野良猫だったスザクは晴れて飼い猫となった。
それも皇族であるルルーシュの、となれば生活水準は月とすっぽんだ。貴族に拾われた時もその生活の優雅さには驚かされたがスザクには関係のないことだった。
確かに住んでいた(と言うのは正確ではないだろう)は、天蓋付きのベッドでふわふわだったがスザク自身が豊かではない。与えられた衣類はシャツ一枚だけでほぼ全裸で過ごすという本当にペットのようにものだ。
泥水啜って生きてきた、と例えてもおかしくない。
だから今、こうしてさらに広い部屋で庭に出ることも出来るし安心して眠れる場所があるというのは嬉しいと思う反面不思議で落ち着かなかった。
ルルーシュの住む宮殿は他の皇族より小さくて、ブリタニア宮中でも奥にあるという。その小さな城に備えられた白百合の庭は夏になると真っ白になるという。
壁に飾られた絵画にはルルーシュと彼の妹ナナリー、そして母親だろう。ウェーブの掛かった黒髪と、くっきりとした二重目蓋の眼は美しくて、逞しい。小さなルルーシュもナナリーも母を挟んで嬉しそうに笑っている。
そうやってスザクは一匹、部屋の隅々まで探検をしてみた。誰もいない間とか自分がいる間は何をしていてもいい、とルルーシュは言ってくれた。
しかし、決まった時間だけはクローゼットの中に隠れていろ、ときつく言われる。
それはベッドメイクと掃除をしにメイドたちがやってくるからだ。それだけはどうしても避けられないことだが、決まった時間に来るためスザクが気をつけていれさえいれば回避出来る。
昼前の11時になると彼女たちはやってきて、ルルーシュがいなくなった部屋を丁寧に元より綺麗にして帰って行く。クローゼットの中でその様子を始めて見ていたときは見付かってしまうんじゃないかと、どきどきして尖った耳をぴんっ、と警戒心を丸出しに立てていた。
それが数日間続くと慣れたもので、スザクはクローゼットの中でうとうとしてしまう時もあった。
スザクが着ていた服もメイドたちがクリーニングに出してくれて、解れた部分も修繕されて返ってきたし、食事だってあまりにも豪華で自分が食べていいのかと戸惑うものばかり。
朝と夜は必ずルルーシュと一緒に食べる。昼食はルルーシュが宮殿にいる際は一緒に取れたが、いないことが多い。そういう場合は朝食に残したパンなどをほお張り、腹を満たしていた。
するとルルーシュが帰ってきた際にいっぱいのお菓子を抱えてくるのだ。腹が減っただろう?と、優美に口元を緩めて。見たことがない菓子がずらと並び、どれも甘くて口の中に広がる幸せにしっぽはいつまでも毛を膨張されて揺れていた。
ルルーシュはスザクのことを小さなことまで気に掛けてくれる。
身だしなみのことから食事、しっぽと耳のブラッシングまでしてくれるのだ。おかげでだいぶ荒れていた毛先は滑らかになってゆるゆると揺れるしっぽも艶があった。
寝室は二階にあり、そのベランダから外を眺め日光浴をするのがスザクの昼間の過ごし方だった。夜はルルーシュが色んな話を聞かせてくれる。だからスザクもこの7年間、どこで何をしてきたのかを話した。
ある一部のことは伏せて。
それは聞いても全然楽しくないからしない。自分だって嫌な思い出だからしたくない。
スザクが犬歯を覗かせて欠伸をすると、ルルーシュがおいでとベッドに誘う。しかし、スザクはいつもそれに困ってしまう。「僕は床でいいよ」と言っても彼はそれを「だめだ」と言って、強引にでもシーツの中へと連れ込む。
床と言っても、フローリングに絨毯が敷かれているから十分なほどの寝心地だということはもう昼寝のときに実証されている。
ルルーシュの顔が近くて、おやすみ、と言われるとどうもくすぐったい。スザクはしっぽを身体に巻きつけて、おやすみと小声で告げて下手な寝たふりをする。
そうして彼の寝息が聞こえると、スザクもようやく深い眠りに落ちていく。
穏やかすぎる日々が過ぎていくとだんだんとそれが退屈にもなってくる。こんなにゆっくりとしていていいんだろうか、と不安にさえなってくる。
自分はルルーシュに飼われるためにここに来たんじゃないことを思い出して、何か自分に出来ることはないんだろうかと彼がいない間にうんうんと唸りながら考えてみるものの、ここを出ることはまず出来ないだろう。
勝手に出て行かないと約束をしたし、勝手に動き回ることは自分にとってもルルーシュにとっても危険なことだ。そうすると、やっぱりじっとここで待っていることしか出来ないことになる。
はぁ、と耳を垂らしてスザクは項垂れた。
ルルーシュとの時間は楽しいが、それだけでは何も問題解決にはならない。いつもルルーシュは住まいではない宮殿の方で何をしているんだろうか。詳しい政のことは教えてくれないからよく知らなかった。
まぁ自分が知ったところで理解が出来るとは思わないが。スザクが何度目かの溜息を吐いていれば、扉のロックが外れる音がした。
あっ、と振り向くとリビングに入ってくる人影が見えてスザクはソファから立ち上がった。

