ジノは気持ちのいい緑いっぱいに囲まれた庭園を悠々と歩きながら大きなあくびをした。どこからか貴婦人たちの笑い声が聞こえる。きっとこの垣根を越えた薔薇園でお茶会でも開いているのだろう。
ジノはそういう場所に気軽に足を運んでいた。
「やぁ、お嬢さんたち。私もぜひ、混ぜていただけないだろうか」、なんて丁寧にお辞儀をしながら。彼女たちはジノみたいな逞しく美しい男を嫌うことはしなかった。いつだって喜んで席に呼んで、武勇伝をお聞かせくださいませんか、と真っ赤な口紅が笑う。別にこうした時間がほしかったわけではない。
ただ暇だったから、という理由だ。仕事はラウンズの中でも出来る方で書類のミスはない。戦場での結果だってナイト・オブ・スリーの名前に恥じない勝利を手に入れている。
だからこその手持ち無沙汰、というべきか。とにかくジノは時間を持て余していたのだ。宮殿は広い。どこに行ったって自分みたいな貴族たちがある。
全部が同じ光景で、まるで私までもが世界という背景に埋もれているようだった。
そんなときだ、空白だったナイト・オブ・セブンが決まったのは。
御前試合を頼まれて、最初はいやな仕事が回ってきたものだと思っていたけれどそれがまさか自分をここまで奮い立たせるものだとは思ってもみなかった。
私にとって枢木スザクとの出会いは絶対であり、必然としか思えない。そうまるで電撃でも走ったかのような感覚だ。
こういうのを一目惚れというのかはわからないが、ジノはスザクのことがその日からお気に入りで仕方なかった。
しかし、当のスザクはジノのことをどう感じているのかさっぱりわからなかった。感情がないというわけでもないし、アーニャみたいにどこを向いているかわからない不思議っ子でもない。
まっすぐ向かうエメラルドの視線の中の煌きと淀みはまさに矛盾、という言葉が似合っている。
ジノはスザクに興味を持った。それは純粋で、興味本位だ。見たことがないおもちゃを見るようにスザクと遊びたくてしゃべってみたかった。まるで子供だなと、ジノはまたあくびをしてさくさくと芝生を踏みつける。
私は貴族で欲しいと思う前に欲しいものは目の前にあったけれど、私が欲しいと思ったものは私の力で手に入れてきたものだと思っている。名誉があってここにいるのではなく、結果も栄光も後から付いてきた褒美のようなものだ。
そういう似たようなものを、スザクからも感じた。
先日、初めて一緒に任務に出た。彼はこうした大きな作戦に就くのは初めてだと言っていた。ブラックリベリオンを一人で鎮圧したと言われゼロ捕らえた彼であったが、ちゃんとした地位に就いて仕事を与えられるというのは確かに初めてのことなのだろう。
一体どういう経緯でラウンズになれたのかも正直気になって聞き出したくてうずうずしていた。
二度目になるスザクのランスロットの活躍は御前試合とはまち違う迫力で、それでいてどこか甘かった。容赦がないのかただの偽善者なのか。やっぱりジノから見て矛盾にスザクは満ちていた。
これは戦争だよ、と言えばスザクは「わかっています」と棘のある声で私に返してきた。わかっているといいながらも唇を噛み締めて逃げ道という正攻法を探しているように見えた。
その後で出会った彼は虚ろな目をしていたことを覚えている。寂しく燃える空を見上げて、何か呟いたが私には聞こえなかった。
ジノにはスザクの何もかもが新しく鮮明に見えて、世界に溶け込む背景だった自分がようやく枠から飛び出して主人公になれた気分だ。
知ってはいけない何かがある。知りたいと思わせる甘い蜜の香りがスザクからする。
私はその誘惑に勝てる自信などないと、あっさり認めよう。直感は大切にするものだと、ジノは自分自身のこと頷いた。
私はあのイレヴンの少年が気になって気になって上の空だと。
ジノは薔薇園の方向に向かう足を止めて引き返す。あそこに行っても話すこともないし、今はそんな気分じゃない。アーニャは今モニカと二人で皇帝陛下護衛の任で宮殿を離れていて、かまってくれる人がいなかった。
一度スザクの部屋を訪ねてみたが部屋には誰もいなかった。彼も確か自分と一緒で遠征等には出ておらず、この広い中にいるはずだ。探そうにもまだ彼が行きそうな場所がわからない。
くるくると自分のカナリア色の三つ編みを弄り、つまらなさそうに頬を膨らませて、長い足で緑の絨毯から白い石畳の廊下を跨ぐ。
甘いチョコレートの色をしたコットンキャンディーのような髪に挿し色のような鮮やかなクリームソーダ色の瞳。小さな唇はいつも固く結ばれていて笑わない。
