「スザクなんだろ?」

そう、彼がすれ違いざまに吐いた言葉に僕は思わず足を止めてしまった。それがいけなかったと、今でも少し思う。あの時足を止めなかったら僕らはきっと正しい関係を築けていけたと思うんだ。けれど僕が足を止めたからこそ、今の僕らがあるんだとも思う。
それはゼロレクイエムからまだ二年と少しのことだ。世界はそんなにすぐに変化はしない。ただ、少しずつ、少しずつ僕らの周りから変わって行こうとしていのは確かだった。僕は救ってみせると約束した。僕が彼の意思を継ぎ、ナナリーだって彼、そしてユフィの意思を今でも志して世界の針となって一緒にいてくれる。ナナリーは進んで国政に参加し、他国との話し合いの場にも自らが名乗りを上げた。ブリタニアの皇女としてではなく、国の代表としてよりよい世界のためにするため彼女もまた自分自身を保守するのではなく、今自分に出来てしなくてはならいなことをわかっていた。
僕はそんな彼女に傍にいてもいいのか最初はわからなかった。「憎くないのですか」と一度だけ聞いたことがある。すると彼女は笑って「貴方は貴方のすべきことはしたのでしょう?それを憎むということは、兄を憎むことにもなります。貴方も、兄も優しすぎたのですね」と柔らかな声で言ってくれた。

「私は兄に酷いことを言いました。それでも、兄は私のことを許してくれたでしょうか」

ナナリーは僕にそう、聞きづらそうにして二人きりのときに聞いてきた。まっすぐに昔は見つめることが出来なかった兄であるルルーシュよりも淡い紫色の瞳が僕を見上げてくる。
僕は頷いて、「彼は君のことを最後の最後まで愛していたよ」とだけ呟いた。どちらかといえば彼の方が悔やんでいた。ナナリーに酷いことをしてしまった、きっと許してもらえない。そう、口元を切なげに緩めていたことを僕は知っている。
僕らは全てが遅かったのだと、今になって知らされる。友達としても兄妹としても何が一番大切だったのかを。
英雄ゼロは永遠に世界を守り、悪逆皇帝ルルーシュはこれからもずっと人々から憎まれる存在だけは変わらない。これを悲しいことだと、僕は思わなかった。これはルルーシュが書いたシナリオ。悲しんでも、きっと彼はあざ笑うだけだ。
僕はもういない。ルルーシュと一緒に死んでしまった。ここにいる僕は記号として生きることを許されたゼロだ。これを悲しいとも、また僕は思わない。だってこれは僕が本当に望んだことだからだ。これからは救うことが出来る、守ることができる。やりたかったことが出来る姿なのだと。
だから僕はもう二度と「スザク」と呼ばれることがなくても、後悔や悲愴だとは感じなかったはずだった。そんな名前などもともと存在しなかったように。
僕はその日、なんとなく政庁の屋上にある庭園に足を運んだ。雨が降っていても大丈夫なように天井のすべては強化ガラスで覆われている。ここの庭園の世話は庭師がしているが、ナナリーもよく花たちの世話をしにきていた。その付き添いでよく訪れてはいたが、一人で来るのは初めてだった。
花や木とは不思議なもので、その場にいるだけで癒しになる。
物言わぬものでも、気持ちを楽にしてくれるということは僕よりも役に立っているんじゃないか、とふいに笑いたくなった。
天井から降ってくる色はもう暗い。月もなく、星の輝きだけが降り注いでくる。こんな時間に庭園にやってくる者などおらず、僕一人だけだと思っていた。
さくさくと芝生を踏む音が後ろから近づいてくるのがわかり、僕は誰かと考える間もなく振り返った。彼だという選択がなかった僕は、驚きに佇んでいる金髪の青年を見つけてしまい立ち尽くしてしまう。
ジノ・ヴァインベルグ。その名前を空の声で呟いた。
久しぶりに見た彼はなんだが以前より背が高く、肩幅も広くなっている気がした。少年というより、青年と言った方が正しいと言える。最後に会ったのがいつだったかはよく覚えていない。こうして向き合っていることなど、もうずっと昔のような気がするから。
青い彼の目の色は相変わらず空のように広い。この夜空さえも晴れに変えてしまうほどに。仮面の中からでもそれがはっきりと意識できて、僕は心臓の奥がドキドキとしているのを感じて深呼吸をする。

「こんな時間に散歩ですか?」

最初に口火を切ってきたのは、目の前の青年だ。落ち着きを払っていてもまだ残る無邪気な声色を僕は覚えている。

「少し、眠れなくて。しかしもう行くよ。君はゆっくりしていくといい」

喉がからからになっていき、声が掠れそうになる。声ではなく、別の何かが口から吐き出しそうなほど緊張していて怖かった。
早くこの場から逃げなくては、とあせる気持ちだけが僕を動かそうとする。
それから彼は黙ったまま俯いた。それをいいことに、僕は地面に張り付いてしまった足を引き剥がして出口に向かって歩き出した。その一歩が長く感じで、彼の横を通り過ぎるときの感情の波はひどく激しかった。
このまま何もなければいい。けれど、もしその腕をジノに掴んでもらえたのならと期待してしまう自分もいて自分自身の優柔不断を殴りたくなる。

「---……、」

ふわり、と漆黒のマントが揺れて残るあの頃の甘さなどない切ない香りだけが彼を煽った。頭からつま先まで真っ黒に覆われた彼だけど、自分には彼が誰なのかわかっていた。仕草も歩き方も、喋り方だって隠していたって今の私にはわかってしまう。
 あの頃はスザクは死んだんだ、もういないと否定したくても、そう納得させなくてはならなかった。ゼロがスザクであることにも気が付かずにあの最後の日を私はあの場所でただ眺めていただけだった。