薄い皮で守られた流れる気持ちは貴方の手の中から滑り堕ちて、ばしゃりと水しぶきが跳ねて僕の気持ちも最期まで叩きつけられる。
それはもう、後戻りは出来ない悲しい出来事。
僕のをあげる。と言われても、僕の気持ちはもう掻き消されてしまったんだよ。
だからもう、僕達は「さようなら」を言わなきゃいけないんだ。







「夏祭り?」

昼過ぎになっていつものようにルルーシュとナナリーが住んでいる土蔵にやってくると、スザクは第一声に「夏祭りに行こう」と言い出した。
祭り、という言葉ではルルーシュの頭の中にそれが一体どういうものなのかはっきりとしたイメージが沸かない。
するとスザクは簡潔に、美味しいものを食べたり花火を見たりする遊びだ、と満面の笑みで応える。
そう言われてもいまいち理解出来なかったが、スザクが自分達を連れて行きたいのだという気持ちとナナリーも行きたい、ということですぐに行くことに決まった。
7月の半ば。
こんなに日本が暑いところだとは思ってもみなかった。
ブリタニアは涼しい国で、皇子として宮殿で暮していた頃とはまったく知らない環境が日本にある。文献で多少は読んだことがあるだけで詳しくは知らない。
だからよくスザクがなんでも教えてくれた。
そしてスザクはもう一つ、夏祭りではその行事の時だけに着て行く日本の服があるからと言って、二人を自分が住んでいる家へと招いた。
あまり本家の方に出入りするのは好きじゃなかったが、枢木は大きな家のくせに住んでいる者は少ない。だからスザクの部屋にたどり着くまでの長い庭に面した廊下を歩いていても、スザク以外の人と顔を合わせることはほとんどなかった。
少年の部屋に案内されると、そこには見慣れない衣装が綺麗にたたまれて置いてある。

「浴衣、て言うんだ」

「ゆかた?」

「着てみろよ、ほら、ナナリーのもちゃんとある。ナナリーはあっちで使用人さんたちに着せてもらって」

ナナリーの着替えはさすがに自分では出来ないため、隣の部屋で枢木家の使用人にさせることにして、ルルーシュの着替えはスザクがしてする。
日本の文化の一つである着物、という服は実に難しいものだと、てきぱきと一人で着替えるスザクを見ていて思う。
男性はまだしも女性なんて特にどうやって着物を綺麗に着こなしているのかまだ子供のルルーシュには謎だった。
スザクは白い色をした浴衣を、ルルーシュには紺色でそれぞれ柄も違う。
また履くものも普段の靴というものではなくて、下駄と呼ばれる木で出来たものだ。サンダルに似ているが少し違う。スザクもよくそれを履いている。
顔立ちが綺麗なルルーシュは何を着てもよく似合っていた。黒い髪だからそう思えるのかしれないが、それでも様になっている。
ナナリーの方は可愛らしいピンク色の花柄の浴衣で、髪の毛も二つに小さな花のついたゴムで結んでもらっていた。
「よく似合ってるよ、ナナリー!」と、スザクが嬉々として言えば彼女は照れくさそうに「ありがとうございます」と返す姿が微笑ましい。
夕暮れが迫っても、蝉の声が止む事はない。
初めて履く下駄に違和感があったが、3人は揃って町で行われている夏祭りへと向かった。