いまだジノはスザクとまともに話をしたことがなかった。チャンスはいくらでもあったのだが、それをうまく彼がかわしてしまうのだ。初めて会った日も早速家に連れて行って親睦を深めようとしたが、そう簡単にスザクは打ち解けてはくれなかった。なんだか薄いガラスを一枚彼がわざと立てているように見える会話をする。
一歩引いて、自分の領域を守っている。加えて地雷もあるためうっかり踏んづけてしまうと口を閉ざしてしまう。
わかりたいと思う人をわざとそうして遠ざけてしまうのは損じゃないだろうか、とジノは一つだけスザクに不満を持っていた。
まだそれは本人に聞いたわけではないが、そうジノは推測する。しかし、けれど、私だって誰かをわかってわかりたいと思って生きていただろうかとふと思う。
わかりたい、と思うのは自己満足から発生するものであり本当は知りたくもないこと知られたくないことがあるのも事実だ。
私がスザクを知りたいと思うのは、ただ目の前にある新しいおもちゃに飛びつきたいという子供じみた欲求なのだろうか。
腕を組んでジノは唸り、ふと目の前に映りこんだ少年を見つけて足を止める。
ひらひらと足元まだある真っ青なラウンズのマントを風に揺らしながら佇んでいたのはジノの探し人だ。
「スザク!」
ジノは大声で彼の名前を呼んで振り向かせた。ぱっ、と急に太陽が雲から顔を出したかのように明るい笑顔をスザクに向けて小走りで彼の傍に近寄った。
新しい風が自分に向かって吹いてくることにスザクは目を細めて、息を飲み込んだ。
「スザク、何してるんだい?散歩?」ジノの声はワントーン弾み、何でもないことなのにとても楽しそうにスザクへと話しかけているがスザクとの温度差は激しい。
「散歩なんかしてないよ。僕はたまたまここを通っただけだよ」
そんなつまらない答えしか彼は返さない。それでもジノはスザクの声が聞けただけで嬉しかった。
「一人?」というジノの返事にスザクは小さく頷いて、「君こそ珍しく一人だね」と答える。
ジノはにやりと笑ってもう一歩スザクへと寄った。
「ああ、一人だよ。けどスザクはいつも一人だな。それか猫と一緒だ」
「猫じゃなくてアーサーだよ」
「そうそう、猫のアーサー」
青空のように降ってくる青い瞳にスザクは思わず視線を流し、次の言葉に迷う。一体彼はどうして僕に声を掛けたんだろう。用事があるわけでもなさそうだと一人悩んでみる。
輝く金色の髪が寒くなってきた風に靡いていて三つ編みをしているが、まるでそれがたてがみのようだ。勇ましくて無邪気。僕が彼を見つけるときはいつだって誰かがいた。
笑っていて楽しそうで、ジノから輪が広がっている。けど僕はその輪の中には入れない。
僕とジノは違うから。そう、自覚しているから近づかないようにしていた。
それでも隣にいるとなんだか温かくてドキドキしていて、何か話さなきゃという気持ちになる。
「君は何をしていたの?」と、僕は何の捻りもないことを聞いてしまった。それでもジノは「私かい?」とご機嫌な様子で首を傾けながら言う。
「何も。暇なんだよ、今とても。だからスザク、私に構ってくれよ」
そう言うとジノはスザクの手首を掴んで「なっ?」と人懐こい笑みを浮かべてスザクの困った顔を覗き込んだ。スザクはぽかんと口を開けてしまったが、すぐにきゅっと閉じて怪訝そうに太めの眉を顰めた。
「そう言われても僕、困るんだけど」
「なんでだい?スザクはこれから用事があるのか?」
しつこいほどに聞いてくる彼に悪気はない。手を離してもらえそうにもなくてスザクは視線を散らして溜息を吐いた。大きな犬がじゃれついてきて離れてくれない、と頭の中でぼやく。
それでもいやじゃない、と思う自分がいて驚きもする。
「そうじゃないけど……」
断る理由もない、と頭を悩ます。すると突然ジノは手を離し、じっとまたスザクを見つめた。その近さと彼の美しさにスザクは思わず息を飲む。均等のとれたバランスのいい輪郭と、両目にはめ込まれたスカイブルーの宝石は生き生きと輝いている。
「スザクって人見知りなのか?」と、急にまじめな顔をしてスザクへと質問した。僕はその突然な質問にも瞬きをして、一瞬黙ってしまった。
「スサクはいつも一人だし誰かと話している姿もあまり見ない。話していることと言えば仕事のことばかりじゃないか。だからもしかして人見知りなのかなー、と今気がついたんだ」
ぱちりと視線が出会って僕はその瞳の中に吸い込まれそうだ、と思った。とても素直で混じりけのない青が僕を離してくれないのだ。
「……たぶん、そうかもしれない」僕はどう答えたらいいのかわからなくて、曖昧な返事をする。どちらとも言えない。そう言われたらそうかもしれないと思ったからだ。