「ただいまスザク、何も問題はなかったか?」

笑みを浮かべながら帰ってきたのはこの住まいの主であるルルーシュ。襟の詰まった白いシャツの上に黒いロングジャケットを羽織っていたが、そのジャケットには金の装飾がちりばめられておりとても高価なものだ。

「うん、何も問題はないよ。いつもと同じだ」

「そうか、ならいい」

ルルーシュはロングソファに腰掛けて、足を組む。そしてこっちにおいで、と手招きをするとスザクは首を傾げながら「なんだい?」と歩み寄って隣へと座った。

「一応お前の身体のこと、何か分からないかと思って国立図書館に行って見てみたんだ。けど、どう調べたら正解にたどり着けるかわからない。病気なのかそれとも呪い的なものなのか、あちこち調べているんだがまだこれと言ったものが、な」

悪い、とルルーシュは目を伏せると耳に掛けていた黒髪が一束頬へと落ちてきた。
何も言われるかと思えばとスザクは丸みを帯びた瞳を小さくする。ルルーシュはここ数日、まずは知ることからだと思いなにかヒントになるものがないかと、連日図書神に訪れていた。
国立図書館でも一般の目に触れることが出来ない書物がある。そういったものを見るためには皇族か、それに近い者の許可がなければ触れることが出来ない。
その中からスザクの突然変異である耳としっぽのことを探したが、膨大な量の書物と古文書になってくるため、そう簡単に解決への糸は道からないのが現実だ。

「すまない、まだ時間が掛かるみたいだ。だがちゃんと俺がお前のことなんとかしてやるから」

ルルーシュはずっと僕のことばかりを考えていてくれたんだ、と思うとスザクは息が苦しくなるほどの痛みと嬉しさを覚えて首を強く振った。

「ううん、そんなことない。そんなこと思ってない。この姿、嫌だけど苦じゃないから」

彼に耳に触れてもらえることや喉を撫でられると思わずごろごろ、と鳴ってしまうことに心地良くてそうやって誰も触れてくれることなんてなかったから悪くないのかな、と思えてしまった。
ソファの上に胡坐を組んで、スザクは頬を赤らめてまっさらな笑みを浮かべる。

「僕も、君に何かしてあげられることがあればいいのにな。助けてもらってばかりじゃ、なんかむずむずする」

ずっと一人で生きてきて頼る者もいなかったスザクにとっては、こうやって助けてもらえているということに対してどうお礼をしたらいいのかわからない。
掃除はメイドがやるし食事だってそう。

