「っ!」
突然、胸を突き飛ばされて上ずって混乱している声が短く響いて、ルルーシュはよろけた身体の重心を正すとゆでたこのように顔を真っ赤に染めているスザクを見つめた。
潤ませた瞳が興奮という羞恥と醜態に、揺れている。
今にも泣き出しそうな崩れた表情にルルーシュも思わず触れてしまった唇に指を当てて頬に朱色を薄く走らせる。
今僕らは何をしていただろうか。ただスザクはしてしまったことに対して酷く後悔し、狼狽していた。
「ご、ごめんっ!ぼく、その……なんというか、ぼくはっ」
頭の中ですぐにフラッシュバックして何度もリピートしてくるので、何を喋っていいのかわからない。
兎に角謝らなければ、とスザクは耳を完全に伏せ尻尾を片足に絡ませてしどろもどろに視線をあちこちに向ける。
「スザク、」
スザクとは対照的にルルーシュは落ち着ついているようにも見えたが、それは背徳に満たされた禁忌に踏み込んでしまったような神妙な顔つきでもあった。
「あ、あのほんとおかしいよね、いくら変な匂い嗅いだからって気分よくなっちゃって、男の君にその……気持ち悪いよね」
さっきまでの取り乱しはなく、今度はどん底まで落ち込んだように顔色を青くして俯いてしまったスザクをルルーシュは眺め、眉を顰めた。
スザクが悪いんじゃない、と拳を握る。
「そんなことない」
本当はスザクに触れたかったのは自分の方なのだという欲を認めながら、口には出さずルルーシュも視線を伏せる。耳に掛けた黒髪が頬に垂れてライラック色の瞳を隠す。
触れたばかりの唇が、熱かった。
それはスザクも同じだろうかと確かめたくなる。
けれどそんなこと、聞けるわけがなかった。彼を見失ってから何があって、変なにおいとはわからない。
スザクはそのおかしな匂いで発熱した気持ちだったが、ルルーシュは自覚があって抱き締めてキスをするように誘ったのだ。
「確かに勝手にこんなところには入り込んだお前が悪いかもしれないが、不可抗力だったということにしておく。だからもう謝るな、気持ち悪いとか……そんなこと思ってないから」
細くなる低い声は震え熱い紫色の眼差しにまた胸が熱くなってくるのをスザクは感じた。
心臓が小さな音で、トクトクと何かを訴えている。
スザクは顔を上げて「本当かい?」と、聞き返した。
「ああ、思ってない。スザクだってもう落ち着いたんだろ?ならそれでいい、無事でいてくれただけでいい。表で馬車を呼ぶ、宮殿に帰ろう」
ルルーシュはそう言って垂れ下がっている耳を撫でると、スザクの手を引く。その体温に、スザクは思わず喉にひゅっ、と冷たい息を吹き込んだ。
握り締めてくれる手のひらが優しくて握り返すと、また心臓が高鳴った。
ルルーシュとキスした、ということがまた鮮明に浮かび上がってきて、恥ずかしくなる。
ルルーシュはどうしてそんなに普通にしていられるんだろう。
気の迷いや媚薬のせいだったから冷静に受け止められるんだろうか。
恋とは違う意識からの行為だから。
そう思うと、もう少しルルーシュもどきどきしてくれていたらいいのにと思ってしまう。
しかしもし、これで僕らの関係が変わってしまうことへの恐れも感じる。具体的にはわからなくても曖昧の中でスザクはルルーシュへの意識を認識し始める。
友達としてか、それとももっと別の何かか。
わからない。
けれどもっと一緒にいたくて、この手を離されないでいて欲しいと思うことだけは確かだった。
二日間のハロウィンの祭りは終わり、また静かな日常が戻ってくる。宮廷内も祭りの間はどこのダンスホールでも仮装パーティーが開かれていて豪華な食材にブリタニア一番の踊り子が招待されていたり楽団が訪れていたりと賑やかだったと、ルルーシュから聞かされた。
あれからというもの、ルルーシュの態度は何一つ変わらない。ただ、自分一人をこの離宮に残すことがさらに心配なのか苦々しい顔をして朝、出て行く。
あの日の夜もいつものように並んで寝た。だがスザクはまだ身体が熱いせいなのか、眠れずずっとルルーシュに背を向けていた。
本当は何もなかったんじゃないだろうか、と錯覚する。けれど唇はルルーシュの熱を覚えていて嘘じゃないと知っている。
11月に入り、空は遠く雲も薄く広がり太陽の明かりを遮ると、風が冷たくなってくる。
寒いのは苦手だ、とスザクはくしゃみをすると温かい絨毯の上に座って毛付くろいを始めた。
「……」
一人の時間がこんなにも静かで寂しいということに、自然と溜息が零れる。身体が鈍ってしまうのは嫌だから簡単なストレッと体術等のトレーニングは欠かしていない。
一度個々から外に出たときの広さと人の多さが突然恋しくなってくる。
限定されている時間だけではなく、自由に行き来してみたい。出来なくはないはずだとスザクは思うがルルーシュはそうではない。
絶対にだめだというに決まっている。ルルーシュは機嫌を損ねると無口になるし怒りっぽい口調になって結局は言いくるめられてしまう。
それは昔一緒に過ごした短い間での思い出ででも、そうだったなとスザクはくすっと楽しそうに笑った。その時に口元に手を持って行っていたせいで、指が唇に触れる。
