しっぽの先が緩く曲がり、シーツを何度も撫でる。さきほどまであった警戒心がなくなりリラックスをしている様子でルルーシュを眺めていた。
彼は一度部屋から出て帰ってきたときにはティーポットとカップを2つ持ってきた。
そこから漂う香りは甘いものではなくて、少し香ばしい葉の匂い。何の紅茶だろうか、とスザクは考えても紅茶を飲む習慣がないスザクにはわからないことだった。
温かい紅茶を手渡されて、「ありがとう」と零す。
その濃いオレンジ色をした水面に自分の尖った耳がちらりと映り、スザクはいまさらでも見ないようにした。
ルルーシュは椅子に座るとカップの端に口をつける。
「ルルーシュ」
名前を呼ばれて視線を上げると、出会う翡翠色にどきりとした。
「あの、その、……驚かないの?」
ルルーシュに拾われたことにも驚いているが、拾った本人こそ久しぶりに会った友が異形の姿をしていて驚かないわけがない。恐る恐る自分から口火を切った。
「驚いてないわけじゃないさ。最初お前だと分かった時、目を疑ったしどうしたらいいのかもわからなかったしな」
あの雨のとき、もしルルーシュがスザクを見つけなければこの再会はなかった。
驚きと同時に拡がった懐かしさと恋しさの方が次第に勝る。
頬杖を付いて、ルルーシュはスザクを眺めた。
頭の上には人間の耳の変わりに生えた獣の耳と、臀部からの長い白くて毛先が茶色い尻尾。瞬きをしても、それが夢だったというオチはない。
「お前、どうしてここにいるんだ?それに……」
そこまで言いかけて、口を閉じた。
聞いても良いのかいけないのか、わからない。
どうしてそんな姿なんだと問えばスザクが困るような気がしたから。
スザクの耳が力なく垂れて俯いた。
「……僕にも、正直なところ分からないんだ」
思い出すことと言えばこの耳と尾が生えた瞬間の激痛ぐらい。
「君と、7年前に別れてからすぐのことだよこれは。ずっと、この姿で生きてきた」
沈み行く碧の瞳が映す影が、陽炎のように揺れる。
そんな前からだは思っていなかったルルーシュは、眉根を寄せて唇を噛んだ。そんな姿で普通に生きることはまず出来ないだろう。どんな扱いを受けてきたのかと想像することが彼には出来なかったが、人間以下の扱い、というものだったのだろうと思えた。
「帝国に来たのはここなら解決方法がわかるかもしれない、と思って。けどこんな奇病、いくら大国だからってそう簡単に分かるものじゃないし頼る人もいなかったし」
そう、スザクは乾いた笑みを浮かべた。
「そして、まさか君に会えるとは思ってもみなかったよ」
今度は嬉しそうにスザクの耳が小さく揺れる。ふわり、と良い香りでも漂ってきそうなその微笑にルルーシュの胸が熱くなった。
会いたいと想ってもそれはいけないことだと決めていたのに、運命の糸というものはおかしなところで絡まっているらしい。
ルルーシュもスザクのことを忘れたときなんてなかった。
だからそんな形だとしてもこうしてまた、声が聞けるということに喜びを感じる。
「まさか君に拾われるなんて、」
傷の手当までしてくれて、温かいベッドまで与えてくれた。その上君は僕という存在を否定はしなかった。
これほど嬉しくて泣きたくなるようなことなんて、ずっとなかった。
しかしスザクの表情が曇る。
「けど、すぐ出て行くよ」
ベッドから立ち上がり、カップをテーブルの上へと置く。
ルルーシュは唐突に言い出した言葉に目を丸めた。
「どうしてそんなこと」
スザクは拳を握り締め、首を振る。
「だって君がいる場所と言えば皇宮、だろ?そんな場所に僕なんかがいたら、どうなると思う?君に迷惑がかかることぐらい、ちゃんとわかってるよ」
ルルーシュはブリタニアの皇子だ。国の中で一番の権力を持つ者が住まう場所に得体の知れない者がいることはいけないことだと、誰にだって分かることだ。
助けてもらったことにはすごく嬉しいと思う。ルルーシュともう一度会うことが出来たこともこれほどにない幸せを感じている。
しかしいけないことは、いけない。
彼の傍にいることは許されないこと。
だから目が覚めた今出て行かなければ。
「迷惑だなんて思ってない!それにお前のことは俺以外誰も知らないし言う気もない」
スザクの言い分も分かる。確かに自分がスザクをここに置いておくことは双方にとって危険なことだ。しかし誰にも知られることがなければ、不可能なことではない。
「この離宮は俺のものだ。今だって、俺一人でここに住んでいるここにいれば、お前が誰かに見られるという心配はほとんどない」
「それでも僕がここにいることで、君が気を使うことには変わりない。出て行った方が僕にも君の為にもなる」
頑としてスザクは留まることを拒むが、ルルーシュとてみすみす「そうか」と言って行かせるつもりもなかった。せっかく再会できたというのにもういなくなってしまうなんてこと、絶対にしたくない。
外にいるよりもここにいた方がよっぽど安全だ。
何にも困らない。ここにいてくれるのなら、自分はスザクに最善のことを尽くそう。
それほどまでにルルーシュはスザクへと心酔していた。
「お前がどうしてブリタニアに渡ったのかも分かっているつもりだ。俺では、力になれないのか?」
「そういうつもりじゃ、ないよ」
「じゃあここにいろよ。俺がお前の力になってやる」
ルルーシュはスザクの腕を掴み、説得を続ける。視線をそらして、スザクはルルーシュの言葉に気持ちが傾いていくことをなんとか止めようとした。
しっぽが左右に触れて落ち着きがない。
それでもスザクは首を縦に振ろうとはしなかった。
「だめだよ、ルルーシュ。僕と君じゃあ、違いすぎるー」
落とされた拒絶の言葉に、ルルーシュは唇を噛むと腕に力を込めてそのままベッドへとスザクを押し倒した。柔らかいスプリングに身体が跳ねて埋まる。
スザクが突然のことに双眸を丸めたまま上げると、ルルーシュが圧し掛かってきたことに心臓が大きく高鳴った。迫ったその端麗な顔が睨みつけてくる。
スザクへ熱視線を向け、ルルーシュは彼が出て行くことを許さなかった。
「行くなスザク、行って欲しくないんだ俺は」
震える声。
どんなことを言ってもスザクを止められないのなら、実力行使するしかないとまで思いつめる。
どうしてそこまでしてスザクを放したくないのか異常だった。昔の友だからか?境遇に同情しているからか?いや、そんな感情ではない。
ただのわがままで、彼が好きだからだ。
行かせるな。このままここに閉じ込めておけ、ともう一人の自分が悪魔の囁きをしている。
「頼る人がいないのなら俺を頼ればいい。俺は迷惑だなんて微塵も思わない、勝手に迷惑だなんて決め付けるな、それこそ酷いじゃないかスザク。俺はお前の力になりたいんだ」
流れる黒絹の髪がさらさらと、首を振ると揺れた。
紫苑の瞳が強い意思の下に輝いているのをスザクはじっ、と見つめる。
ルルーシュがそこまでして自分のことを考え思ってくれているのに、出て行くという結果を押し付けるにはあまりにも自分に対しても心苦しかった。
甘えてもいいんだろうかと、迷う。
こんな自分でもルルーシュはいいんだろうか。
「行くなスザク、」
最後にもう一度そう真摯な言葉に心臓を射抜かれて、スザクは戸惑いを浮かべ頬を赤らめ「どうなっても知らないよ」と、困り笑顔を向けた。
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路地裏の猫はそれでも愛を
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