「なぁルルーシュ、今度僕もそこに行っちゃだめかな?僕が行けばちょっとは分かるかもしれないし」

甘えた声でそう提案するがルルーシュの柳眉が釣りあがり、だめだと却下される。

「お前を連れ出すことは出来ない。見付かったら大騒ぎになることぐらいわかってるだろ?」

「それは昼間での話だろ?なら夜とか……それに僕、こう見えても隠れたり逃げたりすることも得意だ」

プラス、戦うこともと付け加えたかったがきっとそんなことを言ったらルルーシュの機嫌はますます悪くなるだろうからストップしておいた。

「禁書を扱う書庫だ。夜中に行けるわけがないだろ」

「そうかなぁ」

「お前まさか、忍び込もうとか考えてないだろうな」

ぴくっ、と先が茶色に尖っている耳が過敏に反応するのを見てルルーシュの双眸が疑いの眼差しとなって細くなった。

「そんなこと考えてないよ。やだなぁ」

内心ではそれでもいいけど、と想いながらの乾いた笑い。
ルルーシュは足を組み替えて深い溜息を吐いた。ルルーシュがよく知るスザクは活発な少年で何より曲がったことが嫌いで体力だけには自信があるやんちゃ者だった。
考えるより先に身体が動いてしまう性格。
そんなスザクだからこそ、まさかなど心配と不安になる。

「ともかく、まだしばらく時間は掛かるということだ」

「うん。仕方ないよね、けどきっと何か見付かるよ。ルルーシュがいてくれるんだから、これほど心強い味方はないよ。ほら、覚えてる?」

スザクのエメラルドの瞳が昔を懐かしむようにはっ、と明るくなって頬を綻ばせる。懐かしい幼い頃の自分たちを思い出して嬉しいのか自然と尾の先が宙をゆらゆらしていた。

「僕たち二人なら出来ないことはないって、言ったよね」

輝く瞳に見つめられてルルーシュの心臓が少し速くなった。そしてもちろん、スザクが言ったその台詞を忘れているわけがなかった。

「覚えてるさ」

首を傾げて優美に微笑めば、長めの前髪で片目が半ば隠れてしまう。
スザクとの思いでは欠けることなく、今でも大切なピースとしてルルーシュの記憶の中にはまっている。
幼いながらのそんな言葉はとても頼もしくて唯一の言葉として、あの頃は二人でなら世界すらも変えられるんじゃないかと思えるほどの信頼の情だった。
今でもなおスザクがそうやって覚えていてくれたことに自分だけじゃなかったんだ、と溢れる嬉しさ。

「ならなおさら心配はいらない。お前には俺がいてやる、もう何も不安にならなくていいんだスザク」

肩に手をおいて、安堵させる言葉にスザクは頷いた。
けれどその一瞬翳った表情の薄さにルルーシュは気が付かなかった。今ルルーシュがいてくれることへの感謝と安堵は変わらないが、それでもまだ彼には話すことが出来ない自分の一部がある。
それを知ったら、と思うとスザクは不安になるしかなくてそれを隠さなきゃいけないと作った笑みにもなってしまう。僕がこんな姿になってしまったきっかけは一つ。
きっかけはあっても理由はわからなかった。ただ、やらなきゃと思って僕は僕の力を揮ってしまったということ。僕自身のためでもあり、ルルーシュたちのためでもあったことを彼に伝えてもいいのか。
いや、きっとそれはいけないことだ。
自らの過去への罪をルルーシュにも背負わせることなんて出来ない。だってそれは僕の身勝手な想いだったのだから、気持ちを押し付けてはいけないのだ。

「うん、ありがとうルルーシュ」

喉を鳴らしてスザクは甘えた声で不安の気持ちに嘘をついてそう告げる。
ルルーシュにまたこうして会えたこと。元気にしていること。それが今はとても幸せで一番なのだと、ほの暗い気持ちに蓋をした。

「ところでスザク、お前に聞きたいことがあるんだが」

「何かな?」

咳払い一つして声のトーンがさきほどより高めになって、スザクに向き直る。
何だろうかと気になってスザクの白い尻尾が宙を漂う。

「お前、ちゃんと風呂に入ってないだろ」

「えっ」

何かと思えば予想もしなかった問いにスザクの翡翠色の瞳が二つ丸くなって、思わず素っ頓狂な声が出てしまった。しかしルルーシュは至って真面目に加え、その事実に対して大きな不満があるらしい。