またふいに唇の感触を思い出して、スザクはその場に蹲り尻尾を激しく揺らした。
(ああ、僕ほんとどうしちゃったんだろう!ずっとあれからルルーシュのことばかり考えてる……会わないでいても落ち着かないし、一緒にいても落ち着かない)
心の不安定さにスザクはまた何かやってしまうんじゃないだろうかと、辛苦する。
いいや、でももうあの妖しい匂い袋はここにはない。だから大丈夫だと自己暗示を掛けていれば扉が開く音がしてスザクは飛び起きた。
その素早い動きに驚いたのは帰ってきた主で、紫色の瞳をきょとんと丸めていた。
「どうかしたのか、スザク」
「ううん!なんでもない、なんでもないよ!」
上擦った声で否を唱えて、苦笑い一つ。
彼は綺麗な人だから淀んだ邪な気持ちなんてこれっぽっちもないんだろう。
ルルーシュは僕によくしてくれるけど、ルルーシュは僕の何でもないのだ。僕がルルーシュの何かになれるわけではないと同等のこと。
そう思った瞬間、胸が痛んだ。
自己中心的なネガティブな自分の気持ちに傷ついて、本当にそうだったらどうしようという不安。
ルルーシュにとって、猫になった僕のことを本当はどう思っているのか聞いてみたくなる。
ここまでしてくれるのはどうしてと。
彼は前に、行くな、頼って欲しい、力になりたいんだ、と真剣に言ってくれたけれど、何週間経ってもこのまま居候のように住みついてしまうのはやはりいけないことだと警鐘している。
ハロウィンがいい例だ。彼は迷惑じゃないと言っていたが、スザクにとっては大きな問題でずっと抱えていることだった。
いつか自分のせいでルルーシュを傷付けてしまうかもしれない。
「スザク?」
耳を伏せたまま、俯いたスザクは尻尾を絨毯に這わせて唸っている。それを見かねたルルーシュがしゃがみこんで肩を掴む。
顔を覗き込もうとすれば、手を払われる。
「どうして、」
唾を飲み込んだ、言葉を腹から抉り出そうとするが上手く台詞になってくれない。
どうして、のあとはどう続けたいのか。
どうしてばかりが溢れてきてイライラする。
「どうしてー、」
迷惑を掛けたはずなのにもう何もなかってように振る舞い、逆に心配してくれるのか。厄介者などさっさと追い出してしまうのが一番ルルーシュにとっていいことのはずだった。
だがスザクはそんな疑問などより、一番加熱している気持ちを吐き出してしまいたくて仕方なかった。
しかしそれには言葉がないため、口から出ることはない。だからとても不安定で、焦燥した。
「スザク、具合でも悪いんじゃないか?顔色があまりよくない」
スザクの気持ちなどお構いなしでルルーシュは彼の額に手のひらを当てると、スザクの身体がひくっと引き攣った。
「熱があるんじゃないか?」
「そう、かな」
落ちた声でそう返せば、神妙な面持ちのルルーシュが頷く。
「ブリタニアもそろそろ冬支度だからな、そろそろ暖炉に薪を入れないといけないな」
ほら、おいでとルルーシュはスザクの手を取るとベッドへと招いた。それに逆らうことはせずにスザクはベッドに身を沈めると、清々とした香りの温かいブランケットが被せられる。
「夕食の支度をするように言ってくる」
スザクの熱っぽい頬を撫でると、立ち上がり寝室を後にした。ぱたん、と閉じた扉にもたれ掛かりルルーシュは一つ長い息を吐く。
(いつもどおりを装っていても、ついスザクの唇に目が行ってしまうー)
小さなあの唇から覗く白い歯と赤い舌。喉から鳴る甘い声は鼓膜を震わせて、悦びを知りたくなってくる。
だめだ、とふるふる首を振って邪なものを振り払う。
スザクが好きだと、ルルーシュはその言葉を音を立てて飲み込む。
「こんなこと、初めてだ」
また触れたい、欲しい、スザクが好きだと欲情は膨れ上がるばかりで処理が出来なくなっていく。いつの間にこんなにスザクの存在が大きくなってしまったんだろう。
別にいなくてもいつもと変わらない生活だったし、これからだって名のも変わらない毎日のはずだ。それなのに毎日が色鮮やかで、胸が弾む。スザクと一緒にいられる時間にひどく嬉々としている自分がいるのだ。
いつの間にか自分の深層にスザクが棲みついている。これが一体どういう感情なのかさえわからない。ただの庇護欲なのか愛情なのか、ルルーシュにはどれも味わったことがないものだった。
しかし好きだ、と無意識に告げてしまいそうになる。
それこそスザクには気持ち悪い、と思われるかもしれないだろう。
男の自分に好かれるなんて異常なはずだ。
このまま一緒にいてもいいのかわからない。眠れない夜が続いて、頭の中はスザクのことばかりでやっと眠れたかと思えば夢までもがスザク一色だ。
人差し指で唇の左端から右へとなぞっていく。
もう一度、触れたらもう終わりかもしれないとルルーシュは一人嘆息してからその場を離れた。
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路地裏の猫はそれでも愛を
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