青白い光が降り注ぎ、そこはあまりにも静かな独房だった。足音一つない、誰かの話し声すらも聞こえない。ルルーシュが率いるブリタニアが勝利し、世界を力で捻じ伏せてあのエリア11でのトウキョウ決戦から黒の騎士団や残ったシュナイゼル陣営であった勢力は降伏させられ、ほとんどがこの巨大な収容所に送られている。
音が一つも聞こえてこないのは囚人同士での会話を防ぐためらしい。だから隣の独房に誰がいようともそれはただの独り言になってしまう。
完全に外と遮断されたその場所でジノは一体何日経っているのだろうかとぼんやりと考える。
初めて着せられた白い囚人服。こんなものを着る日が来るとは思いもしなかった。
髪など梳かすことが出来なく、輝いていた金色はくすんでいて三つ編みも緩く解けてしまっている。
孤独だと、ジノは壁に凭れて低い天井を見上げる。親族はみな死んで地位も名誉も失ってあるものはこの身体だけだった。
スザクだって失ってしまった。
スザクはもう二度と戻ってこない。
スザクは死んでしまったのだ。
本当は取り戻したかった。それが短く曖昧な幸福の時だったとしても、ジノはもう一度スザクの隣にいたかったと今更の後悔に押し潰されそうだった。
この戦いでスザクと向き合うということは互いに死を覚悟するということはわかっていた。
けれど、スザクはジノを殺さなかった。二度もその機会はあったというのに。
それでもスザクは死んだ。それが自分のせいではないと言えない。スザクだってわかっていたことだ。
だからちゃんと覚悟していた。失うものと得たいものを。
(それなのに、)
今でも生々しく思い出すスザクの感触と瞳の色。
失ったという実感と本当は違うんじゃないかという錯覚。
最後の最後までスザクを理解してやれなかったことを、ジノは一番の悔いとする。
一番近くで見ていたはずなのに気付いてやらなくてはいけないことは沢山あったのに、甘えてばかりで自分はなんて愚かなんだろうと。
スザクはもう永遠に戻ってこないのだという現実がこんなにも恐ろしいとは知らなかった。
生きていることに絶望しているスザクのことをわかってやれなかったが、今なら少しわかる気がした。どうして自分は生きているのだろうと。生きていれば楽しいことだって悲しいことだってあるけれど生きていることは幸せなことだ、とジノはスザクに言ったことがあった。生きたい、生きているということは人間の本能なのさとも。
スザクはそれに苦笑して、そうだねと言ってくれた。
一緒に生きていくことの喜びも悲しみも彼と共にしたかったことを伝えられなかった悔しさ。また、スザクの一番にはなれなかった歯がゆさ。
こつこつと響いてくる靴音があることに気が付いてやつれたジノの視線が強化ガラスへと移る。
珍しいその足音はジノの独房の前で止まった。ガラス越しに立っている人物を見てジノの青い瞳が強い意思を持って揺らいだ。
それが怒りなのか嫉妬なのかはよくわからない。
ただ彼のことをじっ、と捉える。それはジノだけではなくまた訪ねてきた彼も同じだった。

「食事をちゃんと食べていないようだな。腕の拘束は外してあるなら問題ないはずだが?」

ガラスを通して聞こえてくる声は少し曇っているが、相変わらず傲慢さを隠さない声色だ。

「いつ処刑台に送られるのかと思うと食事なんて喉を通りませんよ、皇帝陛下」

ジノは大袈裟に肩を竦めると、立ち上がることはなくそのままの体勢で現ブリタニア皇帝である黒髪の少年、ルルーシュを余裕の笑みを浮かべて見上げた。
白い皇帝の衣装を乱すことなく着ているルルーシュは、襟元を一度正すとふん、と今では囚人となったジノを一瞥する。

「ちゃんと食べろ。そうしないとスザクが心配するじゃないか」

ひくり、とスザクの名前に過剰反応を示すようにジノの眉が微動した。
彼の名前を堂々と口にしてその顔には何の後悔も悲しみもない色をさせているルルーシュが憎いと唇を噛んだ。
スザクを死なせたのはあなたじゃないか、と喉まで出掛かる叫びを飲み下す。

「スザクはもう死にました。死人が心配なんてしませんよ、それにスザクが私のことを気に掛けることなんてもうなかった」

彼にはもう自分は必要ではなくなってしまった日から繋がっていたはずの糸は切れてしまっていた。
情けをかけられるほどに、もうスザクには自分は見えていなかったのだ。
ルルーシュはパープルの瞳を細めると、「違うな」と首を振る。