スザクがこぼした言葉についてジノは何かを悟ったのか頷いて「だめだよ」と忠告した。
「人見知りって損だと思わないか?というか絶対に損だ。自分から出会いを潰しているんだ、勿体無いよそれでは」
ジノは得意気に「私は人懐こいとよく言われる」と、厚い胸板を張り、腰に手を当たる。確かにそれは出会ってまだ間もないスザクも知っていた。しかしまさかこんなことを注意されるなんて思ってもみなかったスザクは一瞬、呆気に捉えてしまった。
ただ人との接点が少ないだけ。自分から進んで結んでいこうとしないだけ。
それを彼は勿体無いと言う。
僕は思わず口に手を当てて、くすりと笑った。
「そうかもしれないけど、僕は」と、瞳の色を柔らかい緑色にしてジノを見上げる。その不意打ちな色にジノはドキリと胸が急に苦しくなるのを感じながら、「ん?」と聞き返す。
「僕はこれでいいんだよ。僕は……人と関わっちゃいけない人間だから……」
スザクのそれが自虐的な笑みだったことにジノは気がついて、眉を顰めた。自分が関われば誰だっていいことはない。それはエリア11でよくわかったことだ。
イレヴンというだけで周りに迷惑をかけて、優しくしてくれた人たちに出来たことは僕に何もなかった。悔しいけれど、それが結果だというのなら僕はその結果を変えるためにここに来てここで手に入れたいものがある。
優しくされてはいけない。優しくしてはいけない。救いたいものがあるのなら、僕は喜んでその罪を背負いたい。この何もない空っぽの生でもきっと出来ることがあるはずだから。
「スザク、それは違うぞ。絶対に」
しばらくの沈黙の後にジノが唸るような声を響かせてスザクの腕を掴んだ。こんどは強く、痛いほどに。
「それにもう遅い。私はスザクに関わってしまった。スザクももう私に構ってしまたんだ、逃げられないよ」
人に関わらないで生きるなんて無理だよ、とジノは明朗に笑った。まるでそれが燦々と降り注ぐ太陽の日差しのように感じてしまい、僕は思わず目を細めてしまった。
本当に彼から逃げるのは難しいそうだな、と心の内でぼやく。太陽は全てを照らしてしまうから。
「それは、君の勝手じゃないか。僕は別にー」
「そうだ、私の勝手だよ。スザクのことを知りたいから傍にいるんじゃなくて、私のことを知って欲しいんだ。それでいいだろ?」
振りほどこうとしても彼の手は僕の腕を掴んで離さない。僕はそれにムッとして声を尖らせても彼がさえぎってしまう。
それはとてもずるいとスザクは視線をきょろきょろとさせた。
知って欲しいといきなり言われても自分がどう答えればいいかわからなくて答えを探す。けれど自分の中にその答えが見つからない。狼狽している僕を見てジノがまた笑った。
「そんなにおびえなくてもいいじゃないか、スザク」
「おびえてなんかないよ、君がいきなりすぎるんだ。誰だってびっくりするよ」
溜息交じりでそう言えばジノが「そうかい?」と自分のことなのに他人のように呟いて、また僕は肩を竦める。
「スザクは勿体無い。ちゃんと笑えるのに話せるのにそうしないのは。スザクがよくても私がよくない」
他人のことなのに自分のことかのように言うジノに対してスザクは「どうして君が困るんだい?」と口元を緩めた。なんだかさっきからジノのペースに巻き込まれてしまっている、と僕はこの空気の流れの温かさに飲まれていた。
ジノはスザクの質問に対して金色の整った眉をくっと中央に寄せると、「さぁ?なぜだろうな」と笑い声を混ぜて唱える。
このままではきっと埒が明かないと思ったスザクはジノから一歩離れるとマントとふわりとミルクチョコレートの髪が揺れた。
「僕、これからアーサーにご飯あげに行かなきゃいけないんだ」
だから君との話はここまで、と言うと今度はスザクの横にジノは付く。そして「じゃあ私も行ってもいい?」と、にっこりと口元に優しい弧を描いた。
僕は揺れる彼の三つ編みを視野に入れながら、「勝手にするんだろ?」と返す。
こつん、と靴音が鳴ると後ろから遅れてもう一つ足音が付いてきてなんだかくすぐったい気分になる。それが重なってジノは僕の隣にやってくるとたくさん話を始めた。なんだかそれが今までずっと一緒だったかのような親しみのあるものに感じてしまう。
だからみんなきっとジノのことが好きなんだろう。いつの間にか隙間に入ってきて居場所を作られてしまう。けどそれがいやじゃなくて、心地よい場所になっていくんだと少しジノを知った気がした。
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