「確かに、お風呂はそんなに入らないよ」

この部屋にあるものは自由に使っていいと言われており、風呂に入るのも勝手にしていいと言われている。室内も広ければ当然バスルームだって無駄に広いと言っていい。
一度覗いてみたときにいい匂いがするシャンプーや石鹸があって、鼻がむずむずした。

「僕、その……毛づくろいでいいし、簡単な水浴びだけでいいんだ」

毎朝と寝る前にスザクはしっぽや皮膚をざらついた舌で舐めて整えている。人間であればそんな行為はしないが、耳としっぽだけではなく体質としても異なったものとなってしまっているため本当に猫がするような行動をスザクは起すのだ。
苦笑するスザクは視線を彷徨わせる。

「ちゃんと毎日入れ。言っただろ、好きに使っていいって」

「そういう問題じゃなくて、」

「じゃあなんだ。毛づくろいだけでいいわけないだろ。お前、耳としっぽが付いてても人間なんだ」

ごもっともです、とスザクは太めの眉を下げて、けどと続けた。

「その……、あまり好きじゃないんだ。水浴びだけで十分だよ」

風呂に入ることなんて好き嫌いの問題じゃない、と言い返そうと思ったがふとルルーシュは気付く。スザクは人間でありながら獣としても生きている。
猫は風呂に入るか、と言われると返答に困る。むしろ嫌いなんじゃないか?しばしそんなことを考えて腕を組んでスザクを見れば、へらっと笑って誤魔化そうとするのがわかった。
たとえスザクが人間でもなくて猫でもなくても、やはり風呂には入るべきだとルルーシュは一人で納得して頷く。

「だめだ、お前がよくても俺が気になる」

「あ、もしかして僕ってそんなに臭かったりするの?」

これでも気を使っている方なんだけど、と言って二の腕を鼻に近づけて匂ってみる。

「匂うな馬鹿!好きじゃなくても入れ、当たり前のことだろ風呂なんて」

ルルーシュが言葉の端を尖らせて言うと、スザクは耳を伏せて困った顔をした。

「……苦手なんだ、水とかお湯の中に浸かるのって。だからいいよ、お風呂なんて」

スザクはなんとかこの話題を終わらそうと、身体をそわそわと揺らしながらソファから逃げようとするが腕をルルーシュに掴まれてしまう。

「じゃあ俺が一緒に入ってやる」

「えっ!なんでそうなるんだよっ、いいよ別に。臭いわけじゃないんだろ?」

ルルーシュがどうしてそこまでこだわるのかスザクは怪訝そうな顔色を浮かべて、彼が掴んだ腕を上から掴む。しかしルルーシュは譲る気などなく、スザクを引っ張ってバスムールへと歩き出す。

「お前がいつまでも野良猫のような生活じゃあ、俺が嫌なんだ。せっかくこうした場所があるんだからそれなりに馴染んで欲しいから言うんだ」

毛づくろうしているのが悪いわけじゃない。むしろその姿が人間なのに猫なんだな、ということを認識させて不思議な感じなのと可愛いとさえ思っているなんてことは心の内だけにそっとしまっておく。
ただここにいた、という匂いを残さず消えてしまうんじゃないかと不安だから何でもいいから自分と同じ場所にいるという安心が欲しかっただけのわがままだ。
そんなこと思うのは普通おかしいのかもしれない。けどルルーシュはスザクと一緒にいたかった。このままずっと、ここで飼っていたっていいほどだ。

「だからほら、俺が洗ってやるから」

「い、いいよ!一人で洗えるから」

「それでもだ、なんだ恥ずかしいのか?男同士なのに」

そうからかってやると、スザクの頬が赤くなって違うよと口を尖らせる。

「ルルーシュ、ほんと僕嫌いなんだ、だから、ルルーシュっ」

その後スザクがどんなに嫌だと言おうがルルーシュは頑として頷くことはなく、二人は仲良くバスルームに入って行くとスザクの鳴き声が響いたことは言うまでもない。













                           
路地裏のはそれでも愛を
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