「スザクは生きている」

一瞬、その言葉にジノの瞳が輝いた。だが次の言葉でそんなものは思い過ごしでありまだスザクのことを諦められず、取り戻したいと思っている自分に嘲笑いたくなった。

「お前のそこに、俺の中でだってスザクは生きているじゃないか」

ルルーシュの長く白い指がジノの胸を指し、自分の左胸へと当てる。思わず戯言を、と零す。

「やめろよ、そんな綺麗事をあなたが言うな。スザクは死んだんだ、誰に看取られることなく1人で戦死したんだ。あなたに従ったというのに」

噛み付く言葉をやはり止めることは出来なくて、ジノは歯を剥き出してルルーシュを睨みつける。冷ややかな視線が返ってきてもその過激で純粋な気持ちは怯まない。

「そんなスザクをお前は哀れむのか?やめておけ、そんなことをしてもあいつは喜ばない」

「あなたはまるでスザクのことをなんでもわかってるみたいに言うんだな」

そうなのだろう、という嫌味ではなく本心で羨ましく思ってしまった。
スザクにはスザクの気持ちがあったことを知っていたけれど、そこに踏み込むことはジノには出来なかった。
それが出来たのはここにいるルルーシュだけなのだろう。
ジノは視線を伏せると少しの無言のあと、ルルーシュが言葉を続けた。

「……お前と俺の違いは何だと思う?」

ふいにそう、問われて視線を上げる。変わらない紫色の瞳が深々と自分を見つめていた。
そして見せるは勝ち誇ったような美しい微笑み。

「さあ、わからないな」

そんなものはいくらでもある。容姿や考え方、愛し方だってきっと違う。何から何まで一致するなど、きっと天文学的な数字になってしまうだろう。
だからわからない、と答えた。
するとルルーシュは小さく笑ってこう告げる。

「覚悟だよ。だからスザクはお前ではなく俺を選んだんだ、自分の意思で。あいつは俺に従ったわけじゃないさ、スザクは自分で決めたんだ」

同意して納得した上でのゼロレクイエム。自分とスザクの形のない想いと想いが繋がって一つになることが出来た覚悟と希望。
それはきっと、互いにしか出来ない。他の誰かでは補えない、絆。
ちくりとジノの胸を刺す言葉の棘にまた気持ちが荒みそうになる。
素直にスザクの隣にいられたルルーシュが羨ましくて憎い、と露になってしまいそうだった。

「何が言いたいんだ、」

唸る声は明らかな苛立ち。
こんな嫉妬を今更したところでスザクを取り返すことなど不可能だというのに、牙を向けたくなるのは男としてのプライドか。
ルルーシュの双眸が滲んだ色を映して、睫毛の細い影が目の下へと落ちた。

「スザクはお前のことが好きだった。お前もスザクのことが好きだったんだろ?だから……殺せる覚悟はなかった。お前も、スザクも」

何を言い出すかと思えばとジノは口が半開きになってしまった。ルルーシュに言われなくても、ジノはスザクのことが好きで殺そうとしたことなんて一度もない。
スザクが殺さなかったのは情けなんだとジノは思っている。
あのダモクレスでの戦場でも、殺したいなんて思うわけがなかった。好きな人を殺そうだなんて正常であれば考えないはずだ。

「そんなもの……」

当然だと言う口をどうしてか噤んでしまう。
この男は違うのだろうかと、一瞬寒気がしてしまったせいだ。ルルーシュはジノからの返答を待つことなく口端を緩めたまま言葉を綴る。

「殺せないだろ?スザクのことをどれだけ好きでも殺したいほど憎むことだって」

何故、彼はこんな話をしにここに来ているのだろうかと過ぎったが口にすることなくジノは「ああ」とすぐに頷いた。

「私には出来ないな。スザクのことを理解することもしてやることも出来ない今でも、憎いとは思わない」

それが自分と勝手に決別し、ルルーシュと歩むと決めたスザクだとしても。一度好きになってしまった彼を嫌うことなど出来ないと、ジノは自分にもあきれたように笑った。
ただ純粋に好きだという気持ちを、スザクに傾けていただけだった。出来ることならずっと隣にいたかった。それだけが自分とスザクへの憤怒だった。
ルルーシュが顔を傾けると前髪が片目を隠し、そっと口元を歪めた。

「俺にはそれが出来るからスザクは選んだんだ。あいつを……救ってやれるのは俺だけで、スザクはそれを自ら俺に対して求めたんだ。俺はずっとスザクを見てきて、スザクは俺のために刃を抜いた。だから最初から俺たちは決まっていたんだ」

