を立てて額に口付けた。
スザクからの幼いキスに驚いてジノは目を丸々とさせる。

「僕からはこれぐらいしかなくてごめんね」

指先を三つ編みに絡ませて遊びながらそう、甘ったるい声で告げた。
せっかくのバレンタインデー。たくさんの女の子からもらっておいて、という拗ねはあるもののジノが自分がいい、と言ってくれるのならたまにはこういうのもいいかなとスザクは照れながら瞳を濡らした。
そんな愛らしいスザクにジノの中にある感情のメーターがスザクへの愛情によって限界を超えて針を振り切ってしまうと、強く強く彼を抱く。
このまま抱き潰してしまいたいと思ってしまうほど愛しくて愛しくてたまらない。血も肉も骨も私と一緒にしてしまいたい。
そんな切なくて恋しい想いを篭めて、ジノは声を弾ませる。

「スザク愛してるッ!」



ジノの激情による幾度目かの告白に「知ってるよ」、と最後にスザクが呆れたように笑った。












                                 


チョコレートより甘くて苦い恋を