神様、どうか僕の願いを聞いてください。
たった一つで良いのです。
もう一度、君に逢いたい。
叶わない願いだとしても、願うだけは自由だ。
神様、どうかそう願うことだけの僕を許してください。
路地裏の猫はそれでも愛を請う
ベランダに出ると今にも空が泣き出しそうなほどに厚い雲が夜空を覆ってしまっていて星はおろか月すらもない。少年は一人誰にも見られないように、つまらなさそうに溜息を吐く。
夜闇に溶け込むような艶色の黒髪に見え隠れする瞳は濃い紫。憂いの表情すらも絵にならそうなほどの美しい少年はもう一つ、薄い唇から息を零した。
夜の冷たい風に長めの前髪が揺れる。
ちらりと硝子扉の中を見れば、着飾った紳士淑女たちが笑顔を作り楽しそうに談笑している姿が映る。
(何がそんなに楽しいんだ)
心の中だけでそう舌打ちをして、また視線を空へと向けた。
ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは日々に退屈していた。
神聖ブリタニア帝国の第11皇子として生を受けた彼ではあるが、この国にこれから貢献していこうなどとこれっぽっちも思っていないのが本音だ。
肩書きに皇子、と付くだけで誰もが擦り寄ってくる。
今夜の夜会だって本当は来るつもりなどなかったが、義兄のシュナイゼルに上手いこと丸め込められて出るはめになってしまった。どうしても今夜は外せない案件があるとかないとかで、たまにルルーシュも社交界に顔を出した方が良い、と言ってきたのだが生憎ルルーシュにそのつもりはまったくなかったというのに。
「ルルーシュは頭は良いのだから後々は軍部のことに摂政のことだって、やる時がくるのだからそのために自分の顔を広めておいた方がいい」
「そのご心配には及びません。兄上がご健在のうちは私に出番などありませんよ」
と、微笑で返す。
「おやおや、嬉しいことを言ってくれるね。そうだ、ならチェスで決めないかい?」
それがいけなかった。
第2皇子であるシュナイゼルは、ブリタニア皇族の中でも随一秀才であり、次期皇帝とも言われるほどである。今でも外交から軍部研究等の統括するらもしており誰もが認める才能を持っている。
ルルーシュはチェスでは誰にも負けたことがなかったが、このシュナイゼルとは一度のチェスの相手をしたことがなく巡ってきたチェスの誘いを受けた。
いくらシュナイゼルといえども自分には勝てないだろう、と驕ったのが失敗で現在に至る。
そのときのシュナイゼル嬉しそうな顔を思い出すだけで胃がむかむかとしてきそうだ。
戻ったら今度はこちらから挑戦状を叩きつけてやる、と今ではなく帰ってからのことばかりを考えていた。
貴族たちは毎夜の如く、こうして夜会を開いては遊んでいる。甘い香りを漂わせて、今宵の相手を探す。ああ、なんてバカバカしいのだろう。
ルルーシュは飽き飽きとして、ここを出ることを決める。きっと早くに帰ってきたことにまた何か言われるんだろうがそれでもここの空気の悪さよりはましだ。
実につまらない。皇子ならばなんでも出来る、なんてそんなことはない。むしろ縛られているばかりで、何も出来ない。今の自分は皇子といえども、後宮に追い払われている身だ。華々しい世界とは、縁のないブリタニアの名ばかりの皇子。
ルルーシュが館を後にする頃になるとぽつりぽつりと雨が降り始めていた。
いやいや来た夜会の上に雨まで降り出してしまい、最悪な一日だと肩を落として馬車に乗り込むとゆっくりと体が揺れ動き出して帰途に着く。
馬が引く車が砂利を踏む音と、天井を叩く雨の音。
ぼんやりとカーテンの隙間から外を眺めていた。街の明りはもう薄く、雨のせいで人の影もない。何一つ面白いこともなく過ごす毎日。
唯一面白かった言えば7年前に1年ほど留学に訪れた日の本の国で出会った少年との思い出だけだ。今ではその日本という国はブリタニアの侵攻により名前を変えられ、エリア11と名づけられている。
その小さな島国で出会った少年は日本最後の首相である枢木ゲンブの嫡子、枢木スザク。最初は生意気な奴で気に食わなかったが、本当は根が優しくて馬鹿みたいな正直で泣き虫で良い奴だった。
喧嘩には負けたことがないぐらい強くて、いつもどろだらけで顔に傷を作っていた。
たった一人の、ともだち。
それは今でも変わらずルルーシュの中で温かく生き続けている気持ち。
あの頃は何の境もなく、楽しかった。けれど、ブリタニアは日本を侵略した。そして自分とスザクは、生き別れることとなってしまった。
(スザクは、元気だろうか)
生きているかも知らない。
もう一度会えたら。
そんな絶望にも似た希望を捨て切れなかった。会えたとしても、彼は祖国が起した戦争を許さないよう、自分さえも憎んでいるだろうかと恐くなる。
それでも会いたいという気持ちはいつまでも抱き続けた。
ルルーシュが感傷に浸っていると、体が大きく揺れて急に馬車が止まる。何事かと、小窓から御者へと聞けば突然横道から数名の男たちが飛び出して来たと言う。
(誰が乗っているとも知らない馬車を横切るとは、とんだ無礼な輩だなまったく)
つくづく付いてない、とルルーシュは窓から男たちが飛び出してきたという暗がり路地を見つめる。どうせ良からぬことをした後なんだろう、と気に掛けることもなく早く皇居に戻れば良いのだが何故だかその暗闇の先が気になった。
見て見ぬフリをするのが一番なのだが、それでは少しばかり良心が痛んだ。
「おい、少し様子を見てくるから待っていろ」
馬を走らせようとしている御者に向かってぶっきらぼうにそう告げると、ルルーシュは傘をさすこともせずそのままコートを羽織り馬車から降りる。
雨足が強まる中、大通りから少し奥に入った路地に倒れている少年がいるのを見つけた。走り去った男たちに乱暴でもされたのかぴくりともその体は動く事がない。
ああやっぱり面倒なことになりそうだ、と自分のお節介な部分に後悔する。
「おい、だいじょうぶー」
うつ伏せになっている男に声を掛けようとした瞬間、ルルーシュは言葉を途中で詰まらせた。雨の音だけが耳の中で鳴り響いて、心臓がぎゅっ、と小さくなった。
奇怪なものを見る視線と、懐かしい顔に驚く気持ちが混ざり合って上手く感情が表せない。
それでも確かに、ルルーシュはそれしか浮かばなかった。
「……スザ、ク?」
乾いた声で、その名を呼んだ。
まさかそんなことがあるわけがないと思いながらも、目の前に横たわっている彼を見間違えるわけがない、7年経っていたとしても。
しかしスザクであると思っても、違う部分があることにルルーシュは大きく戸惑う。降り注ぐ雨に髪は濡れ、滴が滴る。
そこにずぶ濡れで気絶している少年には、人間としての耳ではなく獣のような尖った耳、そう例えるのなら猫の耳にようで腰の辺りからは人間には付いているはずのないしっぽがあるのだ。
そんなものがスザクであるはずがない。
けれどもルルーシュには困ったことにどうしてもそれがスザクにしか見えなかった。
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