ブリタニアや日本はまったく異なる文化で聞きなれない言語。そんな国に来てから早どれぐらいだろうか。最初のうちはいくらEUやブリタニア、超合集国のどの国からも干渉を受けていないからと言って自分たちが出歩けば身元がばれてしまうだろうと最初は思っていた。
だがこの街は人種もさまざまで人の密集度も高い。三国の勢力争いから逃れてくる難民もまた、自分たちと同じように一度逃れてくる。
その中に紛れてスザクたちはいた。
その時が来るのをじっと待って。
Cの世界から帰還してからはずっと三人で行動している。スザクは街に食材などを買いによく街に出たがルルーシュは一歩として宿からは出なかった。C.Cは物珍しいのかよく一緒に出かける。
何かとあれが欲しいこれが欲しい、とわがままを言うものだからスザクはあまりC.Cと外に出たくはなかった。それによく目立つのだ、二人でいると。
そのため彼女はつまらない、と言って部屋に閉じこもっている。
僕らはプールの付いたスイートホテルに泊まっている。
追われる身である僕らだというのにこんなにも贅沢をしていいんだろうか、と思ったけれどルルーシュは問題ない、と答えた。
こそこそ隠れているよりも大胆に偽名を使って宿泊するのも彼らしいといえば彼らしいとスザクは笑った。
それからルルーシュが全ては一ヵ月後だと、と言っていた。その間、何をしているかと言えば僕は何もしていない。ただじっとルルーシュの傍らで彼がにらめっこしているパソコンでの作業を覗き込むだけ。
相変わらず彼の頭の中には緻密な計算によって出された作戦があるんだろう。
僕が担うことはたった一つだ。
簡単で分かりやすくて自分しか出来ないことで、それはとても重いー。
しかしそれがどんなに重くても辛くても、僕は頷いてルルーシュの傍にいることを決めた。それが僕に出来る罪と罰だから。
けれど、まだ僕にはよくわからなかった。
本当にそれでいいのか。本当にこれだけしかないのか。
そして自然と傍に今いることへの疑問と焦燥。傍にいるのに、まだ拭えない生傷がどちらとも化膿していて触れると痛い。
そんなもどかしい距離。
触れたい、触れられたい。そんな欲情がいつしか塊となって胸を圧迫している。それと比例するように、許したつもりでも許さないつもりでもなかった。それはきっと彼も一緒なのだろう。
だからできる絆で同じ場所で呼吸をしていられる。
特別な、僕たちだけが持てる関係。
もう嘘などいらないのだと、向き合っていけることにスザクは安堵すらも感じた。
これから僕らは世界に大きな嘘を付いてそれを真実に摩り替えて、僕は僕を捨てて生きていく道を選択する。
全ては一ヵ月後。
全てはそこから始まり、終わっていく。そしてまたその終着点から道が出来て光になるんだ。
未来の明日のための、ゼロレクイエム。
それがまだ遠い先の未来に感じる。言葉で言われても、実感は湧かずまだ恐怖することはない。
運命の日、僕らは一体どんな気持ちで迎えるのだろうか。
今の僕にはそれがわからない。
今の僕はただ、この胸にある確かな気持ちとまだぼんやりとくすんだ気持ちに戸惑っているばかりだー。
スザクはいつもと同じように買い物を陽が沈むまでに済まし、ホテルへと戻る。
C.Cがピザが食べたいとうるさい、とルルーシュから電話があったため仕方なくピザを買って帰った。
ホテルの最上階へ向うエレベーターに乗り、着いたところからそこはもうスザクたちの城だ。
ラウンズだったときも良いホテルでの部屋だったが、ここまでの貸切りはたぶん人生のうちで最初で最後だろう。
柔らかい絨毯の上を早足で歩き、カードキーで自分たちの部屋の鍵を開ける。
部屋の中はもう薄暗く、スザクが入ってくると自動で照明が淡く付いた。
「ルルーシュ、ただいま。言われたもの買ってきたよ」
食材やその他の日用雑貨をテーブルの上に置いて、彼の姿を差探す。確か出かける前まではここに座ってテレビを見ていた。
だが照明が消えていたということは、この部屋に動くものがないということだ。
ということはルルーシュが一人出掛けたのかそれとも隣のC.Cの部屋だろうか。
すると寝室の方から流れてくる風があり、スザクは物音を立てずに近寄った。
開けられたベランダの窓から入ってくる風がスザクのくせ毛がふわふわと揺れる。昼間は生温かくても、太陽が沈んだ後の風は涼しかった。
そこでスザクは足を止めると、小さく肩を竦めた。
そのベランダの隅に彼がいたのだ。
窓に凭れて座って寝息を立てている。絨毯の上にはノートパソコンが起動されたままになっていた。切れ長い瞳は閉じても細く、聞綺麗な黒の一線を描いており薄明かりの中だと彼が一段と白く見えた。
スザクはゆっくりと近寄り、静かに窓を閉めると彼の傍で膝折り顔を覗き込む。