「お金とか、いるのか?」

「いるに決まってるだろ」

「僕、そんなお金持って無いぞ」

「こういうときぐらいさ、俺に頼ってみればいいだろ?」

からんころん、と乾いた二人の下駄の音が混ざり合う。

「君に変な貸しは作りたくないな」

じろりとルルーシュの瞳がスザクを不審に見つめた。

「お前、ともだちなのに貸しとかそんなのあるわけないだろ」

そこまで俺は嫌な奴じゃない、とスザクはふくれっつらになる。
太陽が山々の向こう側へと落ちて辺りがますます暗くなると、歩く先から何か音が聞こえ始める。それにランプは違う明かり。
紙で作られた提灯と呼ばれるものらしく、それが柱に括られて照らしている。
近づくにつれて人が多くなり、自分たちと同じぐらい子供たちが走りながら祭りへと向かう。
気付けばルルーシュも心が躍っていた。
太鼓の音に笛の音。あちこちから聞こえてくる楽しそうな声。
並ぶ小さな出店に目を奪われる。
りんご飴と書かれた看板、大きなふくろに入ったわたあめのお菓子。広くて大きな入れ物に水を張ってそこには金魚が何匹と泳いでいる。
色んなにおいがあって、どこから漂ってくるものかと探す。
夜だとは感じさせないほどに騒がしくて煌々としていて、まるで別世界に入り込んでしまったような錯覚。
呆然としているルルーシュの腕をスザクが掴んで、「何が食べたい?」と丸々とした碧の瞳を細めて聞いた。
何もかもが不思議で、「君に任せる」と視線を泳がせたままで言う。
町の祭りにルルーシュたちがいることに関しては、気になる者もいたがあえて何も口には出さない。それはスザクが側にいるからだ。
楽しいものとは違って、それがなんとなく視線でわかってしまうことにルルーシュは不快に思ったが、せっかんくスザクが誘ってくれたことだし、実際に楽しい。
だから今はそんなことは気にしないで楽しもう、と決める。
スザクは次から次へとルルーシュとナナリーに色んなものを勧める。食べたことのないものが多くて、ナナリーは口にするたびに嬉しそうに笑っていた。
食べ物だけではなくて、金魚すくい、輪投げに射的。
スザクはどれも上手に出来たけれど、ルルーシュはまったくどれも景品をくることが出来なくて不貞腐れているのを二人して笑う。
それがまた面白くなくていじけるルルーシュに、今度は水風船をやらないかとスザクが腕を引く。
金魚すくいと同様に一面に水を張ってそこにゴムで出来た小さな風船が浮いている。色んな色をしていて、見ているだけでもどれにしようか迷った。

「お兄様、次はスザクさんに負けようにに頑張ってくださいね」

と、ナナリーからの声援が入るとルルーシュは今度こそは、と気合を入れる。隣のスザクはこんなの簡単だよ、とまずは手本を見てくれた。
案の定スザクは難なく、水に浮いている水風船を紙で出来た仕掛けで釣り上げる。
どれにしようかとルルーシュは白い色で水玉模様の風船に決めて、持っている仕掛けでゆっくりと掬い上げようとする。
軽いのかと思えば意外と重くてこのまま持ち上げたら千切れてしまいそう。
しかしスザクにそのまま大丈夫だから、と声を掛けられてルルーシュは躊躇っていた手を慎重に上げていけばそれは水面から浮いて、自分の手の中に落ちる。
よかったな、ルルーシュ!とスザクに肩を叩かれてルルーシュは嬉しそうに頷いた。



その後は川辺まで行って、夜空に上がる光りの花を眺めていた。
ドン、という音が地上からするとその数秒後には頭上高くでもう一つ大きな音がして、夏の華が咲く。
さまざまな形をしていて、ルルーシュはそれをナナリーに伝える。「大きな花が咲いたよ。次は大きな円盤みたいな形だ」と。
3人の手にはそれぞれ違う色をした水風船。
そうして全ての花火が打ち上げ終わると、なんだか急に寂しくなった。
あんなに鮮やかだった世界なのに。

「今日は楽しかったか?」

帰り道はまた静かになって、暗い。
田んぼの方からは蛙の鳴き声に虫の音。見上げれば満天の星が望める中、スザクは二人に感想に聞く。
もちろん答えは「イエス」だ。

「ナナリーには少し疲れたかもな」

「いいえ、そんなことないです。すごく楽しくて、疲れなんて感じませんでした」

「僕は足が痛い」

「ルルーシュはへなちょこだな。少しはナナリーを見習ったらどうなんだ」

「うるさい」

慣れない下駄のせいで、鼻緒の部分と足の指が擦れて赤く腫れてしまっていたが、それは誰でも最初はそうなるんだ、と言って巾着袋から一枚絆創膏を渡す。
その瞬間、スザクは握っていた水風船を手の中から滑らせてしまい、「あっ」と受け取ろうとした時には遅く、水風船は地面へと落ちてしまった。
その衝撃で、ぱしゃんと音を立てて水風船が割れてしまう。

