響きのいい名称ではあるが、ナイト・オブ・ラウンズの仕事は人々が思っているほど派手ではない。確かにラウンズの仕事は国にとって大切な役割を果たしている。
専用のナイトメアと専属のチーム。宮殿への出入りを自由とされ、暮らしも今までスザクがしてきたような質素なものではなかった。
そういう外見と大雑把な中身を見れば、派手なものだろう。しかし、蓋を開けてみればラウンズとはそうした待遇と比例して一人の戦士、人間として威厳を保たねばならない。
いくら許される地位にいるからと言って私欲に全てを潰してしまえばおしまいだ。
ラウンズとは国の象徴にも今ではなっているのだ。
スザクは手に持った書類を捲りながら短く溜息を吐いた。まだ陽は高く、白い大理石のアーチ状の装飾された天井が続く廊下には黒い影が射し込んできている。その日陰の中をかつかつと靴音を鈍く響かせ、マントの裾は形を崩すことなく地面ギリギリのところで揺れていた。
戦場にひとたびラウンズが出撃すればその名声は味方に絶対の勝利を与え、敵には忘れられない畏怖を植えつける。僕は今までで一番のとてつもなく大きな力を手に入れた。
「はぁ」とスザクはまた溜息を吐いて足を止めた。明日から遠征だが、その前にこのメカニックや身体に関した書類を提出しなくてはならない。本来は出発二日前には提出しておかねばならないのだが、不備があると言われて付き返されたのが昨日のこと。
今からもう一度持っていかねばならない。
まただめだったらどうしよう、と思うと足が重くなる。
真面目なスザクは何にも面倒だと思わず取り組んできたが、どうも事務に関してはさっぱりだった。
会話ではもう困ることはないというのに、文字になると指摘されることが多い。
自分の勉強不足さを少し呪った。会話術は自然とその言語しかない過酷な場所に投げ出されれば嫌でも覚えていくが、名誉ブリタニア人だったスザクはブリタニア語を書いて練習することも日本語で手紙を書いたりすることも堅く禁じられていた。
「よし、」
そう数枚の書類をまとめて脇に持つと颯爽とまた歩き出した。明日からはジノたちと中東地域へと向う手はずになっている。現在はEU戦線への重要拠点とされているため、早くこの地帯をブリタニアの傘下に入れてしまいたいのが狙いだ。
多用な宗教が存在しており、紛争も多いことは知っている。まだ一度も行ったことがないため、知識だけだが。それからのスケジュールとして僕たちはそのままEU戦線真っ只中である地中海へと出撃する。一度だけ訪れたことがあったが、僕が今までエリア11で見てきたものよりはるかにスケールは大きく責任も重くなるんだ、と思わず胃がきゅっ萎縮したのを覚えている。
しかしここに何をしにきたのかを思い出すと、自然と恐れはなくなった。
僕は変わらなくてはならない。
そんな思いが背中を強く押してきて、慌てた一歩を踏み出す。そんな日々が毎日だ。
確かに一歩だけれど、どこか危なくて綱渡りをしている気分だ。疲れているのかさえ自分ではわからない。他人から言われて、そうかもしれない、と。
それは昔からそうだった。いつも「お前の大丈夫は大丈夫じゃないの間違いだ」と怒られた。僕は笑ってそれに「そうかな」と答えていたけれど、それらを思い起こすと腸が煮えくり返りそうなぐらい、身体がかっと熱くなって拳に汗を握ってしまう。
二度と味わいたくない感情が二つ。
誰かを失うこと。裏切ること。最低なことだと、僕は思う。そしてそれらをしてしまった僕は最低最悪な人間だと、自虐した。
ふとまた、あの疑問が頭上から足の先までを満たしていく。
いつの間にか足は止まっていて風もなくなっていた。庭先から聞こえてくる水音と鳥のさえずり。とてもいい天気で、貴族たちは庭園に出て楽しく談話してお茶会を開いているだろう。
けれど僕だけの周りは暗い水底のようで、足の裏が冷たい。
沈んだエメラルド色の瞳が黒い靴先をじっと見つめていた。すると背中に突き刺すような視線を感じて反射的に振り返った。長くて吸い込まれそうな廊下が続いている景色はいつもと変わらない。
だけど、僕のすぐ後ろに瞬きをしたその一瞬に誰かが見えてぎょっとする。それが誰だかすぐにわかったからだ。白いパイロットスーツを着て拳銃を向けている僕がいる。同じ目の色をした青白い顔が今の僕を見て、その引き金を引こうとしたときに僕はまた瞬きをした。
もう一度瞳に世界を映した時、そこにはもう一人の僕なんて見えなかった。ゾッとするほど鮮明で思考が一度止まった。
まるで幽霊のようだ。いいや、僕だったのだから生霊だったのだろうかと考えてみる。けれどその姿は二度と現れることはなかった。風が頬を撫で、太陽からの日差しが少し落ちてくる。
数秒立ち尽くしくつり、と口元がいびつに笑みを浮かべた僕は「気持ち悪いな」と呟いて何事もなかったかのように歩き出した。
ジノはずっと白い巨体を眺めている少年の後ろ姿をじっ、と上から観察していた。白いラウンズのパイロットスーツに着替えるとさらに細くて小柄に見える。しかし近寄るとその肉体は鍛えられていて、体脂肪なんてないんじゃないかと思うぐらいスザクは痩せていた。
けど頬の肉は柔らかく、太腿も触ってみると筋肉だけが詰まっているわけではない。それに身体にフィットしたパイロットスーツの彼のお尻の丸みを見て、そんな部分はどこか女の子みたいだな、とジノはにんまりしてみる。少年らしいしっかりとした体躯なのに、そこだけは柔らかいのだ。一度ふざけて人前で触ってみたら最初にパンチが飛んできてその後飛び蹴りされたことをよく覚えている。あれは強烈だった。
しかしそんな余裕の笑みは続かない。ジノの視線を察知したスザクが見上げてきたのだ。
鋭い視線で威嚇して、眉を釣り上げた。
「なんだい、ジノ」
そう刺々しく言われ肩を竦めると、「スザクを見てたんだよ」と素直に告げる。
その返事が気に入らないのか、ぷいっと視線をまた白い巨人、ランスロットへと戻してしまう。隣にはジノの愛機であるトリスタンが整備中である。
「君も降りてきたらどうなんだ、そこで僕を観察していたって面白くないよ」
張りのある声はよく通り、離れた場所にいるジノにもちゃんと聞こえた。ジノは仕方なくむき出しの鉄で作られた階段を軽やかに二段飛ばしで下りていくと勢いのまま後ろからスザクを抱き締めた。