「ルルーシュ、」
弱く名前を呼んで彼の意識を浮上させる。
「ルルーシュ、こんなところで寝ていると風邪引くよ」
肩を掴んで少し揺らしてみると、彼の柳眉がぴくぴくと微動して唇から微かな呻き声を出す。最近根詰めていたようだから疲れたのだろう、睡眠も取れていないようだったし、とスザクは控えめに起こした。
ルルーシュの睫毛が震えて、ゆっくりと開くと寝ぼけて濁ったベルフラワーの瞳が見えてくる。
「……う、ん?」
寝てしまっていたという自覚がなかったため、目が覚めたことによってそれを理解すると同時にぼんやりと目の前にある影に視点が集中する。
滲んでいた輪郭がはっきりと幼い線を描き見つめている色がエメラルドだということに、それがスザクだと気がついくと一気に頭の中が覚醒した。
「っ!」
あまりの近さに驚いて目を丸めていればスザクがどうしたの?と首を傾げる。
バグダードに来てから部屋は一緒で常に行動もともにしているが、こんなにも迫った距離もなければ触れることだってほとんどなかった。
ほんの少し、彼の腕を掴んで引けばキスできてしまいそうでルルーシュは狼狽する。
それなのに今のスザクは嘘を付き合っていたあの頃のように心は頑なに閉じているに見えて、それでも中途半端な無防備に見えた。
そしてスザクもようやくルルーシュの瞳の色をこんなにも近くで見たのは久しぶりだということに急に気が付いて瞬きをする。そういえばルルーシュの瞳はこんな深い紫色をしていたんだった、と思い出す。
視線を外せなくて、そのまま深く色付いて滲んでいるように見える眼が射ぬいてくることにルルーシユはたまらず喉を鳴らした。
何かが、互いの中で張り詰めていた糸がぷつんと切れそうなほど危うい。
あと何か起爆剤があればそれが弾けて切れる。それをルルーシュは待っているように思えた。
するとスザクが長い息を吐いて短い睫毛を震わせるとエメラルドプールのように揺らめいている瞳を細める。
「キス、しないの?」
スザクはくっ、と口端を緩めるとそう囁く。突然の誘惑ほど魅惑的なものはなく、ルルーシュは我慢出来ずにスザクの腕を掴んで引き寄せる。
わっ、とスザクは声を上げたがその後の言葉は続かない。
前のめりに倒れるスザクの頭を両手で掴み支えると、ルルーシュは荒々しく唇をぶつけた。
一度だけそうしてキスとも呼べないような口づけをすると、ルルーシュは俯くのをスザクの視線は追いかける。
思わずとってしまった行動にルルーシュ自身でも戸惑っていた。
まさかスザクがそんな大胆な台詞を言うとは思っていなかったからだ。
またここで堪えなければ乱暴なキスだけでは済まなくなる。
「突然変なことを言うな、」
ほんの少し頬を赤く染めてルルーシュは呟く。キスなんて久しぶりだった。しかも挑発されてしてしまった、なんて子供みたいだ。
「だって、僕がしたかったから」
スザクは俯いたままのルルーシュの頭に自分の頭をすり寄せ、そう隠さずに告げる。その言葉にまた彼の頬が赤く火照った。
「そう言わないと、君逃げそうだったし」
本当は触れて欲しくて触れたくて、それでも触れたら後悔するだろうかと考えて黙ったままだった。
久しぶりに間近で見る彼がいて、懐かしくなった。昔はずっとこの距離があっていつもでも触れ合えて楽しかった。
今からだって遅くない。
今からだって望めばー。
そう思ったら口にしていた。これがきっと後悔になったっていい。僕にとってはそれすらも、憎しみだって愛おしい。
「スザク、」
ルルーシュが視線を上げると、スザクが微笑んでいた。そうして彼の隣に移動して膝を抱えおもむろに話し始める。
「ねぇルルーシュ、僕がラウンズとしてブリタニアにいた頃のこと気になる?」
背後の窓から見えるのは群青色に染まった空から月明かりはなく、その光の代わりに降り注ぐ満天の星。
何を思っての言葉なのかルルーシュにはわからなかったが、一つ息を落ち着かせると笑った。
「……別に。お前がラウンズとしてどんなことしてかなんて知りたくないし、興味もないさ」
気にしたところで互いの空白の一年は埋まらない、とルルーシュは肩を竦める。
本当は知りたい。スザクが自分に何をして手に入れた地位で何をしてきたのか。知らないスザクとこうしてまた出逢っていることがたまらなく悔しい。
しかしそれを口にしてしまうのはあまりにも嫉妬深い、と飲み込んだ。
スザクはそれに対してふーん、と天井を見上げて言うと、
「僕は違うよ」
と、掠れた声を鈍く響かせる。
ルルーシュはちらりと横目でスザクを見る。ココア色の髪が頬へと跳ねていて、小さな唇から思いを一つ一つ自分の音色を乗せる。
「君が忘れてしまった一年、ずっと僕はどう過ごしてきたのか気になるよ」