「あーあ、割れちゃった……」

無残にも散ってしまったもの見下ろして、肩を竦める。

「君ならまたすぐに取れるだろ」

「夏祭りは今日で最後なんだ」

残念そうな声を鳴らして、大きく溜息。
そんなにこんな小さな風船が欲しかったのだろうか、とルルーシュは自分のもつ水風船を見つめる。
こんなに可愛らしいものだけど、ああやって地面に叩きつけられると一瞬にして破裂して形もなくなってしまう。
残酷で、虚しいなとルルーシュは思う。
まるで自分のようだ。皇子としての自分はもう姿形もなくなって、どん底まで叩き落とされた自分たちがここにいる。
それに自分を重ねること自体、どれだけ自分のことを悲劇だと思っているのかと笑ってしまった。

「そんなに欲しかったなら僕のをあげてもいいぞ」

「一個しか取れなかったのにえらそうなこと言うなよ」

スザクは自分のとナナリーにあげた二つの水風船を取ったが、ルルーシュは一つだけ。

「君はもう少し素直になった方が世の中のためだと思うけどな、僕は」

「そういうの、余計なお世話って言うんだぞルルーシュ」

どれだけ自分達が今、情けなく惨めだったとしてもスザクといる時だけは輝けた。
それはスザクだって同じだった。
一緒に笑い合って楽しい時間を共有して、はじめての友達。
あの頃の記憶には、嘘はない。












「あ、」

気付いたときにはもう、卵が床へと落ちて割れてしまった後。
黄色い黄身が飛び出してしまって、白い殻がバラバラになってしまっている。

「何してるんだ、スザク」

隣でそれを見ていてルルーシュは口をへの字に曲げて、息を吐く。彼は白いエプロンをしていて、スザクも同様にエプロンに着用していた。

「ごめん、手が滑ったみたいだ」

学校が終わった後、ルルーシュはスザクを家に呼んだ。今夜は俺が作るから食べにこいよ、というもので。
しかし料理を始めるとスザクが「僕も手伝うよ」と言ってキッチンに一緒に立っていたわけである。
ルルーシュは料理をすることは得意であるが、彼はそうでもないらしく包丁を持たせると何故か不安だったため、簡単なことを手伝ってもらっていた。
そして割ってしまった生卵。
スザクは「ごめん」と言って、タオルを持ってしゃがもうとするがそれをルルーシュが止める。

「いいよ、俺がやっておく」

「でも、」

「それよりやっぱりお前はお客様だからな、リビングでナナリーと待っていてくれ」

それは遠まわしに手伝いは不要と言っていた。
スザクも手伝うつもりが反対に足を引っ張ってしまったことを自覚して、眉尻を下げてもう一度「ごめん、ルルーシュ」と呟く。
ちらりと潰れてしまった卵を見つめる。
何故かあの夏の日の帰り道で落としてしまった水風船を思い出した。
3人でいると、過ごした日々がフラッシュバックする。懐かしくて、色褪せない思い出。
今でもそれは変わらない。
だけど、変わってしまったものもある。
白くて薄い殻に包まれた中身はとても柔らかくて、壊れやすい。
ちらり、とスザクの碧色の視線がルルーシュへと移る。
あの頃には何も嘘がなかった。
けれど今は。今はどうだろうか。
不安になる。疑心が心に絡み付いてくる。
自分は彼に嘘を付いている。
頑なに隠しているけれど、それはひどく脆いことをわかっていた。
この落ちてしまった卵のように、きっと僕も割れてしまったら形を止めることなんて出来ないぐらいに、醜いんろう。

僕は、君に嘘を付いているんだ。
君は。
君も僕に、嘘を付いているんだろうか?




                           ++拍手ネタ++