そう、これは最初から決まっていたこと。出逢ったときからその化学反応を起こっている。
ルルーシュもスザクも互いにしか出来ないことだと。決して他人には求められない真理を共有し、生きて死んでいくことはもう誰とも叶わないと。
それは誰も知らない。二人だけの決意と約束。
纏わり付く不安や悲哀を強さに変えて偽りだけの繋がりだとしても、振り返ることをやめた自分たち。
それでいいとスザクは手を取ってくれた。その彼の気持ちも憎しみも大切にしてやりたかった。
もう、自分たちに嘘はない。
だから自分はここに立ち、ジノに聞きたかった。スザクのことを憎まないという言葉を。スザクを憎むのも憎まれるのも自分だけでいいと安心したかった。
しかしジノの瞳が獣のようにぎらつくは明らかな反感だ。

「好きなだけじゃスザクを理解し、愛せるなんてお前には出来ない。あいつを愛してやれたのは俺だけなんだ。お前じゃない」

ジノを否定する物の言い方をして、彼の感情を逆なでする。わざとでもあり本心でもあった。
スザクはもうお前のところには返さない。スザクはもう、俺のものだと。
宣戦布告ならぬ、勝利宣言というべきか。
ジノは立ち上がると正面からルルーシュの冷め切った表情をガラス越しに覗き込む。
薄く燃える青色がにこりと笑う。

「あなたにそんなことを言われなくても、わかっているつもりですよ。けれど、あなたに負けたつもりもない」

スザクがもう帰ってこないことも、スザクがもう自分を想ってくれていることなんてないなんて今更顧みることではない。
スザクはもう、いないのだから。
いくらここで話をしようが取り返せない時間があることに、ただただ虚しくなるばかりで胸が息苦しくなる。

「そうだったな……だが、」

視線を外してルルーシュは拳を握り、それからもう一度ジノを見つめ直した。

「だがスサクはお前が好きだった。それだけは、忘れてやるな」

強く宿っていた光が瞳の中で切なく、滲む。
それはあまりにも悲しそうであり最後の微笑みが満足そうでいあることに一瞬言葉を失くす。
秘めた想いが何であるのか、問うてはならないといわれている気がした。
彼のその言葉がどう意味なのか聞く前に、音は途切れる。

「おい、」

ルルーシュはもう見向きもすることなくジノの前から立ち去っていくのを彼は黙って見送るしか出来なかった。

「―……」

スザクは生きている、という彼の言葉が冗談であったとしても本当にこの胸の中はスザクと過ごした記憶が今でも鮮明に残っていることを否定はしないし、したくはなかった。
思い出に縋るのは女々しいかもしれない。
けれど、それだけも残っているものがあればジノは満足だった。
「わかってるさ、この胸に誓って」
ゆっくりと目を閉じて胸に手を当てる。スザクが自分を忘れ捨てたとしても、自分はそうじゃない。
ずっとずっと温かいまま、ここに残っている。嘘じゃない。だから戦って向き合って挫折もする。
それがわかっていればこのあと例え待っている結末が死であったとしてもスザクのことを憎むことなど、決してしないだろう。
つっ、と頬を流れる涙が何なのか分からないけれど、ジノはその場に膝を付いて「スザク」と小さく愛しげに呟いた。








ルルーシュは白い裾を翻してエリア11での拠点としているアッシュフォード学園のクラブハウスへと帰ると、部屋ではスザクが待っていた。
スザクとしての身体はここにあっても、もう存在はこの世界から抹消されている。だからスザクは数週間近くをこの部屋で過ごしていた。
来る日は近い。そのためにじっとここで耐えている。