ルルーシュをブリタニアに売ったのは僕だ。記憶を書き換えられて別人のルルーシュを生きたのも僕がそうさせた。
それでよかったはずなのに、それで僕もルルーシュのことを捨てたつもりでいたのに僕の心はそんなに簡単には出来ていなかった。
嘘の兄だというのに慕うロロがいて、少年は最後まで嘘でもいいと付き添い心を手に入れたのだ。
そんな自己満足が羨ましい、と唇を噛む。
「酷い話だよ、僕だけが覚えていて僕だけが嫉妬して憎んで悲しかったんだ。それなのに君は、一年間少なくとも平穏だったんだ」
知っていて欲しい。これまでのこともこれからも。
それがいくら家畜の生き方だとしても、忘却はモルヒネのように一時の幸福をくれたんだ。一日一日過ごすたびに何か足りないことに苛立って、それでも浸っていられる幸せな思い出。
どれだけ憎んでも泣いても、ルルーシュには届かない。それを知っていても、スザクの心の闇は嘆くことをやめなかった。
けれど、それも自分が望んだことだ。憎まれることも死ぬほど後悔することも。
(何言ってるんだろう、僕)
僕はすごく自己中心的で自己愛の塊なんだと、初めてわかった。ぎゅっ、と身体を縮めてルルーシュの肩へと少し頭を寄せ、スザクは辛く笑う。
結局スザクはルルーシュを憎みながらも昔から重ねてきた気持ちを裏切ることは出来なかった。
しかしスザクはそういいながらも、口調にその時感じていた怒りや悲しみを現すことはせず、過ぎてしまったこととして淡々とした喋りだったのをルルーシュは黙って聞いていた。
今までスザクが隠してきた部分が露になっていることに、思わず笑みを零してしまう。
スザクにそう思われていたことがうれしい。
ずっと憎んでいてくれたことだって、ルルーシュの喜怒哀楽のうちの喜びを刺激している。
「スザク、お前嘘付かなくなったんだな」
口から出た言葉はその一言。しかしそれで十分だった。
この部屋にはたくさんのものがある。けれど、たった二人しか息をするものはいなくて暗く侘しい。まるでそれが今の自分たちの世界だ。それでも二人いれば温かくて寄り添い、光が灯る。
「これから僕らは世界に大きな嘘を付くんだ。だからルルーシュにだけには、嘘はもう言わない」
淡い緑色をした瞳がふわふわと浮くように、色を散らす。今なら言えるだろうか、怖くて言えなかった言葉を。
冷たい息を吸い込んで震える唇がか細く声を作り出す。
「僕は、君と生きたかったんだ、」
それは自分も彼も一番、苦しくなる呪いの言葉だ。決して望めない、約束されていない明日。
それでもスザクはこれからのことを漠然と考えながら、それはきっと出来ないのだと知っていても、嘘ではない。
膝を抱えた手が強張り震えている。
本当にルルーシュが死ぬことで世界が変わるのか、僕が僕でなくなり英雄になることが償いなのか。頭が悪い僕には感情がすぐに付いてこなかった。
だから声に出して言いたい、聞きたい。きっともうチャンスは巡ってこない。
「憎まれたままでも憎んでいても、それでもー」
「スザク」
だがルルーシュはスザクの高ぶる言葉を最後まで言わせることなく遮ってしまうと、首を振った。
「何度も言わせるな、これしかないんだ」
美しい紫色の双眸が優しく笑う。
「けどお前にそう言ってもらえて俺は嬉しいよ、スザクとまたこうして少ない時間を過ごせる特権を俺は得た。それで俺はまた覚悟が出来る」
大丈夫、とルルーシュは囁くとスザクと向き合って小さくなっている身体を抱き締めた。
涙が零れ落ちそうになるのを堪えると、スザクはルルーシュの腕を掴んだ。
ルルーシュは嘘つきだからそれも嘘に違いないと言いたかったが、上手く言葉にならなかった。
「俺がそれでいいと言っているんだ、スザクはそれに納得すればいい」
「……傲慢だね、」
「なんとでも言えばいいさ」
ルルーシュがまた声を立てて笑った。
スザクはもう嘘は付かないと言った。
ルルーシュはそう誓わない。
それでいいとスザクは思う。
君はずっと嘘を付いていればいい。
それが本当になることを、僕はちゃんと知っている。そうでなければいけないのだ。
全てが君らしい。
そう、スザクも太い眉根をみけんに寄せて困ったようにくしゃりと笑えば、ルルーシュの手のひらが頬を撫で項の髪を弄った。
その指先を伏せた視線で追っていれば彼の頬の熱を肌に感じた。その体温に合わせて胸が高鳴るのは久しぶりに味わう感覚だ。ずっと待っていた。
触れてくれるのを。
「スザク、」
ふっ、と短い息が洩れて次の瞬間には乾いた互いの唇が惹かれあい、重なるとたった一瞬が長い長い時間に思えるほど、スザクには切ない口付けだった。
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