「遅かったね」

窓の近くには立つなと言ってあるのにスザクはカーテンの間から夜空を見上げていることにルルーシュは小さな溜息を吐く。

「ああ、少し寄り道をしていた」

「ジノとは何を話してきたの?」

詰めた首元を緩めながらそう言えば率直にスザクが言葉を返してきたことに身体が固まった。
月明かりを背にして注がれるエメラルドの瞳は怒っているようにも見える。

「……知っていたのか」

スザクには言わずに出て行った。言えば必ずいい顔をするわけがないと知っていたからだ。

「C.Cが言ってた」

どうせそんなことだろうと思ったと口にすることなく、あの女と舌打ちをすればスザクがルルーシュの前まで歩いてくる。

「ジノと何を話してきたんだ」

見上げてくるスザクの表情は頑なだ。不安を隠そうと強がり唇を引き締めて、太い眉根を眉間へと寄せている。
ルルーシュは目を伏せ軽い吐息と共に告げた。

「別に他愛のない話さ。もう時間はないからな、お前の変わりに最後の挨拶をしてやってきただけだ。食が細くなっていたみたいだから食べないとお前が心配する、てな」

それを聞いたスザクは瞬きをして、「そう」と小さく頷いた。どうしてルルーシュがジノとそんな会話をしに行ったのか。
それは余計な詮索だとわかっている。知らなくてもいいことだと。
けれど、それならばと期待したことがあった。俯いたまま、スザクは脈略のない話をそのまま吐き出した。

「ルルーシュ、僕……ジノのこと好きだったよ」

こんなことはルルーシュにとっても自分にとっても、もうどうでもいいことだったが、彼は少し呼吸の間をあけて「そうだな」と頷いてくれた。
蘇るジノと過ごした日々は懐かしくて、ひとつひとつが宝石のようにキラキラとしている。
勝手に好かれて勝手な世話を年下なのに焼いてきて鬱陶しかったはずなのに、それが今では大切で優しい時間だった。
きっと辛くなる、てわかっていてもジノを手放すことがどうしても出来なかった。
それが今、やっとこうして出来たことへの安堵にスザクは目蓋を下ろしてルルーシュの胸へと額をこつりと擦り寄せた。
悲しくてもそれがきっと今の力になってくれている。そうやって、僕らは未来に可能性を繋げるんだ。

「好きだったから、僕なんか忘れて嫌いなってみんなと一緒に幸せにならなきゃいけいない。幸せになって欲しいんだ、だからルルーシュ、」

ルルーシュはスザクの肩に手を当てると首を振って、彼の言葉を遮り

「ギアスは使っていない」

と、優しく告げた。
それを聞くとスザクは瞳を震わせてルルーシュの腕を掴み、悲愴に見つめる。
スザクが何を望んでいたか、ルルーシュはわかっていた。きっとそんなことを考えていたんじゃないかと。ギアスのことを憎んでいるはずなのに、都合よく考えてしまったスザクも自分自身への失望と憤りを隠して頭を振った。

「なんで、わかっているならなんでジノにギアスを使ってくれなかったんだっ!なんでーっ」

張り上げた声は今にも泣き出そうに震えている。
もしもルルーシュがジノにその呪われた瞳で忘れろと命令すれば、ジノはスザクとの記憶を消して幸せになってくれたはずだ。
それが彼のためでもスザクのためでもあるとわかってくれているものだと思っていたのは自己満足な願いだったのだろうか。

「するわけがないだろ、そんなこと」

「どうしてだよ、君なら簡単にー」

まるでもうそれしかないような言い方で、スザクは懇願にも似たか細く声を唸らせる。

「簡単じゃない。もう……お前の大切なものを奪いたくないんだ。これ以上、な」

駄々を捏ねるスザクに対してルルーシュはそう、切なく揺らした瞳で見据えて冷たくなった頬を擦った。
スザクの全てを奪った自分にはもう何も奪えるものなどない。スザクの存在を生きてきた意味を奪いこれ以上何を奪えというのだろうか。
せめてスザクが大事にしてきた人と想いを摘み取ることなど、ルルーシュには出来なかった。
そんな悲しいことはもうしたくない。
もうスザクとしては生きられなくても、スザクを知っていた人間には温かい記憶を残し彼を生かしたい。それがルルーシュに出来た最後の願いだった。
優しく慈愛に満ちたルルーシュの瞳の彩を注がれてスザクは短い睫毛をふるふるとさせて唇を噛んだ。

「君は、本当に……」

ずるい、と呟いた言葉は彼の胸の中へと落ちる。
それが彼の優しさでもあることに、愛しくも憎くもなる。
スザクはジノのことが好きで、ルルーシュのことが好きだった。
ルルーシュはスザクのことが好きで、ジノもスザクのことが好きだった。
好きだったからしたかったこと望んだことはたくさんあって、それぞれがばらばらだった。
三本の糸は絡まったまま、解けることはなく見えない絆で未だに繋がっている。
明日でも今日という日でも、過去にでも。

「スザク、」

彼から零れた音色と髪に触れるしなやかな指。その手はあやすように、スザクの頭を撫でる。
優しくて温かいのに残酷なこの手のひらの体温が、スザクは好きだった。










                                    


出会えた奇跡、別れる必然